少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

6138 大鵬樺太

5/15/19

恥晒し国会議員の北方領土戦争発言に絡む、樺太にまつわるラグビー関係の未公開原稿です。

川上哲治監督率いる巨人は長嶋茂雄王貞治という稀代のスーパースターの入団で昭和40年から昭和48年にかけて前人未到のリーグ9連覇、いわゆるV9という日本シリーズもすべて制覇する比類無き強さを継続した。
 同時期に角界でも、巨人の強さに匹敵する無双の力士が国技館の土俵を圧巻していた。本名、納屋幸喜、昭和15年5月生まれだから北島忠治39歳の時に誕生した。ちなみに王貞治も納屋と同年同月に誕生している。納屋の人生もまた激動を真正面から「ひたすら前へ」進むような生き様であった。現役時代も引退後も、弟子たちに教えることは「前に出ろ」だけだ。「最初から投げを打とうではなく、前に出るという基本稽古の反復の中から自分の技ができる」と自身が監修された「相撲道とは何か」(KKロングセラーズ刊)のまえがきで、納屋は北島とまったく同じことを述べている。北島の思いを鏡に映したような昭和の大横綱大鵬幸喜の人生を紙面の許す限り追って見たい。

ー母子家庭 
 
 幸喜は今でこそロシア領(サハリン州ポロナイスク)となっているが、戦前は日本領であった樺太敷香町で男ばかり3人兄弟の末子として生まれた。父親はロシア革命樺太(日本)に亡命したウクライナ系ロシア人の騎兵隊将校マルキャン・ボリシコ、母親は小樽にほど近い後志管内神恵内村出身の納屋キヨであった。父は南樺太で肉や乳製品の卸業をして成功し、母は洋裁の技術を生かし洋裁店に勤務していた。樺太での暮らしは豊かな方だった。 
 しかし昭和19年、戦況が悪化すると、ロシア革命で亡命したロシア系移民に対してロシア軍が攻撃を始め、樺太庁は移民全員を安全確保のために外国人居住地に移送した。幸喜4歳の時、父マルキャンも移民として外国人居住地へ送られ、この時が父との最期の別れとなる。母キヨと3人の息子たちも戦禍から逃れるために、最終となる引き揚げ船で、母キヨの故郷がある小樽へ向かった。ところが船上のキヨの体調が思わしくない。疲労で困憊した身体に船酔いが追い打ちをかける。これ以上の乗船は危険、命に関わるとの判断で稚内での下船を余儀なくされた。あてのない底知れぬ不安の母と幼子の4名だった。ところが、母子が乗っていた最後の引き揚げ船は、小樽に着く直前に国籍不詳の潜水艦に撃沈されてしまった。キヨが体調不良に陥らなければ、「巨人、大鵬」のフレーズはこの世に存在しなかったことになる。そんな目には見えない神秘を幸喜は幼心に感じていたのかも知れない。前述の監修著書の中で、やはり次のように述べている。
「土俵は神の降りる場所で、取組の前に塩をまくのは己れの穢(けが)れをはらうためである。土俵入りは、地面の下の悪霊を踏み潰(くず)し、土俵を活性化させて五穀豊穣を願う意味があり、せり上がりは、腕の上にのった六00貫の邪気を持ち上げてはねのけるための所作である」(「相撲道とは何か」より)
 神から生命を与えられたのだという神秘は幸喜の潜在意識の中に確実に宿っていた。

下の写真、ラグビージャージは北島監督と、明大体育会。裸ん坊は大鵬の孫くん。

少数派日記21

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