少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4569 従兄弟の死

7/3/16

今日は何もせず、完全休養日の予定が、朝から中国と電話で4時間。

親父の30回目の命日、「墓参りに行ってくれ」との母親からの依頼を割愛。

午前9時過ぎ、平塚の病院で闘病中の従兄弟、逝くとの報、母から知らせあり。

享年53歳。

昨年はその子の姉が54歳で他界。

次へのミッション、近日中に決まると思います。

私ごとで恐縮です。
今朝がた、闘病中の従兄弟が旅立ちました。まだ50代前半。
昨年は、その子の姉が亡くなりました。いずれも私より歳下。
母親のすぐ下の弟の子供たちですから親しい関係。でも、私が就学前に叔父夫婦は離婚。姉は叔母の実家の藤沢へ。今朝亡くなった弟は叔父の転勤先のシカゴへ。姉弟は接点なく人生の大半を過ごし、昨年、50年ぶりの再会は、息をしてない姉との対面でした。
当時は当方も幼く、しかも、それぞれが遠隔地。母親を通しての情報しかなく、遊んだ記憶もかすかです。
姉も弟もともに離婚を経験し、同じ病に倒れる。因果というのもが過去の生に遡ってまで、あるのでしょうか? 宗教的には、どの宗教も、そのほとんどが、そういうことになっています。バングラの事件も、生と死を分ける一線が存在したはずです。
過去を見る宗教とは逆に、生まれた瞬間から未来を見る推命学では、天体と直結した叡智が、人の命運、すなわち死期までおも予知できる。占卜(せんぼく)を、頭ごなしに否定される方は、勉強不足か情報不足。占いは学問であり、死期を知ることが目的ではなく、己をより深く知るための手段なのです。
コンビニ弁当を主食とする身ではありますが、死ぬまで生きようと、「死ぬこと以外はかすり傷」だと、心に聞かせて生きてみます。