3253 阪神淡路の声
1/16/19
明日は阪神淡路の日です。
未だに苦しんでいる人たちが大勢います。街は復興しても人があの日のままでは意味がありません。東京五輪大阪万博、表面だけの綺麗事、利権のみを追求する政府と、黙認するマスコミと盲目に従う木っ端役人。行政とはなんぞや。市民国民のための制度が本末転倒の醜事。病んでる行政、ハリボテ福祉の国。
FBFの方の投稿です。
あの日から24年、当時、娘知子は8歳、息子は4歳でした。
毎年、この時期になると、知子や息子と当時の話しをしていました。
あの日から、私達はパジャマを着なくなりました。
トイレも、家族だけの時には、ドアを閉めず入ります。
あの時に感じた恐怖体験は、今でも消えません。
当時まだまだ幼かった知子と息子がその後の心的外傷により、遅発性心的外傷ストレス障害を患った事を知らぬまま、知子を病と出鱈目な医療被害により亡くしました。
心的外傷ストレス障害を知らなかった為に、私も知子をただ医療被害、薬害被害のみに固執してしまった為に守り切れず喪いました………
私達家族はこれからも、心的外傷ストレス障害と共に生きて行かなければなりません。
本当の被害は心的外傷ストレス障害に無知な医療と福祉=国=社会の被害だと思って居ます。
それでも、心的外傷ストレス障害を抱えた私達家族が生きて行く為に、これからも、国が定めた医療と福祉を利用しながら生きて行きます。
私達家族だけじゃ無い、沢山のこの地の方々が、遅発性心的外傷ストレス障害を抱え生活困難を懸命に生きて居ます。
医療、薬、福祉を利用しながら。
そんな懸命に生きる方々をこれ以上心的外傷に晒さない様にと願いながら私も生きます。
そして、二度と、あの日の話しが出来ない知子を想い、知子を喪って、より重い心的外傷ストレス障害を患った息子を想い、弟を想い、母を想い、この日を過ごします。
今夜の夜勤も、利用者様に危険も無く、無事終われそうで良かったです。
ついてる。
有難うございます。
明日、今日夜勤明けにも仕事帰りに母に会いに行きます。(*^_^*)
コメント
「3歳だった私の双子の娘も、間一髪のところでした。
そのときの状況を話すと、生涯苦しむと思い、絶対駄目だと決め、墓場まで持っていきます。
そこまで火が来ている、そこまで水が来ている、でも助けられない、そんな状況で親はどうしたか?
私の子供は助かりましたが、そうでなかった親御さんは、運命を共にされた方が多かったと!
マスコミはこのようなことは報道しませんでした。
それどこか、神戸に多くの社員を出張させるための経費増を心配していたようです。
そこで起こった、地下鉄サリン事件、阪神間から東京のマスコミ人はいなくなりました」