6234 川崎球場のラーメン
6/13/21
fa30y(06/13/21) 7:29起床 w不測定
本日、ジムは出禁日、ウルトラ警備隊。入院中の母親から「26日ごろ退院。世話になった先生に挨拶に来て欲しい」とのこと。「行けたら行く」と返事。小田原の蒲鉾屋、山一さんからも電話。「82年生きてきて、最悪の状態」と。それでも、アメリンビンテージ2XLのTシャツ20枚の注文、ありがたい。利益は乗せず、原価で取り引き。駄賃は自腹では手が出ぬ高級蒲鉾。
さて、マサカリ投法の村田兆治さん。落合トレードで、しばらくの間、ロッテを担当した時期がある。
それまでのロッテ担当Aさん。まずイデタチはパンチパーマに白いブルゾン、ゴルフズボンに白のエナメルシューズ。持ち物は小脇に抱えるセカンドバッグひとつ。どう見てもその筋の人で、当時、各社にひとりふたりは、そういう記者がいた。
とりあえずAさんの原稿はお目にかかったことはない。当時、ヤクルトの原稿ですら、記事にさせてもらえない時代。申し訳ないが大洋とロッテは、もっとお呼びでなかった。
川崎球場のといえば女子トイレもないし、ビジターのロッカーは土間。あの王さん、長嶋さんでさえ、新聞紙を敷いて着替えしていたという凄まじい球場だった。
ということは私の職場であるネット裏の記者席など、さながら水島新司先生が描く南波高校(男どアホウ甲子園)の野球部の部室のように荒れ放題。ゲーム開始まで、各社のどぐされ記者ども(失礼)が雀卓を囲む始末(マジで事実)。
で、ゲームが始まるとA記者が「安藤、スコアだけはつけとけよ。で、なんかあったら教えろよ」と言って、あとは競馬新聞とにらめっこ。いい意味で、凄まじい時代だった。
しかし、時勢とは恐ろしい。何がどうなるか、全く予期できない。
そんなパンチパーマのギャンブル記者は、落合のトレードで、落合専属広報担当として、名古屋本社付きに。落合の在籍中にひと財産築いたという。
個人的には善くしてもらったので、悪く書くつもりはまったくないし、悪人ではない。特別に世渡り上手でもないけど、不良であることは間違いない。
桑田が巨人と密約しての記者会見で桑田に対して「キミはウソをついたのですか?」と質問して、当時は話題になった記者だ。
村田さんの話は明日に回すとして、そんな川崎球場では球場ラーメンが忘れられない。あれは実に旨かった。つまり、海の家的、もしくは山小屋的の美味さだったかもしれない。球場には、そこしか食事ができる場所がないからだ。
試合前の練習が終わるとロッテの先発選手も一般客に混じって、ラーメンを啜っていた。涙が出るほど庶民的な光景ではないか。
そんな中に、先発を控えた草履履きの村田兆治さんもいた。凄まじい時代だった。
デーブチャンネルでの実話。西武の菜食玄米主義の広岡監督時代、川崎球場でのラーメンの買い食いは禁止だった。しかし、どうしても我慢たまらず、禁断の麺に手を出してしまった大物選手がいる。渡辺久信投手だ。スタッフに現場を押さえられ、そのまま二軍に落とされた。古き凄まじい時代よ。
いや、川崎球場だけではない。かつての中日球場にも、食堂があり、「試合前のラーメン禁止」が打ち出された。出したのはこともあろう星野仙一監督だった。だれも逆らおうとは思わない。しかし、やはり我慢たまらん男がいた。
新人にして、その年のMVP、当然の新人王、ずば抜けた身体能力の持ち主、中尾孝義捕手だった。
それが遠因となり、中尾は星野監督の仇となる巨人へ西本聖とトレードに出された。
たかがラーメン、されどラーメンである。
ちなみにヤクルトスワローズの高津臣吾監督は良い人である。
現役時代、神宮球場近くの元祖札幌やにて、一杯の味噌ラーメンで取材を受けてくれたことがある。それ以来、ずっと応援しています。
本日もついてる 感謝してます。
少数派日記21