少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

5481 徒然余談

2/6/20

『徒然余談』

注意: 暇な人限定の妄想与太。本当に暇な人限定です。本当に崇高にくだらないですよ。

 格別に冷える夕暮れの坂道。立春を終えてなお吹く季節遅れの凩(こがらし)に煽られるベースボールキャップのひさしを指で押さえる。薄暮は一瞬にしてコバルトの世界に沈み、行き交う仕事終わりの車両のヘッドライトがランダムに反射して私の裸眼に当たる。代々木上原から井の頭通りを都心から逃げる方向へと向かう坂の途中に、トルコのモスクが佇む。
 白い大理石で覆われた異次元の丸みを帯びた神殿。現世と古代のパラレルが交差する空間。なにびとも出入り自由なフリースペースに暫し踏み入れ、異国を味わう趣に小さな幸せを感じる。ガランとした礼拝堂のステンドグラスは、凛とした冷気をも暖かく包む。
 イスラムの信者でない私でも、無断で礼拝堂に入ることは許可されているが、洗い場で足を洗うことが義務付けられている。そこまではする気はない。立ち寄った目的は、少しばかりのハラスフードの調達だった。ピタパンと合い挽き肉、ヨーグルトと羊の乳でこしらえたバター、それに期限間近に迫った安売りのオリーブオイルを籠に入れ、デザートのスイーツを求めている最中に、店の灯りが半分消された。閉店ではない。お祈りの時間が来たのだ。

 私ともうひとりいた若い日本人の女性は、籠の商品を元の位置に戻し、店を出た。なに、買い物は明日でも良い。お祈りは時間厳守である。特にイスラム教は厳格だ。
 一緒に店を出た彼女は坂を右へ下り都心方向へ、そして私は左へ昇った。寒い。
坂を上り切るとナチュラルローソンがある。私は好物の亀田の柿ピーを所望した。ところが299円もするので躊躇した。というか、怯んだ。そのはずである。同じ商品が駅前のサミットなら266円のはずだ。私は熟慮した結果、柿ピーの購入を断念した。

 すると、ひとりのキャリア風のOLが、こちらに向かって来た。なるほど、美形である。上品な上衣を召して、ブランドもののバックをさりげなく誂えている。ただしマスク越しなので、現実に美形か否かは想像と期待の範疇である。
 彼女、少し急ぎ気味。アルコールの棚からサントリーハイボール濃いめを、躊躇することなくロング缶一本とレギュラー缶一本を手に取ると、籠に入れず、そのままレジに向かった。朝、出がけにふりかけたコロンの香りは通勤の汽車と、オフィスの老人臭との壮絶な戦いに疲弊し、もはや女性の香りは失せていた。

 結局、私は何も買わず、マガジンラックをチラ見して、ちょうど出るタイミングが美形と重なった。
 彼女、つまみは持っているのだろうか?ひとり呑みなら、少しの時間なら付き合ってあげても良い。
オトコ?   
いるかも知れない。その可能性を否定する根拠はない。

 たまたま、彼女と同じタイミングで店を出た。彼女は都心を背に、私の向かう方向へと向かった。そして私の少し先を彼女は歩いた。
 このまま、彼女の後をつければ、今の時代ならストーカーと誤解されるが、部屋まで行けば、本当にオトコがいるのか、やはり、ひとり呑みなのか、モヤモヤした気持ちに結論が出る。と、同時におそらく警官を呼ばれるだろう。ささやかな疑問を追求するにも大袈裟な時代である。

 そんなことを思いつつ、彼女のあとつけていると、前をゆく彼女が、突然、つまづいた。暗くてよく分からなかったが、どうやらハイヒールが片方、脱げたようだ。こんな場面に遭遇した経験がない。彼女が私の目を惹く、匠なテクニックなのか、単なる偶然なのか? 無言の交渉がはじまる。
「おいおいマジか」
「なによ、お膳立てしてあげてるのに、それでもオトコなの?」
「そう言われても罠だったらどうする」
「そんなに信用できないの!」
「まだ名前も教えてもらってない」
「わかったわ。イクジナシ!」

 彼女がハイヒールを履くタイムラグで、私と彼女が並んで歩く速度になった。後ろからつけてくる怪人を先に行かせるための彼女の演技だとしたら、彼女は刑事ドラマのヘビー視聴者だろう。しかし歩音から、彼女は私の歩速を見誤った。私はまだ、普通のオトコの速度には追いつけない。結果として、彼女と同じ速度である。井の頭通りを往来する疲れたドライバーの視線の先には、これからコンビニ袋の中の角ハイボールでラブる男女の羨む姿が見えたかも知れない。

 いったい彼女はどのマンションで暮らしているというのだろうか?やもすると、もうすぐ次の信号に差しかかる。私が自宅に直帰するには、その信号を右に曲がらなくてはいけない。このまま、彼女の部屋にお邪魔すべきか、帰宅すべきか、選択のときが来た。

 とりあえず、信号の色が変わる間に思案した。よぎったのは民俗学者赤松啓介の著作「夜這いの民俗学」だった。同年代には居ないと思うが、一時期、好んで赤松先生を読んだ。「夜這いー」は安城の実家の書棚にある。衝撃的な作品だった。
 つまり、集落では若い娘が夜、戸に鍵をかけずに村の男を待つ、という風習があるそうだ。そこで夜伽がはじまり、入れ替わりくる若衆の中から相性のいい与作を選び、やがて祝言(しゅうげん)を挙げ、やや子を授かる、という種の保存、村人の叡智。このようにして日本の集落は滅ぶことなく、脈を築いて来たのである。

 そんな土台が我が心中にあり、高校生のころ、気のある女子の部屋に忍び込もうと友人らと試みるもことごとく施錠されており、あるいは犬に吠えられ、巡査に職質されるケースも一度や二度ではなかったはずだ。かつて我が国は夜這い社会で人口を増やしてきたはずだが、近年に至ると、それは強姦という極めて罪悪な凶悪的犯罪とされてしまう。強姦せよとは無論言わないが、せめて夜伽は横行してもらいたい。
 彼女のロング缶とレギュラー缶の行方がますます気にかかる。

 おっと、ここで意外な展開になった。これは私にも予想外だった。彼女が角ハイボールを所望したナチュラルローソンの先、つまり、私と彼女が信号待ちをしている交差点があり、その角に、実はファミマがあるのだ。彼女はそこを素通りした。
 だとしたら、どうして彼女は自宅に近いはずのファミマではなく、遠方のローソンで角ハイボールを購入したのだろうか?私はひとつの仮説を立てた。そして、それを証明するためにファミマに入店した。

 やっぱりそうか。そうだったのだ。
つまり、彼女がローソンで購入した角ハイボールは「濃いめ」であってレギュラーではなかった。実はファミマにはレギュラーしかなく「濃いめ」はなかったのだ。だとするならば、彼女はあらかじめ、それを知っていたという証にならないだろうか?
 これは確かめるしかない。私は急いで自動ドアのマットを踏んだ。外の冷気と室内の暖気が交錯する中心に身を置くと、アルプスの南と北の気分になれる。そんな擬似体験をしていたら、完全に彼女を見失なってしまった。

 漆黒の街。ヘッドライトが妖しく漂う真冬の街道。黒いコート、黒いハイヒールは保護色となり、闇の中の点となった。
 あの角ハイボール濃いめは缶のダイレクト呑みか、あるいはグラスにロックアイスを入れて本格呑みか?ひとりなのかふたりなのか?お笑いを観ながらか、スマホ組か?お笑いは、笑い飯か、ハイキングウオーキングなのか?自分は、日本エレキテル連合が今でも好きだけど。

 赤松啓介を読んだあとは、なぜか、快く重い気分になる。だから、いつも轟先生とか読んで、心のバランスを整えることにしている。

FIN