少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4646 運命論者1

7/14/19

FBFのみなさま おはようございます。
本日も私的状況報告につき、お時間ある方限定でお願いいたします。
長文ですし。

『運命論者』

 下手すればティーンエイジ、いや、もっと前、小学校の低学年から、なんか、そんな思いをぼんやりと描いていました。それはどうしてか、という理由は特にないのですが、クラスに必ず一人か二人いた知的障害者の子達と、仲がが良かったのです。おそらく小三あたりから、彼らは「特別学級」というクラスに選別され、それがどういうクラスだかは薄々気づいていたのですが、自分にはまったく違和感がなく、放課後にはそのクラスに顔を出し、彼らと普通に遊びました。そんな姿を見た教師が、私もその仲間だと位置づけして、両親に編入を真剣に打診したという話を、ずいぶん大人になってから告白されたことがありました。

 人間は生まれながらにして平等ではないという事実を潜在意識に刷り込まれたのでしょう。
クニマツ、よっちゃん、ハラちん、シゲくん、みんないつも鼻水垂らし、ロレツがヘンだったけど、ウルトラマンが好きで、家まで遊びに行くと、お母さんがたくさんオヤツをくれて、日が暮れるとホンダのカブの後ろに乗っけてくれて送ってくれた。

 人生は万人が紆余曲折、誰が幸せで誰が不幸せなんてものはない。生きているだけで幸せで、そこに「健康で」という形容詞がつけば「より幸せ」というだけである。つまり日々起こる出来事に一喜一憂はなく、すべてが生前に、自分が決めた人生だと信じ、出会いも別れも、失敗も成功も、自身が選択して今に至るという典型的な「運命論者」がここにいます。

 二昨日前ここ一年半で5度目となる外科手術を受けました。と言いましても内蔵疾患ではないので失敗しても死に至ることはありません。過去二回は全身麻酔でしたが、そら、手術中は無意識なのでラクですが、その後がとても辛く、動けない、水飲めない、管いっぱいつけられる、もうあれが嫌でたまらず、今回はなんとか医師に懇願して局所麻酔でお願いしました。

「え〜!できないことはないけど、この手術、局所でやる人はいないよ。全麻の方が安藤さんもラクだと思うけど、本当にそうしたいの? 一応、麻酔科の先生に聞いてみるけどちょっと待っててね」とそんな会話から始まった。

手術は予定通り、7月11日午後2時30分、予定の5分前に徒歩で手術室に入り、ここで病棟ナースから手術室ナースへと引き渡される。手術室ナースが一人一人挨拶に来る計8人のチーム。みな皮膚がツルツルピチピチ弾けそう。プラスチックのアイガードにマスクだから、誰が誰だかわからん。だけど使い捨ての手術キャップの被り方に個性を見せ、窓のない空間で目一杯のオシャレを決めている。それにまつ毛が長い。「キミ、エクステンションやってるの?」「私、やってないです。あの子がやってます」「どの子?」「はーい、私です」「よく見せて」異常なまでに顔を近づけて見せてくれる。「あっ、キミもやってるね」「いやいや私は地毛です」と盛り上がる。

「今、胎児もエコーでまつ毛の長さが分かるって知ってた?」「え〜知らな〜い、まじですか?」
「うん、そうなんだよ、おじさんちの2号ちゃんが、まだ胎児の時代に、産婦人科の先生から『とてもまつ毛の長い赤ちゃんですよ』って言われたんよ」「そうなんですね〜」「そうなんですよ〜」みんなキャピキャピだ。部屋をも少し暗くしてくれれば、ちょっとしたガールズバー「オペの部屋」である。うん、ナイスアイデア、従業員は全員ナース、カクテルはブラッドマリー、ツマミは臓モツの串焼き。保険適用外。

「安藤さん、本当に局所でいいの?やっぱり全麻にしとこうか?今ならまだ間に合うよ」
と、担当医。
なにをこの場に及んで、という拍子抜け。

日本には武士道があり、西洋さんのようにコメカミに拳銃充ててズドンというわけにはいかない。義のために腹を召す文化の上に今日のなだらかな日常があり、世直しのために自ら腹を召した文豪さえもいた。みな、局所麻酔さえ使用していないはずだ。

麻酔科の先生が来た。これからブロック注射を打つという。「かなり痛いけど」というけど、当方これまで点滴やらなんやらで針なら細太合わせて有に10万回以上刺されてる計算になる。1万回ではないよ、10万回、ちゃんと計算してみた。

「先生、何発打つの?」
「3発か4発打って、効かなかったら追加。膝の裏あたりから入れるからね。相当痛いけど動かないでね。あと気をつけてやるけど、針が神経に触れたら、足の先まで電流が走るからその時は教えてね」
おいおい〜。

医師とナースがモニターを見ながらまずは一発目。
そら、痛いですよ。
でも12月の腸腰筋膿瘍の時の痛みと比較したら、まだ生後3ヶ月くらいか。
二発目、ズッキーン。赤ちゃん成長して6ヶ月。
三発目、キッタ〜〜〜〜〜、こいつか〜〜

神経にヒットした。爪先まで電流が電撃ネットワーク南部虎弾。あの人たちは異常だ。
膝から下、落雷直撃の臨体験。

「もう一本行きますよ」
涙目で声も出ず。「どうか今度は神経にヒットしませんように」とすべての神に祈る。

墨田区横網両国国技館の北、蔵前通り沿いに「同愛記念病院」という大きな病院がある。
やや気になるネーミングだが深く考えて欲しくない。立派な病院である。私は学生時代に都合3回、この病院に入院したことがある。1度目は子飼いのハツカネズミ「ポジ」に指を噛まれ感染、悪化して入院。二度目はソ連型インフル。三度目は背筋の肉離れ、朝目が覚めたら起きられなくなっていた。バイトと応援のやり過ぎだった。

さて、その同愛記念病院だが、実は戦後、GHQの占領下において進駐軍に接収され、進駐軍専用の病院とされていたのだ。まあ、それはいい。だが実は、もうひとつ裏の顔を持っていた。

A級B級戦犯の拷問、および人体実験の施設として使われていたのだ。もちろん、捕虜に対する拷問および人体実験は国際戦争法で禁止されているので公文書には記載されていない。

私は九州大学医学部における「米軍捕虜生体解剖」事件の文献を漁り、この事実に辿り着いた。
戦闘機からパラシュートで脱出した米兵を地上で捉え、本来なら捕虜として扱うべきところを軍命令で九大にはこび、これも軍命令で生体解剖に至った。

九大医学部は人命救助のための学府であり、生体解剖には加担できぬと異議を申し立てたが、逆らえば軍法会議で逆賊の扱いが待っている。逃げ道はない。
私の記憶では13名の九大関係者がこの解剖に関わり、戦後にA級戦犯として軍法会議にかけられた。

その中には、なにも知らずに手術室の使用を許可した事務員、当日、なにも知らされず手術室に呼ばれた若い医師もいた。

ネットでググればすぐに仔細はわかるが、ここまですべて私の記憶で書いているので多少の違いは容赦願いたい。

で、結論は13人全員が絞首刑の判決。人命救助のため医師になり、戦時中の軍命令とはいえ、殺人に加担した。後悔も残機も、選択なき運命(さだめ)。

その後、手術室の使用を許可した事務員は仔細を知らされていなかった事実が証明され死刑から終身刑減刑、やがて釈放(あくまでも記憶です)。そして何も知らされず解剖に加担してしまった若い医師(現場に立ち会っただけで、解剖には参加せず)は、どうしても故郷の老母に、もう一度、生きている自分の姿を見せてやりたいとの念を決意し、精神異常者になると決めた。

現在でもそうだが、精神に疾患があると判断されれば、裁判の対象から外される。当時にできた法律だと思うが、これを健常者が演じることは、どんな名役者でも100%不可能だと断言しよう。当時は、とにかく痛みを感じたら神経があると、みなされ健常者のカテゴリーに入れられ、判決のまま絞首刑が確定するのだ。

そのため、来る日も来る日も、記憶では一年以上にもわたり、墨田区同愛記念病院の一室で進駐軍の拷問を受けた。肉体に傷をつけると拷問になる。そのために電気ショックと、針による刺痛が主で、その拷問方法は長時間多岐に渡った。

私は、手術台に横たわり、針を刺され、麻酔が効くまでの短時間、傍で私の顔色を伺うピッチピチナースを間近で眺めながら、そんな若い医師の思いを想像していた。とりあえず、思いがけぬ至近距離。ヒゲを剃って来たのは正解だったな。

「チミ、それもしかしてハズキルーペ?」
「そう新色のルビーカラー・・・
いやいやいや、まだそんな歳じゃありませんよ」

そうか、気づかなかったけどあれって老眼鏡かぁ
今年も、もうすぐ45歳になる私も、そろそろ考えるかなハズキルーペ
おっと麻酔が効いて来たのかな、足が・・・。

(つづく)

本日もついてる 感謝してます

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