5579 希望の朝
2/18/18
FBFのみなさま、おはようございます。
🎵あ〜たらしい 朝が来た 希望〜の朝〜だ🎵
洗脳され、頭にこびりついたメロディが離れません。
昨日は、私が寄宿する立正佼成会付属佼成病院に「相棒」の撮影部隊が来ました。ふと腰をかけたロビーのソファの横には、背筋をピッと伸ばした痩身の青年が、鎮座されておりました。
見たことある青年でオッくん(乙川さん?)でした。なぜ知っているのかというと映画「キャシャーン」に出演されていたからです。唐沢さんが好きなのでキャシャーンは劇場で観ました。
看護婦さんの情報で刑事ドラマ「相棒」の撮影とのこと。私の刑事ドラマ遍歴は「鉄道公安36号」に始まり、「ザ・ガードマン」、「キーハンター」。「刑事くん」をはさんで「太陽にほえろ」「俺たちの勲章」で終わりです。
「西部警察」も「踊る捜査線」にも手を出しておりません。ですから「相棒」にも目を通したことがないのです。
私の中での水谷豊は「傷だらけの天使」のイメージしかなくて、現在の姿は馴染めません。織田裕二に関しては語る気力もありません。キャシャーンの中でのオッくんは良かったですよ。でもその後、観ていないので、すぐに名前が出ませんでした。
みなさんは、刑事ってどんなイメージでしょうか?
まあ、ドラマや映画でデフォルメされているから、僕の持つイメージと大きく変わらないと思います。
最近ではコメンテーターとして大ヒットした元神奈川県警の小川泰平さん。パッと見は、新橋の立ち飲み屋にいるオサーンですよね。まあ、あんな感じです、ほとんどの刑事くん。
僕が最初に知り合った刑事くんは、安城北朝鮮中学の同級生のS川のオヤジさん。S川と僕は小学校が違うので中学で知り合い、一度も話したことがないのに、理由は全く覚えていませんが、帰り道で「てめえ、このやろ〜」というコトになり、雨の田んぼでドロドロになりながら殴り合った仲です。
それ以来、時々、S川の家に行くようになり、狭い市営アパートでしたが、時々、無口で小柄なオヤジがチョロチョロしていました。中坊のS川がタバコふかしても文句言わないオヤジでした。
あのオヤジが愛知県警中村署のデカだと知ったのは高校生になってからでした。
S川は僕とは違う高校に行きました。早い時期に自動車の免許も取り、族ではないのですが、スカイラインに乗っていました。
理由があります。いつも呑んだくれたオヤジさんが、汽車で寝過ごし、名古屋から終電に乗り、下車駅の安城を通過して、終点の蒲郡まで行く日々。駅員からの通報でS川がスカイラインで迎えに行くという構図です。そんな日々の連続でした。
オヤジさんは叩き上げの昭和のデカです。若いキャリアから、捜査について、ああだ、こうだ、言われるストレスと、犯人に車で体当たりされて骨折した足がうずくため、毎晩のように酒で憂さを晴らしたそうです。50を過ぎ、二度目の大怪我を負いました。柔道4段も年齢に勝てないということで、内勤を拒否して、早々と退職して、生まれ故郷である阿蘇山山中に退職金で土地を買い、奥さんと、飼っていた犬を連れて幽閉生活に入りました。
その後、山中で炭を焼き、生計を立てていました。プロパンガスのみで電気はないそうです。冷蔵庫もなく、3キロ先のバス停まで奥さんが歩き、日に一度きりのバスに乗り、麓の町で、食糧を調達する生活。酒を断ち、本当の意味で仙人に成りました。
80の齢を過ぎたころ、宮内庁から永年の功績が認められ紫綬褒章の対象になりました、という伝達が。S川には兄と姉がいます。兄も知っていますが、若い時代からすでに頭髪がなく、気の毒なアニキだと思っていましたが、週刊新潮の記事によると、日本映画界ではカリスマ的な照明監督だそうです。僕が安城で見ていたあのアニキとは別の顔でした。
で、そのアニキからS川に電話が入り「宮内庁から内偵が入るから、お前、絶対に悪いことすんなよ。駐禁もアウトだからな」という緊張の半年間が続いたというわけです。
で、めでたくオヤジさんは叙勲されました。皇居だか、御苑だか、叙勲式に行ったはずです。飛行機はイヤだと、もめていましたから(笑)
で、そのS川ですが、高校卒業後に警視庁中野警察学校に入学したのですが、根性が足りないために脱獄しました。🙆の穴に何かを突っ込まれるのがイヤになったそうです。
ところが、姉貴の息子クンが、現在ではおじいちゃんの跡を継いで、同じく愛知県警中村署で刑事くんになりました。
で、オヤジさんは何度も何度も癌による再発を繰り返しては復活し、自宅で人工透析まで行う日々。死線を越えること数多。
S川は「父危篤」の報を受けるたびに、何度も喪服持参で阿蘇まで出かけ「オヤジは詐欺師だ。交通費だけで俺はカネがなくなる」と悪態をついていましたが、まあそれも照れ隠しでしょう。
数年前、本当にオヤジさんは亡くなりました。で、独りになった80を過ぎた老母に、安城に住む姉の家で暮らすように促したのですが、お袋さんは「今更、安城に帰っても友達もいないから、ここで犬と暮らす」と言ってはばからなかったそうです。
これもきっと照れ隠しです。オヤジさんと暮らした日々から離れたくなかったのでしょう。
そして二年前、2016年4月14日、午後9時26分。阿蘇山付近震源の震度7の大地震。犠牲者247名の阿蘇熊本大地震。
福岡に住むカリスマ照明のアニキが駆けつけた時、雨風をしのぐだけの原始的な家屋は跡形もなく、つぶれ果て、屋根と地面が同じ高さになっていたそうです。
私はすぐにS川に電話しました。「お袋さん、大丈夫か?」
「おう、それがな、大丈夫だったぞ」
きっとオヤジさんが助けてくれたんでしょうね。そうとしか思えません。
地震発生2日前のこと。お袋さん、倒れたそうです。原因は脳梗塞。初期の段階は自覚症状があり、おかしいと思ってすぐに息子たちに無理やり持たされた携帯電話で119番したそうです。
当然、救急車も担架も入れないけもの道。なんとドクターヘリが出動して、ホバリングのヘリで救出されました。
それからわずか40時間後の大地震。これを奇跡と呼ばずになんというのでしょうか?
本日もついてる 感謝してます。
みなさまにとりましても、良き一日となりますように。
追伸 お袋さん、それから元気に回復されたそうです。
デカ物語、まだまだストックありますので、乞うご期待です。お付き合い、ありがとうございました。