7/15/14
湾岸戦争の時、フリーランス時代に雑誌の取材でイスラエルのジェリコ自治区に潜入しました。
夜になり、戒厳令が敷かれて、イスラエル軍に見張られ、帰宿不能となり、インティファーダの家に匿ってもらったことがあります。
家の二人の息子はガザで拘束され、そのまま行方不明に。
一週間後、取材のお礼にと、所望された粉ミルクと砂糖を持参したところ、その父親も殺害されていました。
イスラエル軍によるパレスチナ自治区内のガザ地区への激しい攻撃が続いています。地区内の住民や、医療援助を行っている国境なき医師団(MSF)の移動が極めて難しくなるほどの状況です。
7月12日(現地時間)時点で、ガザの各病院は相次ぐ負傷者の受け入れを継続。しかし、慢性的な物資不足もあり、保健医療体制はさらに弱体化しています。現地の状況と国境なき医師団(MSF)の取り組みをお伝えします。http://bit.ly/1nqz0la