少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

402  タクシーの彼方

ある意味、多くの人々の人生を乗せて走るのがタクシー。どんな悲しみや喜び、苦脳や目的を抱えて行き先を告げるのか、ミラー越しに垣間見る商売がタクシードライバー。彼女の父上の通夜の斎場から最寄駅まで、足の痛い僕は歩けない。葬儀社の方にタクシーを呼んでいただいた。
彼女との仕事上の付き合いは長く、仕事が遅くなった時などこの近辺に実家のある彼女の家まで車で送っていたので、懐かしい風景だった。
そんなことを、ふと漏らしたら、運転手さんが「実はウチの嫁もこの辺りが好きで、住みたい、なんて言うんですよ」と言う。
「そう、だったら住めばいいじゃない」
「それで休日には彼女を連れて物件とか探しに来るんですよ」
「仲いいんですね。いいところが見つかりましたか?」
「でね、彼女があのマンションに住みたい・・・って言うから、訪ねたら、なんと老人ホームでした。笑っちゃうでしょ」
「かわいい奥さんだね」
「ええ、でも僕より年上なんです」
「年上、いいじゃないですか。いくつ?」
「彼女30歳と半年。僕は28歳だから二つ半年上なんです。でも若く見えて、23とか24とかみんなに言われます」
「うらやましいな。ラブラブだね」
「はい。でも年上らしいことは何一つしてもらってませんけどね」
「じゃあ運転手さんに甘えてるんだ。それもいいじゃない。羨ましいよ」
「はい。でも彼女、病気なんです」
「えっ、そうなの?」
「はい。実は鬱病で・・・。ちょっと大変なんです」
「もう長いの?」
「そうですね・・・」
「じゃあ、抗鬱剤は飲んでるよね」
「はい、かなり・・・」
「あんまり良くないんだよね、あれって」
「そうなんです。でも、もう無いとダメですね。手首も何度も切ってるし・・・」
「ええ〜そうなの。それはちょっと問題だね」
「実はとんでもない家庭環境に育って・・・。酷い家なんです」
その先を聞くべきか聞かざるべきか、僕は「う〜ん、そうなの」と言って、あとは彼の反応に任せた。そして彼は自分から口を開いた。
「彼女、6人兄弟なんですけど、そのうち4人の弟と妹が全員知的障害者なんです。唯一、まともだった兄はもうとうの昔に逃げ出して、今も行方不明なんです。両親は働かず、彼女の働いた金は一円も残らず家に入れていたんです。鬱状態で動けない彼女に、働きに行けって母親が蹴飛ばすんですよ、信じられないでしょ」
「あなたはどこで彼女と出会ったの?」
「お互いの実家が近くで昔から知っていたんです。僕が中に入って、兄弟は全員、福祉施設に入れるよう手続きをしました。両親も生活保護が受けられるように、手続きしたから、今はそれだけで生活させています」
「あなた、優しい人だね」
「ええ、まあ・・・」
「彼女、あなたと巡り合えて、本当に良かったね。地獄から救い出してくれたんだもんね」
「はい。彼女もそう言ってくれています」
「おれ、何にもできないけど、頑張ってよ。彼女をもっと幸せにしてあげてよ。そうしたくなる相手が存在するだけで、苦しいこともいっぱいあると思うけど、それが運転手さんにとっての幸せじゃないかな、ってそう感じたよ」
「はい頑張ります」
タクシーは目的地に到着した。斎場から長津田駅まで約10分。誰かに話すことによって彼の苦脳が解消されるなら、それでいい。恐らく二度と出会うことのない彼と僕。知らない者同士が触れ合う10分ちょいの奇跡。知らない者同士だから話せる真実もある。ミラーを通して語る彼と、彼の後頭部に答える僕。二人の距離は思ったほど遠くない。彼のハンドルの彼方には何が見えるのだろうか。
終電までまだ時間はあった。「酒が無理なら、ちょとお茶でも飲みに行こうか」。そんなひと言、かけるだけかけてみれば良かったかな、なんて今ごろ思いついたりしている。