少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

388  生みの苦しみ

読者のmikawakinta63さんから「生みの苦しみですな・・・」というコメントをいただいた。「喫茶店設立状況」の悪戦苦闘ぶりを読んでいただいた感想だ。言われてみて気付いたが、本当にそんな感じです。
どうやら、僕の人生はつまりそれが宿命なのかも知れません。
「1」から「10」にするより「0」から「1」にすることが、どれほど難儀なことか、とことんわかっているはずなのに、どうしてもそのスパイラルに陥ってしまう。
価値観の違う原稿を書かされる日々がどうにも我慢できず、予定より25年ほど早く辞めたマスコミ。膨大な借金を抱えて購入した笹塚の一軒家。やれることは趣味で集めた骨董品を売り歩くこと。笹塚の自宅一階を店舗にして、下北沢2店舗、代々木上原、横浜と店舗は拡張したが、物件探しから商品の仕入れ、と店を開店するには、本当に苦しんだ記憶が甦る。特に下北沢(下北沢レトロコレクション)は50人以上のコレクターさんから商品を預かって売る委託販売形式だったので、責任重大だ。開店日前一週間は連日泊まり込みの徹夜作業だった。あの頃はまだ体力もあり、いろんな人が出入りしていたので緊張が続いていたけど、今はいかん。トヨジもいないので、連日無言のひとり作業だ、さすがにこれはこたえる。
骨董屋時代は店の他に土日祝日は神社仏閣の骨董露天市やデパートの催事や各種イベント、あるいはフリマなどにも出店した。僕の商品はどの催事にも対応できた。つまり、不安だから保険をかけてリスクを分散しただけなのだが、そこまで必死にやらないと家賃や人件費で食われてしまうからだった。それにこれ一本で闘えるのいう大黒柱がなかったからだ。その日々も天候や場所や客層によって商品を変えなけねばならない。つまり小さな「生みの苦しみ」がある。やっと開拓した新天地も役所などの圧力や何やらで廃止となる憂いもままあった。
腎臓移植のコーディネートは、勤務していた米国医療機関からの要請で、スタート当初は援助があったのだが、厚生労働省の担当官から「違法制が高い」と判断された時点で、医療機関は手を引いた。もちろん、僕もその判断に従ったわけだが、4人の患者さんから、救助のアプローチがあり、自費で動いた。その時はSさんという、最高に敏腕な女性パートナーがいてくれたおかげで、なんとか合法的に患者さんのリクエストにお答えできた。しかし、そこまで辿り着く道程は本当に険しかった。Sさんとは非常に高いレベルで方法論の食い違いがあり、彼女は何度も泣いた。人前でも泣いた。でも、中国人スタッフは僕らのこの姿を目撃して、本当に真剣に取り組んでくれるようになった。ずっと前に書いた億万長者になった女性(273・広州にて、チャイナドリーム=2010/7/24)は、まさにこの時のスタッフだった。
そんな思いをして構築した体制だが、それも今回の日中関係で情勢が変わり、さらに継続が困難となった。(もちろん次の手は打ってありますが)
安城に来て8日目だが仕事以外で人と口をきいていない。先日も、母親と食事をしながらテレビを見ていて「くだらない番組ばっかりだなあ、こんな番組ばっかだから、日本人がますます平和ボケになる」と独り言を漏らしたら「こういう番組を見たい人だっている。あんたはすぐそういう自分のことしか考えないことを言うから人に嫌われる」と言われたので、何も発言しないことにした。
かと言って誰かとのんびり話をする心の余裕もない。「喫茶店」の次は「上海のレストラン」が控えている。泣きごとを言えば神経が圧迫されて右手親指に力が入らず、ほとんど左手での作業。実は足の指も骨折している。長袖のシャツもない。
今夜、山形の栄光富士という大切な日本酒を一合だけ飲んだ。付き合いでは飲むが自宅では晩酌すらしない僕が珍しく飲んだ。
この日本酒は僕にとってはものすごく特別な酒。7月22日の彼女から少しだけ力をもらいたかった。