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1/18/17
元ヤクルト監督の関根潤三さんの本、面白すぎて一気に読んでしまいました。関根さん、法政時代、近鉄時代、エースで4番、つまり両刀大谷さんの先駆者というわけ。ヤクルト担当時代にお世話になりましたが、関根さんの話は次回書きます。
実は関根さん、大正15年12月25日生まれ。私の親父、安藤博と同じ年の生まれ。で、その日は大正天皇崩御と重なり、昭和元年はわずか6日間という珍しい年。
この大正15年生まれですが、召集令状を受け取った最後の年。いわゆる学徒出陣というやつで、早稲田2年生だった親父も明治公園の出陣式に参加しています。その年(昭和21年)の9月1日に軍隊に入隊する予定も8月15日に終戦、関根さんも同じです。
関根さんがヤクルトの監督に就任した時、親父がまだ存命していれば、ヤクルト担当の私に関根さんの神宮での勇姿を語ってくれたことと思います。早法戦を何度も観てるはずですから。残念ながら親父は、私が記者1年目の7月に60歳で他界しました。当時、ヤクルトは土橋監督で、関根さんとは接点がありませんでした。
実は今日、1月18日は親父の誕生日です。つまり生きていれば91歳。関根さんは誕生日が来て91歳。お元気かな?
ところで、仏壇を整理していたら、当時の親父の給料明細が出て参りました。日付けを見たら亡くなった昭和61年7月のものでした。給与と役員報酬合わせて税込96万7000円。これに雀荘と食堂と不動産賃貸を経営していたので、稼いでいたみたいです。実は具体的な金額とか知りませんでした。そうと知っていれば、無心して、東京のアパートで、水道まで止められることはなかったでしょう(笑)
今日はばたばたで何もできませんでした。明日、花か酒を供えます。