少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

6280 伊良部vs清原158k

6/26/21

fa30y(6/26/21) 7:21起床 w 951 →945

 本日は病院のハシゴ。両方とも足の件で、睡眠時無呼吸症候群に関しては科が違うとのことで、別日に予約とのこと。まあ、普通にそうでしょう。
 しかし、足の方ですが、「安藤さんが思ってる以上に重症」とのことで、セカンドオピニオンの医師とも相談。来週、さらに大きな病院へ行くことになりました。

 写真は笹塚「はだか電球」の鳥天ぷらランチ600円。呼び子さんが声枯らしているのに、誰も入らないから一番安いランチをオーダー。そして久しぶりの日高屋。ホッピー外だけ180円と冷凍そら豆180円。わたしゃこれだけで満足です。読書しながら、こいつをやる。長居したお詫びに最後に冷麺550円。アリでした。

 『伊良部秀輝

 1993年5月3日、西武球場での清原との対戦。電光掲示板には球速158kmが踊る。誰も見たことのない異次元の数字であった。
 伊良部秀輝、入団5年目、23歳。清原和博、プロ入り7年目25歳。伊良部の158kにも驚愕したが、この剛球をバットに当てファウルチップした清原にも驚かされた。幸運にも、私はこの勝負を、ネット裏上段にある記者席ではなく、ネット裏、グランドレベルの席から拝ませてもらった。打者、捕手、アンパイアの次に近いところからである。
 その投球は、本当に凄かった。凄まじかった。江夏さん、江川さん、山口高志さんらの全盛期の投球はブラウン管を通してしか見たことがない。ましてや、金田正一さん、尾崎行雄さん、はモノクロ映像、稲尾さん、沢村栄治さんは言い伝えである。この23歳の時速158kは、人間が投げる球ではない、とさえ思った。

 後日、千葉マリンでの投球練習。幸運にも、ブルペンキャッチャーのすぐ後ろ、可動式の防球ネットを挟んで、つまりアンパイアの位置より少し後ろで、伊良部の投球を見る機会に恵まれた。
 いきなりショートバウンド。恥も外聞もなく、私は避けてしまった。しかし、捕手は難なく普通に捕球。160k。投げる人も、打つ人も、それを獲る人、ジャッジする人、すべて尋常ではない。ある意味、クレージーであると確信した。

 伊良部秀輝、1969年5月5日、沖縄県コザ市(現在の沖縄市)生まれ。兵庫県尼崎市で育つ。実父は在日アメリカ空軍兵士であるアメリカ人スティーブ・トンプソン、日本人の実母・和江、ハーフとして生まれる。
 実父は間もなく帰国した。そのため、秀輝は父親の顔を知らない。また、黒人系であり、ハーフといっても目立つ存在で、幼少期から激しいイジメや差別を受けて育った経緯がある。

 尼崎市立常光寺小学校、尼崎市立若草中学校を卒業後、香川県尽誠学園に進学。2年の夏(1986年)と3年の夏の(1987年)の甲子園に出場。2年の夏は初戦で敗退したが、3年の夏では1回戦で優勝候補の鈴木健擁する浦和学院高校を破り、3回戦では試合中に右手を痛めて島田直也仁志敏久擁する常総学院に敗れた。高校では1学年後輩に佐伯貴弘、2学年後輩に宮地克彦がおり、佐伯とは寮で同部屋だった。

 この時期、私も甲子園で高校生の伊良部を取材している。ルックスはワルそうだが、無口で純朴な青年であったという淡い印象しかない。

 1987年、ロッテ・オリオンズが1位指名、契約金5000万円、年俸500万円。
初年度1軍登録されるも目立った活躍はなし。2年目に清原との対戦時に156km/hをマークするなど球速はめっぽう速かったが、コントロールが悪くカウントを悪くしては失投を痛打される。プロは速いだけでは通用しないと知る。

 入団3年目の1990年、プロ2年半の秀輝の通算成績は2勝7敗。球速140kのストレートでも、成績を積み上げる先輩の牛島和彦に弟子入りした。メンタルからフィジカルまで、投球術のイロハ、あるいは生き方まで牛島に伝授された。牛島道場は夜明けまで続くこともしばしばで、メジャーに行ってからも、悩んだときには牛島に国際電話を入れて相談に乗ってもらった。

 プロ入団後、秀輝はマスコミに対して悪態をつき、マスコミの評判は最悪だった。後から、書籍を読み、単なる「悪童」。悪気なく、思いついたままを口にしてしまう、いわゆる、いい意味でのクソガキ、悪タレ小僧であったのかも知れない。純粋であることは事実で、その裏返しが、ヤンキースへの移籍騒動である。

 1996年、ロッテ在籍9年目オフにニューヨーク・ヤンキースへの入団を希望した。しかし、ロッテ球団は提携球団のサンディエゴ・パドレスに伊良部の保有権を永久的に譲渡する契約を交わした。
 それに対し伊良部は「ピンストライプのユニフォームの重さというのは野球を経験した者にしか分からない」と主張しあくまでヤンキースへの入団に拘り、エージェント団野村と契約し対応。大型トレードを仕掛け、最終的に三角トレードという形でヤンキース入団を果たし、4年1280万ドルで契約(日本人初ヤンキース・メジャー契約選手)した。
 この時、取材陣に対し伊良部は「アンタら凡人にミケランジェロの気持ちが解るか?オレはミケランジェロなんだよ」という言葉を発したのだ。

 実際には生き別れとなった実父を見つけるには、MLB屈指の名門チームであるヤンキースでプレーするのが最善と考えていたためだが、伊良部本人はこのことを最後までかたくなに否定し続け、また、自身の実父がアメリカ人であることは知らなかったと虚偽の発言までしていた。

 1997年5月31日にヤンキース入団記者会見。NPB/MLBを交えた大騒動を経て入団したため、メジャー初登板初先発となった7月10日のデトロイト・タイガース戦では通常の2倍の観客が詰めかけた。
 このデビュー戦では、6回2/3を5安打2失点9奪三振の投球でメジャー初勝利で、前々年5月の野茂英雄もなしえなかった日本人初の初登板初先発初勝利を達成した。オーナーのジョージ・スタインブレナーからは「和製ノーラン・ライアン」と称された。
 しかし、2試合目は5回5失点、3試合目となった7月20日の試合では6回2/3を6失点で、降板するときにブーイング中のファンに向けてツバを吐きかけてマスコミを賑わせた。その後も成績は向上せず、8試合目の先発を終えた時点で防御率は7.98となり先発を外される。さらに、救援に回った最初の試合である9月5日も9失点で敗戦投手となり、スタインブレナーが「イラブにはもう期待しないよ」と述べるほどであった。メジャー1年目の成績は5勝4敗だった。

(つづく)

 本日もついてる 感謝してます。

明日はウルトラ警備隊です。

少数派日記21

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