少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4390 のたり高安関

6/10/17

おはようございます、高安事件です。

お相撲さんの高安関の事件です。
僕はお相撲に興味がないので、すみません、詳しくないです。

でも彼のお母さんがフィリピン人で、大関かなんかに昇進して、嫌なことがあるとすぐに逃げ出す脱走癖があることを特集で知りました。

私は学生の3年間と記者時代の3年間の計6年間を両国(墨田区横網=よこあみ)で過ごしました。

6年といえば我が人生の1割ですね。
ちょうど、旧蔵前国技館と現両国国技館の中間で、眼下には蔵前通り、眼前には震災慰霊堂、夕暮れの隅田川、そして鬢付け油の匂い。

そうです、ママチャリにまたがった浴衣のデカブツさん達が行き交う町。

お相撲は興味ありませんが、鬢付けの匂いは本当にいい香りですね。
近所に「片田舎」=「固い仲」という、長野出身のおじいさんが経営する深夜食堂があり、それはそれは通わせていただきました。とにかく米系がとても美味しい、ヤキオニとか茶漬けとか。
ところが、唯一の欠点は出てくるのが遅い。そして爺さんが嘆く。

「炊いても炊いても、あの人たちが食べちゃうんですよ」あの人たちとはママチャリのデカブツさん達ですわ。
夜の夜中に腹空かせてママチャリを飛ばす、飯食うのも仕事のうち。

同じ頃、ここから少し離れた、泪橋どや街。

そう隅田川の上流荒川では丹下拳闘倶楽部を脱走したマンモス西が、減量に耐え切れず、屋台の夜鳴きうどんに舌鼓を打ち、それを、尾行した同僚の拳闘屋、矢吹丈に見つかり、たった一発のボディーで、せっかくの残留うどんを食道から逆流させる、つまり吐き出す、というボディコンモデルの常套手段を荒川土手でやっていました。

さて勘の良い方ならもうお気づきでしょう。
これは私の大尊敬するちばてつや先生ワールド。
ここは両国、そう「のたり松太郎」の舞台なのです。

横道に逸れます。
私的な ちば先生3部作で「のたり松太郎」は2位。では「あしたのジョー」が1位?、No、ジョーは3位です。
で、堂々の1位は「おれは鉄平」です。
ちなみに、漫画家のくくりでは ちば先生は2位で、3位が水木しげる先生。で、1位は柔侠伝シリーズのバロン吉元先生です。

で、本題に戻りましょう。

そうです、のたり松太郎に出てくる田中くん。
田舎から出てきて都会に慣れず、いつもドキドキオドオド、松太郎にイジメられるとすぐにいじけて、稽古が辛く、松太郎の不条理に耐えかねて自殺未遂とか。

高安関と被るんです。

6年間で二度だけですが、遭遇しました。リアル高安関。
当時、両国にはボックスの洒落た公衆電話など、駅前にしかなく、ほとんどが剥き出しの赤電話。
身長185センチ体重140キロはあろうかという力士が夜の夜中に泣きながら、故郷のおどや、おがに電話する姿。いわゆる泣きごとを言う。傍にはママチャリ。親方や兄弟子に見つからない距離の部屋の子と見た。
図体は馬鹿でかいけど、まだ子供。中学生くらいな雰囲気。シクシク泣き、時々、しゃくりあげる。
「おど、おら、もう、けえりてぇ」

後ろで順番を待つおいらまでもらい泣きじゃんかよ。

こちとらも部屋に電話ないからさ、公衆電話専門だったけど、急かせることは無粋というもの。

かすかに揺れる少年力士の背中に無言のエールを送り、カノジョへのラブコールを断念して静かに立ち去る。

二度目は真冬だった。
やはり少年力士。あの時の子とは違う子。ただ傍らには必定のママチャリ。

この寒夜空の元、浴衣一枚に裸足に草履。力士の口元からは白い吐息が。
「おおで、ぷひはへぽぴ〜」
もう涙声で言葉にならない。こちらまで泣けて来た。
カノジョへのラブコールは断念した。
そして、彼の肩をトントンとつつき、用意した全ての十円玉と小銭を彼の手のひらに握らせた。
童顔の彼の瞳孔はすでに開いていて、ケンシロウのいう「おまえはすでに死んでいる」状態だった。

かわいそうに。

あれからすでに、30年かあ〜。

あの子達は今、どうしているのかな、名も部屋も知らぬ少年力士。

「あいつ今なにしてる」という番組で探してくれないかなぁ。

本日も、ついてる 感謝してます。