少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

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5/4/17

病室の簡易テーブルに乗せた携帯のバイブが控えめに必死に響く。
5月4日木曜日みどりの日

取り損ねた携帯は床に落ち、部品の一部が破損して飛んだが通話には問題ない、午前8時35分の着信記録。奴から電話してくるのは年に一度か二度。こちらからは三度か四度。互いに特に用はない。

奴とは安城北中2年の時、今でも理由はまったく覚えていない、おそらく互いに気に食わねえ、ただそれだけのこと、クラスも違う、話したこともない、名前すら当時は知らなかったかも。帰宅途中の田舎道、派手な喧嘩になった。田んぼでドロドロになったのだから田植えシーズンに間違いない。勝った負けたはない、殴り殴られ続けて、ただお互いに疲れてやめただけ。
問題は明日、着ていく制服がない。乾燥機などない時代。
俺は体操着で通学、笑われた。野郎は兄貴のお下がりで来やがった卑怯者。

3年の時、同じクラスになるが、蟠(わだかま)りはない。理由のない喧嘩は痕の曳きようがない。
別々の高校に進んだが、時々、コーシーを飲みに喫茶店に行った。田舎では学生服で喫茶店に出入りするのはいっぱしの不良気取り。会話もなく、一杯180円のブレンドコーシーをブラックですするのだが、奴は恥ずかし気もなく、砂糖とミルクをタップリ入れる田舎者。
一時間もして飽きてくると、カップを下げられまいと、互いに残した最後のひと口をズズ〜と啜って席を立つ。勘定はほぼ奴が持つ。バイトで貯めたゼニがあり、中古車も持っていた。

奴は高校卒業後、中野の警察学校に来て、おまわりさんになった。親父は愛知県警のデカだった。「太陽に吠えろのヤマさんだな」と奴は親父のことをそう形容したけど、俺から言わせれば、見た目は「チョウさん」だな、せいぜい。
で、奴はすぐにおまわりさんを辞めた。やってられんそうだ。
安城に戻り、家具屋で配達のバイトに付いた。

俺が東京で学生稼業を始めたころ、奴を呼んだ。仕事手伝え、と。
車でホステスさんを送り迎えする運転手。自家用車持参だと割りがいい。
奴はすぐ来て、両国の俺の部屋でしばしの共同生活、24歳の青年期。
やがて奴は職場で知り合った歳上の姐御と懇(ねんご)ろになり彼女の住居(ヤサ)に転がり込む。俺の方が奴より、姐御とは古い付き合い。
いやはや気っ風のいい、江戸っ子、ストレートな姐さん。
紆余曲折して、すでに35年、光陰矢の如し、ローマは一日にして成らず、少年老い易く学成り難し。いやはや。

2週間前、俺から電話を入れる。
「お前のいた陸軍中野学校にいるぞ」茶化しただけ。特に入院は告げていない。暇だから掛けてみただけ。
「奥さん元気か?」
「それがな、元気ないぞ」
「おう、どうした?」
「なんか、あっちこち痛いって、もう5年も家から出とらん」
「そりゃいかんな」
「免許の更新時期が来たけどな、もうクルマ乗らないからいらんってな、自主返納したぞ」
「ほうか、じゃあ奥さんのジャガーどうするだ?」
「俺が乗っとる。俺のオデッセイは廃車にしたぞ、去年の夏にな」
「ほ〜か、奥さんによろしくな」
「おう、彼女も時々お前のこと言っとるぞ、安藤くんどうしてる?って」
「ほ〜か、ところでお前の犬とか猫は元気か?」
「おう、犬はみんな死んだ。猫はあと6匹おる。一番チビが三ヶ月だから、こいつが死ぬくらいまでは面倒みるけど、こいつが最後だな、俺の寿命からして」
「ほ〜か、お前頑張れよ」
「おう、お前もな」

これが2週間前のやりとり。

今朝、手を滑らせた電話。奴から。
「おう、今日はな、残念なお知らせがあるぞ」
「おう、どうした?」
「彼女がな、死んだぞ」

痛みを苦にしての自殺だった。
5年間、最後の3年は本当に辛かたそうだ。
仕事を頑張って、家を建て、クルマも買った彼女。

24歳の時、俺はかりそめの付き合いだとタカを括り、数ヶ月後には奴がまた、両国の部屋に戻ってくると思っていた。35年といえば、奴の人生の半分以上。
奴の親父、チョウさんの葬儀にも痛い身体で熊本まで行ったんだ。
切ないね。

「葬儀は身内だけで済ませた。だけどお前だけには言っとかんといかんと思ってな。なんか泣けてきて仕方ないぞ」

奴の前では一切の泣き言も言わなかった。しかし、親戚や友達には電話でこう話していたそうだ。
「洗濯も、ごはんも、お掃除も、後片付けも、お買い物も、お父さんのためにしてあげれることが何もできなくなってしまった。だから生きていても仕方ない」
痛みよりも奴のことが優先だったそうだ。

あいつも真面目に働いていた。午前2時に出勤して医薬品を指定病院まで運ぶ日帰り長距離トラック。骨折で休んだ時以外は皆勤賞。給料の半分を生活費に、その半分を野良を含む犬猫のエサ代に、残りでタバコと缶コーヒーと昼の弁当代、それと通勤のガソリン代に充てていた。貯金はない。

俺たちの人生はこうして失われていくとしても、あの田んぼの泥沼や、学ラン姿の田舎のコーシー、ちょっとヤバ系のバイトや、人との出会いは、アルツが来るその日までは色褪せない。

死ぬなよ、生きろよ、と贈る声援は尊いけれど、受ける本人の苦痛や苦悩は背負う人へのさらなる重圧なのか。
痛みのための自死も辛いが、お前のための自死だとしたら、その愛は重すぎるな。

今日はみどりのの日。姐さんの名は「みどり」さん。
偶然の一致とはいえね。

少数派日記21