少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

3610 透析と移植1

3/13/19

FBFの皆さま、おはようございます。過日のカラボロ(体調不良)投稿、やはり低気圧が原因でした。お騒がせしてすみませんでした。
ところで、福生病院の人工透析問題ですが、当方、専門分野ですので書かせていただきます。長文で連載になりますので、興味ある方のみ限定です。よろしくお願い申し上げます。実話と実態、現状を交えて書きます。

『透析と移植、そして生と死』( 1 )

主な内容

福生病院経緯 問題の論点
⑵ 透析医療の現状
⑶ 患者サイドの真実AB
⑷ 医療サイドの思惑
⑸ 移植医療の是非

第一章 繋がった命の電波

・奇跡の波動

 万にひとつもない可能性に、私の五感のすべては虚脱されていた。無念。それはまるで、無重力の暗黒の空間にひとり取り残されたかのような、時空の感覚すらまるでない空虚な現実世界。寂寞たる心境のなか、まったく無意味としか思われない携帯の電波を、私はある重度の腎臓病患者に国際発信した。

「もしもし、安藤です。ああ、今村さん(仮名)・・・、ですよね?」
 本来なら、繋がるはずのない、この一本の電話からすべてが、すべての奇跡の連鎖が波動した。

その日、海外臓器移植コーディネーターの私は、中国広東省広州市にあるR病院にて二名の日本人患者を病室に残し、患者から依頼された日常雑貨を購入するために、歩くには少し離れた商店まで行こうとしてバイクタクシーの荷台に跨っていた。125ccの中小型バイクの後部にノーヘルで跨る危険極まりない交通手段。だが、町のいたる路上でやかましく警笛を鳴らしては客引きをしている間易なバイクタクシー、利便性はある。乗車賃が三元~五元(2004年ころの為替レートで約40円~70円)と格安で庶民の足代わりだった。その代償として交通事故も多発し、ノーヘル故、衝突して転倒すれば命の保障などはない。ほとんど、いや、すべての日本人駐在員は所属する企業からバイクタクシーへの乗車禁止を徹底されている。普通のタクシーも日本と比較すればその料金は格段に安い。だが、地域によっては台数が少なく、なかなか拾うことができないのが現状で、近場の移動は日常的にバイクタクシーの世話になる。患者が病院に居るかぎり病院から離れる時間はなるべく短縮したい。医療現場では何が起こるかまったく予測ができないからだ。危険は百も承知だが止む無くバイクタクシーの背中に乗った。不謹慎は承知だが、田舎の高校生時代、校則違反の悪友のバイクの背にノーヘルで跨がり、農道を突っ走った爽快感を思い起こしていた。
 その時だった、胸ポケットの携帯電話が鳴ったのは。走行中のバイクに跨ったまま電話に出ると移植担当医のDr・Kからだった。携帯電話は患者の命を繋ぐ最大の必需品、常に着信音が耳に届くように胸のポケットに入れていた。
「Mr安藤、今どちらですか?」
「病院の近くです。患者に頼まれた物を買いに行く途中です」
「すぐに病院に戻れますか?日本人の患者に適合するドナーが見つかりました」
「ええ~、本当ですか、わかりました。すぐに引き返します・・・」
 突然の朗報だった。私は、バイクタクシーのおじさんに「悪いけど引き返してよ」と言って肩をたたいた。病棟にある四台のエレベーターが四台とも上階まで行ったままなかなか降りて来ない、憎らしかったのを覚えている。ようやく来たエレベーターに乗り、私はR病院の最上階、23階にあるドクターズルームのいちばん奥の医局室の扉をノックした。部屋ではDr・Kと、日本語が堪能で通訳も兼ねる内科女医のN医師が、少しほころんだ表情で私を待っていた。
「安藤さん、よかったですね。ドナーが見つかったそうですよ」
 まずは通訳のN医師が流暢な日本語で私にそう言った。そして私が、事務机に座るDr・Kに「謝謝、謝謝」と満面の笑みで歩み寄り握手を求めると、彼も立ち上がってそれに応えた。
(つづく)

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