5658 國府津町合併記念茶碗
2/28/21
このような商品が売れるとテンションが上がります。レトロ屋冥利に尽きる・・・というか!
町名は、この地に相模国府の港があったことに由来する。明治20年に東海道本線国府津駅が開業、明治21年に小田原、湯本への小田原馬車鉄道が開業すると、国府津駅は東京から箱根方面への乗換駅となった。
駅前には割烹旅館や商店が並び、箱根の旅館の中には国府津駅前に案内所を設けるものもあった。
さらに明治22年に東海道本線が御殿場経由で全通すると、国府津駅に急勾配を越えるのための増結機関車の機関庫が設置され、国府津駅には増結作業のため優等列車が停車し、交通の要衝として発展することになった。
また、海に臨む温暖な国府津は、湘南避暑避寒の地として大隈重信や大鳥圭介、加藤泰秋等、華族や政財界要人が別荘を構えた。徳川慶喜は大鳥別荘を、西園寺公望は加藤別荘に滞在するなどの人的交流もあった。
しかし、明治35年の小田原大海嘯、大正12年の関東大震災では村内に大きな被害が出た。昭和9年には丹那トンネルが開通し、東海道本線が熱海駅経由に変わると、もはや国府津駅での機関車の増結も必要なくなり、国府津の交通の要衝としての地位も低下した。
昭和29年 12月1日 - 足柄下郡酒匂町、上府中村、下曽我村、片浦村と共に小田原市へ編入される。
平成時代後期から令和にかけては酔っ払った時の松ちゃんの終着駅に指定されている。