4004 躑躅(つつじ)の子
5/4/17
おはようございます。本日で入院24日目、まさかの。
ショッキングな出来事は色々ありますが、私の場合、書いた原稿をパソコンの操作ミスで消してしまうことです。今朝やってしまいました、40分くらいかけたこの原稿。
また、最初から書きます。
普段の駐車場。停めてある自動車がいないと、景色が違う。
風景の脇役だった躑躅(つつじ)の子たちが、早朝のひとときの主役となる。薄紅の艶。
写真を飾る時、フレームを厳選していますか?
写真に勝ってもいけないし、写真を見すぼらしくしてもいけない。悔しいけど、フレームはあくまでも写真の引き立て役、バイプレーヤー、助演役者。紅は薄く、そう紫っぽく密やかに。
「アタチたちはフレームなの」
「そう、ここではね」
野や公園に咲く仲間たちを代表して、東京に来たのに。
花として生を受け、人間に見られる数は、野や公園の仲間の比ではない。でも野や公園の仲間たちは、それを見に行くための人々に囲まれ、写真を撮られ、運のいい子は展示会に出展され、また写メの脇役となり、昔ならアルバムの薄いビニルシートに挟まれ、今ならドロップボックスの一員となり、iCloudという雲の上に蓄積される、半永久保存版。
駐車場の車ビトは、隣車とのドアの開閉の接触に意識を全て集中させ、薄紅など視覚にあるも意識の彼方。
「私たちは何のためにここに来たの?」
「都会のオアシスだよ」
「こんな排気まみれのアタチでも」
「みんな余裕がないんだよ、花を見る余裕が」
「でもサクラちゃんは?」
「そうだなぁ、みゆきさんが言ってた。地上の星には誰も気づかない。人は空ばかりの見てるって」
「アタチもサクラちゃんになりたい」
「バカだなあ コブクロの小渕クンが言ってるじゃないか、ここにしか咲かない花があるって」
「でも、アタチ、排気ガスやだ、くさいもん」
「確かにな、蜜蜂も寄り付かねえし。よし安藤総理に陳情すっぺ」
安城時代、私はペンペン草には手を出しませんでしたが、つくしはよくいただきました。躑躅の蜜にも大変お世話になりました。なんせ砂糖不足の折、冬の持久力大会の時、学校から支給される栄養補給の痰切り飴がご馳走の時代。
そんな可憐なつつじだけど漢字にするとモノゴツイ。躑躅。
鄭とか濁とか三国志の中国か?
確かに中国広州でも空港から都心に向かう高速には躑躅の列が延々と続く。東京の排気とは比較にならない天文学的な量。
躑躅つつじ
躑 ・・[音読み] テキ。 [訓読み] たちもとお・る。
躅 ・・[音読み] チャク。 [訓読み] たちもとお・る。
語義 …… 行きなやむ。行きつ戻りつする。足もとがふらつく。
たちもとおる ・・躑る 。めぐる、まわる、徘徊する、行きなやむ、足踏みする、後退する。
平安時代に、中国から日本に渡ってきた 「本草書」 (ほんぞうしょ=漢方薬としての動植物・鉱物の薬効を記した図鑑) には 「躑躅」 が載っていた。これを日本のツツジに当てた表記は、『大日本国語辞典』 で調べると、『蜻蛉日記』 (974年ごろ成立) における、
みちのくの 躑躅の岡の くまつづら
熊葛 くまつづらとは つつじが属する植物の学術名。
この 「躑躅の岡」 (つつじのおか) というのは、現在の仙台市 宮城野区 榴ヶ岡 (つつじがおか) のこと。古来は、ツツジの多い丘陵地で、東北でありながら、京の人々にも 「歌枕」 (うたまくら=和歌に詠み込まれる名所) として知られていた。
花ことばは「節度」
なるほど、やはりフレームなのか?
花ことばもフレームも人間が勝手につけた妄想と商魂。
花や木草の声なき声に傾ける耳の余裕は私とて無い。
件の陳情、我が権とて無力、許せ、命運と悟れ、南〜無〜。
コメント
ヨシミさん「おはようございます✨入院していると、唯一窓からの景色が心の拠り所になりますよね。昨日は情緒不安定の中、芭蕉様に詩を詠んで頂いて心が安らぎました。
足が痛いのに入院中でも、お仕事をされているのですね。思えば安藤さんとは、間違ってリクエストしてしまった経緯があったけれど、凄く難しいけれど、アホな私には解らない事あるけれど、勉強になります。花や木草の声なき声に耳を傾け、32分音符とかある曲を、少しでも聴き手の心に響くような演奏が出来たらと思いました」
チカコさん「ウチの近所はガードレール代わりの、白、ピンク、ショッキングピンクの3色の躑躅達、見事ですよ〜✨この通りには街路樹のサクラもないので躑躅が主役!フレームではありません☺️」