5831 地下生活
3/27/19
FBFの皆さま、おはようございます。
今朝も任務に向かう兵士達が颯爽と風を斬ります。
私はカーテンを開けたまま、窓際のベッドで寝起きしています。太陽光に身体が飢えているのでしょうね。
毎月20数万円の家賃(ローン)を支払っても世帯主の私に与えられた部屋は陽の当たらない地下牢。
差し込む朝陽で目が覚めることはない。
思い起こせばシカゴの貧乏学生時代、大学の狭い寮ではセサミストリートに出てくるようなアメリカ人学生と同室。
その後、メキシコ人の富豪留学生と半地下室をシェア。
さらに富豪トルコ人留学生と屋根裏部屋で共同生活。富豪者は日本人の貧乏生活者にいたく興味を持ったらしい。
その後NYに流れ、タイムズスクエアの先輩の部屋に居候を決め込み6カ月。
ワンルームに野郎6人が雪崩住む難民生活。
お湯も出ない古い建物で毎日が水シャワーだけど、マンハッタンの世界一高い地価で家賃ゼロは感激の至り。
その先輩は帰国後、居酒屋130店舗を経営する大富豪になりました。
かくいう私も、帰国後は両国の大豪邸(3階建て全16室、事務所、作業場、駐車場3台分、中庭)の一軒家にばあやと6年間2人暮らし。
ばあやのボディガードとして、大学2年から社会人3年間の6年間を無料で借りました。
どの部屋をどの様に使ってもいいという好条件でした。
中国では広州で35階建てのマンションを購入しました。
34階と35階をぶち抜いたメゾネットタイプ284㎡、スケルトンで購入したので自由設計、6ベッドルームにオフィス、でかいリビングにミニラウンジ、3バス室にトイレは4箇所。
骨董街に通い詰め、まだ安価だったステンドグラスや彫刻を買い集め、それを仕切りにしてリゾートホテル風にしました。
35階のテラスから見下ろす風景に優越感を覚えましたが、まもなく高所恐怖が訪れ、日々のメンテナンス(掃除、電気系統の故障)に追われ、この広大なスペースに独り住む侘しさは、やがて模造品のDVDにつながり、名作品のDVDはやがて無修正のエロスへと繋がる悪循環。(エロス作品は全て小田原の記念館に寄贈しました)優越感は寂寞たる想いに駆られ、ハリボテの中に居る虚無感に苛まれました。チベットの子供への物資ボランティアが、ほんの少しだけ、罪悪感を埋める隙間テープ。
所詮は18で夜汽車に飛び乗り(事実)、山本正則さんに早稲田の毎日新聞販売店に売り飛ばされたのが原点。
3畳一間でネズミに足をかじられ暮らした身。失うものは命くらいしかない。
退院してローン払い終わったら、狭くても構わないから陽の当たる部屋を自分用に購入しようと思います。
本日もついてる、感謝してます。