少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

3256 臓器漂流

平成17(2005)年5月23日[月] 朝刊から

【移植医療の死角】(1)死刑囚ドナー否定せず

中国の病院、実態不透明 命か倫理か厳しい選択

 死刑囚とみられる中国人のドナー(臓器提供者)から腎臓を摘出し、日本の患者(レシピエント)に移植手術を行う計画が、産経新聞の調査報道で浮かび上がってきた。すでにこの報道は、三月から四月にかけ、一面と社会面で数回行い、いまも大きな反響を呼んでいる。世界的なドナー不足のなか、巷(ちまた)では「臓器売買」もうわさされ、患者は「命か、倫理か」の厳しい選択を迫られる。臓器移植法を改正してドナーを増やすことさえできない日本の現状も問題だ。ここで、中国での腎移植の計画が、どう進められていたのかをあらためて追いながら「死刑囚ドナー」の問題を検証し、ドナーの在り方を考察する。(木村良一)

                   ◇ 

 受付の高い天井を見上げ、思わず安藤貴樹はつぶやいた。

 「びっくりするくらい清潔で、きれいだ」

 安藤は、日本でもこんな立派な病院を見たことがなかった。

 「まるでホテルのロビーだ」

 中国広東省広州市にあるこの民間の総合病院は、二〇〇二(平成十四)年九月に設立された。

 総スタッフ五百人。一般病棟が、地上二十階地下一階建て。二百四十床で、病室は、個室か二人部屋だった。

 「すべての病室に、トイレとシャワーまで完備されている」

 米国に本部を置くクリニックの日本人スタッフ、安藤が、ミーティングで、広州の総合病院の調査を頼まれたのが、二〇〇三年の六月。一九五九(昭和三十四)年八月三十日生まれの安藤は、このとき、四十三歳だった。

 ミーティングは、米国の本部で行われた。

 「うちのクリニックに腎移植を受けなければならない患者さんがいたのを覚えていると思う」

 「あのとき、調べて分かったのだけども、アメリカや日本じゃ、ドナーが現れるのに何年も待たなきゃならない」

 「それでほかの国も調べたら、中国ですぐにドナーが見つかることが判明した」

 「広州に腎移植の実績をあげている病院がある」

 「うちのクリニックと提携して日本の患者にも腎移植できれば…と考えている。現地調査に飛んでもらえないか」

 本部からの依頼は、こんな内容だった。

 だが、「移植」「ドナー」「中国」…という言葉を聞いた安藤の脳裏には、医療技術や衛生面での問題もさることながら、一つの大きな問題が浮かんだ。

 その問題は、かつて雑誌の記事で読んだことがあった。記事では「人権上、許されない行為だ」と糾弾する外国のメディアの報道が取り上げられ、「異端の臓器調達システム」と批判する医療関係者の声も掲載されていた。

 それでも、月に二、三回は海外出張をこなし、旅慣れている安藤は、米国から日本に帰国すると、手早く関係資料を集めて準備に入り、翌七月から半年間かけ、月に一回の割合で広州に渡り、現地調査を進めた。

 中国南部の広州は、北京、上海に次ぐ第三位の商工業都市で、香港にも近い。仙人が羊に姿を変えて稲作を伝えたという故事から「羊城」「穂城」の別称があり、一年を通じて湿潤で花が咲き乱れ、「花城」とも呼ばれている。

 広州の病院には、スポーツジムのほか、気功教室、スパ、大画面シアター、図書館もあった。中医学を導入しているだけあり、自然療法センター内のレストランは、薬膳(やくぜん)(中薬を使った中国料理)が有名で、外部の人も訪れていた。

 しかも、二〇〇三年に中国政府から腎移植手術ができる施設に認可され、中国臓器提供センターから腎臓を譲り受け、年間、中国全体の腎移植の4%に相当する二百件の腎移植をこなしていた。病院をランク付けする米国の団体からも、高い評価を受けていた。

 安藤は調査後、「広州の総合病院の設備や医療技術は高い。衛生状態もいい。スタッフも、しっかりしている。日本の患者にも問題なく、腎移植手術ができる」と米国の本部に報告した。

 広州の病院を調査したことで、安藤の中国の医療に対する見方が変わった。しかし、調査の依頼を受けたとき、脳裏に浮かんだあの大きな問題は、そのままだった。それは、死刑囚をドナーにして臓器を摘出し、レシピエントに移植する死刑囚ドナーの問題だった。

ドナーについて安藤が質問すると、広州の病院の幹部からは「否定はできない」という答えが返ってきた。=敬称略

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