少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

3434 樺太と大鵬

11/17/18

FBFの皆さまおはようございます。安倍ちゃんプーチン会談を記念して「忠治と幸喜」(安魔鬼太郎作)の抜粋記事、サービス投稿です。

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 幸喜は今でこそロシア領(サハリン州ポロナイスク)となっているが、戦前は日本領であった樺太敷香町で男ばかり3人兄弟の末子として生まれた。父親はロシア革命樺太(日本)に亡命したウクライナ系ロシア人の騎兵隊将校マルキャン・ボリシコ、母親は小樽にほど近い後志管内神恵内村出身の納屋キヨであった。父は南樺太で肉や乳製品の卸業をして成功し、母は洋裁の技術を生かし洋裁店で勤務していた。樺太での暮らしは豊かな方だった。 
 しかし昭和19年、戦況が悪化すると、ロシア革命で亡命したロシア系移民に対してロシア軍が攻撃を始め、樺太庁は移民全員を外国人居住地に移送した。幸喜4歳の時、父マルキャンも移民として外国人居住地へ送られ、この時が父との最期の別れとなる。母キヨと3人の息子たちも戦禍から逃れるために、最終となる引き揚げ船で、母キヨの故郷がある小樽へ向かった。ところがキヨの体調が思わしくない。疲労で困憊し身体に船酔いが追い打ちをかける。これ以上の乗船は危険、命に関わるとの判断で稚内での下船を余儀なくされる。あてのない底知れぬ不安の母子4名だった。ところが、母子が乗っていた最後の引き揚げ船は、小樽に着く直前に潜水艦に撃沈されてしまった。キヨが体調不良に陥らなければ、巨人、大鳳のフレーズはこの世に存在しなかったことになる。そんな目には見えない神秘を幸喜は幼心に感じていたのかも知れない。前述の監修著書の中で、やはり次のように述べている。

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「土俵は神の降りる場所で、取組の前に塩をまくのは己れの穢(けが)れをはらうためである。土俵入りは、地面の下の悪霊を踏み潰(くず)し、土俵を活性化させて五穀豊穣を願う意味があり、せり上がりは、腕の上にのった六00貫の邪気を持ち上げてはねのけるための所作である」(「相撲道とは何か」より)
 
 母子家庭という点でも忠治と共通している、それも戦争というやむを得ない状況が夫婦と父親を引き裂いた。幸喜は母親の再婚などで稚内から紆余曲折して釧路にたどり着いくと上川郡のある弟子屈(てしが)高校の定時制に進学した。弟子屈高校の校訓は「自彊不息(じきょうやまず)」であるが、これは幸喜にとって実に運命めいた意味を持つ。

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 原文は古代中国の易書(易経)にある。易(占い)は中国の政にとって切り離せない重要な位置を占めている。原文は「易日、天行健。君子以自彊不息」。日本語訳は「易日、天行健なり。君子はもって自ら彊(つと)めて息(や)まず」となる。天地の運行が健やかであるように、自らを逞しくするために、絶えず鍛え続けろという意である。この言葉はそのまま幸喜の人生に当て嵌まる。

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 幼年期は納豆を売り歩いて僅かな賃金をかき集めては母に渡した幸喜だが、中学生になると昼間は林野丁の下請け作業をしてなんとか食いつないだ。昭和31年に二所ノ関部屋の一行が幸喜の暮らす訓子府町へ巡業に訪れた際に紅葉山(当時)の紹介で稽古を見学、その時に振舞われたちゃんこ鍋のあまりの美味しさも入門の動機となた。定時制を中退して16歳と2ヶ月での入門、当時の体重はわずか70㎏のやせっぽちだった。年代を考慮したとしても力士を目指すには心細い体格であった。