少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2839 昭和のプロポーズ(松崎尚夫先生 追悼記6)

8/15-17

「実は・・・独身だと、申し込む権利がないんだ・・・。家族持ちでないと、申し込むことすらできんのだ。まあ、結婚してなくても、婚約者がいる・・・ということなら、なんとか申し込みはできるみたいなんだ。今日、市役所に行って確かめてきた」

なんの話だかわかりますか?

これが、松崎尚夫先生のプロポーズだったそうです。
松崎先生 追悼記6

昭和40年代の愛知県安城市トヨタ自動車が最盛期を迎え、隣市の安城市はベッドタウン化の先駆けとなり、農地が宅地化され市営の分譲住宅が売り出された。
松崎先生が住む別所団地もそのひとつ。市営であるため、妻帯者もしくは親子兄弟など家族同居が条件となり、その上で抽選。

松崎先生はこの団地の購入にかこつけ、どさくさにプロポーズしたと言うわけだが、それはそれで、カッコいいではないか?

「当初、売り出しは8棟だったんですよ。でも、抽選でうちは外れちゃったんですよ、ホントはね。で、補欠の1番というのをいただいて、もう、諦めていたんですけど、前の方がキャンセルされたとかで、繰り上げて当選させていただいたんですよ」とは、プロポーズされた寛子夫人。

偽装婚約が成立したというわけですか?

「はい、私もね、最初は団地を購入するためだけのお話とばかり思っていたんですよ。そしたらね、本当に結婚する言うもんですから・・・」

なんとも美しい昭和のラブストーリー。サプライズプロポーズの先駆け最先端。

嗚呼、「新婚さんいらっしゃい」に出て欲しかった〜!

2838 私的甲子園・最後の夏

8/14-16

東邦高校凄いな、2-9で負けた・・・と思って、8回くらいから、これ、書き始めたら、逆転サヨナラとはね。あんなに得点差があったのに、全員笑顔のベンチ。なんかあるな、とは思ったけどまさかね。

ここからは、試合中に書いたものです。今日のゲームとは関係ありません。

私的の思い出話です。高校野球に興味のある方、およびお暇な方、限定です

愛知190校代表の東邦高校。たぶん、ここへ来るまで、他県より2試合分は多く戦っている。
39年前、夏の甲子園東邦高校バンビ坂本投手、当時1年生。ナマで見ましたよ。

愛知大会の準決勝と、決勝。熱田球場で。

私も当事者、もっとも、我があんまき高校は県予選初戦敗退。

当方二塁打で、新聞に小さく名前のみ出るも、その程度。
しかし、安北中同期は野球エリート。

大府高・酒井稔(→中京大で1、2年の2年間だけで27勝は記録。体育会上下関係が嫌で2年で退部)、

名電高・内藤真始(→国鉄名古屋、10年以上は補強選手として社会人野球に出場)、

田英夫(→軟式野球の全国大会常連の小林記録紙へ) 。

この3名は全員、ドラゴンズからドラフト外指名受けました。
で、大府と名電が、別ブロックで勝ち上がって来たので、どっちに転んでも、この夏はアルプススタンドで応援だな、と決めつけていました。
で、準決勝の大府戦で、東邦が1年生の坂本。

「誰や、あの一年坊主? 3ヶ月前は中坊やで」みたいな軽口を叩きながらスタンド観戦。

大府・酒井が味方のエラーでまさかの敗退。
翌日の決勝は名電。投手は読売から4位指名の鈴木伸良。1年坊主が相手では楽勝。

当日は大府の酒井稔と一緒に観戦。

酒井も坂本から2安打して「大したことない」というので安心してみていたら、結構な大差で名電の負け。

俺たちの夏はジ・エンド。東邦には一人行ったけど、途中で辞めた。

酒井自身も東邦の推薦が決まっていたけど、公立に合格したので、大府を選択。

結局、その夏。1年生坂本は甲子園でバンビとなり、奇跡の決勝進出。

東洋大姫路に敗れたものの、凄い。
その年のセンバツで名電は初戦で箕島に0-1で敗れるも、箕島が優勝。

ということは、やはり名電は強かった。
というわけで、ちなみに、箕島・上川誠二(中日→ロッテ)と、

東洋大姫路宮本賢治(亜大→ヤクルト)は同期、東中で担当させていただきました。

2837 SMAPの憂鬱

8/14-16

人気も仕事も地位も財産もふんだんにあり、まだまだ若さもあるのに、無いものは・・・。
元リーダーは週に何度かは自宅で独り焼酎の晩酌、アテはコンビニ食材に手を加えたもの。

テレビ用のネタかも知れないけど自告なので、嘘ではなかろう。

私をはじめ、同じ境遇にある輩には好感度高い。
溜池公園、泥酔全裸正座くんは、あの事件以来、急に親近感を抱き、私的に好感度抜群。

「みんなで、せーので脱走しようぜ」つったのに、一人だけ抜け駆けて事前に看守に脱走計画をバラす。そらアカンw〜。
仕事が無くてピ〜ピ〜なら、オトコを殺して我慢もするけど、裏切り者と笑顔でオシゴトは、自分も性に合わない、ケツ捲りに異存なし。

曲がったことは大嫌い、身も心も亀有公園前のお巡りさんになった両津さんにエールを贈りたい。
どんなに干されても、裏切り者以外の4名様は、私は理解いたしますので、ご安心ください。

2836 笹塚・大國家

8/14-14

一年に一度か二度だけ、ひとりでふらりと居酒屋に入ります。
日高屋で、390円の中華ソバか520円の中華丼を食べようと、ふらり出た夕方。

電気スタンドの蛍光灯が切れたので、立ち寄った電気屋の街頭テレビで甲子園にはまり、立ち見すること一時間。山形中央の9回逆転勝ちに、なんとなく嬉しい気分。
笹塚駅改札から徒歩3秒の、老舗居酒屋「大國家」さん。
笹塚に来て、18年間経ちますが、18年間、ずっと気になっていた店。
基本、酒好きではないので、入る理由がなく18年間。
死んだ親父が好きだったくさやの干物があるということで、さっそく、くさやの干物1000円を注文。
ひとりだと、ビール大瓶飲むのに一時間はかかる、というか、飲み切れません。
話し相手がいれば日本酒なら二升、バーボンならストレートで一本は飲みますけど、基本、酒は飲みません。
何より辛いのが、他の客の関節喫煙。

タバコはNGなので、喫煙者とは、基本、飲みません。
結局、ビール一本飲めず、そろそろ引き上げます。

2835 最期の瞼(松崎尚夫先生 追悼記4)

8/13-17

あと一分、あと一秒でも長く一緒にいたかった。
もう少しだけこの世で手をたずさえて生きていたかった。
それが今の私の正直な気持ちです。

お別れの会で、近親者に配られたお礼の書を寛子夫人から、いただきました。

松崎尚夫先生 追悼記4。

6月13日。その日が松崎先生の退院予定日でした。
軽い昼食を済ませた早い午後、寛子夫人は予定通り、二時に先生を迎えに行くために車を走らせました。しかし、病院からは「急いでください」とだだならぬ緊急の電話が・・・。

「まさかそんな」
常識ではあり得ない。一日前の今ごろは、夫妻は普通に話をしていた。帰宅してからの生活の準備。介護用品も全て準備して、あとは先生の帰宅を待つだけだった。

「でもね、主人は私を待っていてくれたんです。『もう意識ないです』って先生(医者)に言われたんですけどね。私、大きな声で主人の名前を呼んだんです。そしたらね、目を開けてくれたんですよ。もう、瞳孔はね、よくわからないんですけど、そう、焦点は合っていなかったと思うんですけど、一生懸命ね、私のことを探すように・・・」
でも、松崎先生はまた瞼を閉じた。
「お父さん、いかん。もっと生きるって言ったじゃない・・・私、そう言ったんです。そしたらね、また、目を開けてくれたんです」と寛子夫人。

先生を訪ねた七人の野郎ども、知立高校の教え子たちも鼻をすすった。

「私ね、見たんです、最後にね。医者がね、もう意識ないっていう人が、なんで瞼開けれるのかなぁって。しかも二回、瞼を開いてくれたんです。だからね、私はね、戻って来てくれるもんだと思って、一生懸命、名前呼んだんです。そしたらね、本当にまた、瞼を開けてくれたんです。でもね、その時はね、前の二回と違ってね、ああ、これで終わりなんだなぁて気がしたんです。そしてね、最終的に瞼を閉じるんですけどね、今までとまるで違うんです。ゆぅくり、ゆぅくり、この世を惜しむかのように、ゆぅくりと、まるでね、舞台の緞帳が降りるように、ゆぅくりと。あんな瞼の閉じ方、人間できませんよ。本当にゆぅくりと、ゆぅくりと・・・」

私は真似をしてみた。本当に出来ない。日常生活で、意識して瞼を閉じる行為はない。先生は瞼を閉じたくなかったのだろう。
一分でも一秒でも長く、先生もまた寛子夫人と手をたずさえて生きていたかったに違いない。

熟年離婚、不倫、家庭内ホームレス・・・
家庭という惑星が不協和音に軋(きし)むのはワイドショーの芸能人ばかりではない。彼らは単なる一般世間の代表者。

今際の際で、「あと一分一秒でも一緒にいたい」という夫婦は、私の中で、それはドラマの中だけのおとぎ話の世界だと決めつけていた、恥ずかしい。

心をみがいておけ

松崎先生の遺言。
心をみがき続けた人の答えがそこにあった。

この季節にみかん。
帰り際に寛子夫人から、それぞれに二個ずつ配られた。
特に誰も言われを聞かなかった。

松崎先生の実家は渥美半島田原町、みかんの産地。
松崎先生からの真夏の甘味の贈り物。
戦時中、パン屑を拾い集めて空腹を凌いだ先生の命のみかん。吉田ゴリラーマンよ、心して食したまえ。

2834 心をみがく(松崎尚夫先生追記3)

8/12-17

仲間たちよ
心をみがいておけ
こわれゆく体が
美しい心に
からくも
支えられている日も
やがてはくる
その日のために
心をみがいておけ
仲間たちよ

松崎尚夫先生 辞世の句 追記3

昨8/11 6月に他界された、知立高校の松崎先生宅を訪問させていただきました。

来れる人のみの小さなお別れ会。

「『あ〜、一度でいいから、空気を思い切り吸ってみたい。深呼吸をしてみたい・・・』肺を患ってからの、それが主人の口癖でした」と寛子夫人。

自分も一瞬でいいから、耳鳴りのしない時が欲しいと、ふと願う。でも耳鳴りはいい。

寝れば何も聞こえない。しかし、呼吸は違う。寝てる間も苦しめられる。

「陸に上がった魚と同じだ」とも表現されたそうだ。

言葉は怖い。聞いてるだけで息苦しく感じた。

「これが主人の絶筆です」
病院の食事メニューの裏に鉛筆で書かれていたもの。

夫人から手渡され、先生の遺影を中心に馬蹄形に座した教え子たちが、それぞれの思いで回し読みした。

先生の命を賭した句。
「年寄り」が消され「仲間たち」に書き換えられた。
先生と我々は教師と生徒の枠を超えて「仲間」になった。

心をみがく

先生が命を賭して教えたかったこと。

ゴリラーマン吉田くん(写真のゴリラみたいな子)の胸に届いただろうか?

ヤツは凄い。いまだに現役で野球を続けている。熱い男だ。

「おまえもフェイスブックやれ」と言うと「どうせ安藤のオモチャにされるだけだでやらん」と。

リクエスト通り、オモチャにしてやる、訪問後、コメダでカキ氷、カメラを避けるシャイなゴリラーマン。

1時間の想い出話、後半はずっと笑い話になった。

奥さんの要望で、自宅のタンスの移動に58歳軍団、大汗だ。エース・トヨジ不在が痛いがテツシが奮闘してくれた。みんな先生に迷惑かけた「罪滅ぼし」のつもり。無論、優等生の私は陣頭指揮で指図のみ。皆の衆よく頑張った、ご苦労ご苦労!

テツシ、ゴリラーマン吉田、青木ガストミ選手、植村、野村バカボン、ミキオ。

みんなの想い出話、楽しかったよ。ありがとう。

(この日、行けなかったみんな、機会があれば行きましょう)

2833 万引き鉄人28号

8/12-14

これじゃ、完全な万引き天国。
盗んだモン勝ちってなんなんだ?
鉄人25万円。従業員が一ヶ月働いても稼げない額だぜ。
まんだらけさんを支持しますが、高額品は鍵付きガラスケースに入っているはずなので、客のフリして、買うふりして、巧みに鍵を開けさせたんだろうな。
3枚目、5枚目の写真は、新安城レトロカフェ・ビリケン
4枚目は、かつて経営していた下北レトロコレクション。
同じ万引き被害に苦しむ、全国通津浦々の小売商店のためにも、まんだらけさんの英断を支持します。

 

コメント

金沢さん        これ見ました。
いくら法治国家と言っても全くおかしな話しです。店側はかなり譲歩して配慮を感じます。
こんな事で訳が分からない人権だとかなんとかがまかり通るなば、同じような事をするの盗っ人が増え続けていくと感じますが。何が人権ですかね〜。

安藤総理         金沢さん、まったく同感です!
もし、冤罪なら、まんだらけも、それだけのリスクを背負っての決断なので、勇気ある行動だと思います。