少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

444  私的近況報告

スイートルーム13日目(11/24)。暴走癖のある僕は、誰かが止めてくれないと、突っ走り、そしてぶっ倒れるのです。いつものパターンです。今回も母親がそんな姿を目の当たりにして「いい加減にしなさい」と何度も止めてくれたのですが、所詮、親の言うことなど聞かないのが愚息としての使命でもあるのです。
さらに「ガムシャラ」だけを武器にしたフリーランスの労働者ですから、常に「行けるところまで行く」が信条です。
13日間、ドクターM島とコンシェルジェの言うことをきちんと聞いて真面目なスイートライフを送りましたので患部以外は大変順調です。「あとどれくらいですか?」とDR・M島に尋ねると「それはこの人が決めてくれます」と僕の患部を指さしました。「聞いてみましょうか?ああなるほどね、はいわかりました、安藤さんに伝えます。あと2〜3か月だそうです・・・」。おいおい・・・(汗)。
中途半端でトンズラしたビリケンカフェはチャコたちに丸投げするとして、12月の上海行きはどうなるんだろう・・・?
昨日23日は長野の予備校時代の同期生、N原くんとA木くんが遊びに来てくれた。DR・M島、レッドキングF島とみんな同期生だ。当時の話題になると話が尽きない。ある深夜、日大二高の野球部出身で一番図体のデカいN原を揺り起した。「おい、これから肝試しだ。幽霊の出るトイレを見に行こう」。僕は怯えるN原を無理やり誘った。「あの奥から2番目のトイレだ」「もう止めましょうよ」と腰の引けたN原の手を無理やり引っ張り、暗闇の中、僕はトイレのドアを開けそして「でた〜」と奇声を上げた。振り返るとN原が腰を抜かしていた。
「おれ、人生の中であんな怖い思いしたの、後にも先にも、あの時だけっすよ〜」とN原はまだ覚えていたらしい。実は僕も人生の中であんな腰抜かした人間を見たのは、後にも先にも、あの時だけっす。
昨日、本当はもうひとり、仙台からS社長が僕に会いにくる予定だったが、午前中に電話が入った。
「安藤さんちゃ〜。おれ、今、宇都宮まで戻って来たっちゃよ〜。本当は安藤さんに会いたかっちゃ〜。でも、きのうも負けて、落ち込んでるっちゃよ〜。しっぺい(失敗)したっちゃ〜。やっぱきょう帰るっちゃから、また出直してくるっちゃから、ほんとにごめんちゃね〜」
別に言語障害がある方ではない。そういう話し方なのだ。愛すべき仙台のおっちゃんで僕は「社長」と呼んでいる。ふらっと仙台からベンツでやって来て「安藤さんに会いに来たっちゃよ〜。今どこさいるべえだか〜?」と僕の自宅近くまで来て電話を入れてくる。
予告なしで来るのが「社長」の特徴で、過日、笹塚駅前から「これからお茶でも飲むべか〜」と電話をいただいた時、僕は安城でカフェを作っていた。20日過ぎには東京へ帰ると伝えたので、社長はそれに合わせて仙台から出てきたのだが、そのまま寄り道せずに来ればいいものを、土日があったので中山競馬場に吸い寄せられてしまった。
土曜日に200万。その穴を埋めようとして日曜日に50万。愛すべき仙台のおっちゃんは、博才がない。僕は言ってやった「社長、目を覚ませ」と。「んだっちゃあ〜」とおっちゃんは元気なく答えた。
きょう24日は、午後、「霊波之光」のYさんが、ご祈願のお札を持ってきて下さった。立川から新横浜に行き、そこから世田谷だ。それも仕事の合間を縫って。特に親しい間柄というわけではない。ただただ僕の足が完治することだけを祈るためだけのために来てくれる。もう3度目だ、本当に有難い。
夕方には彫刻家の山本先生から電話をもらった。いろんな角度から的確なアドバイスをしてくださる。とても参考になる。頼りになる先生だ。
さらに、「ビリケン」カフェの看板のデザインサンプルが岩手のコシェルさんから届いた。最高の出来だ。これまで、彼のデザインでオリジナルのパンフ、ポスター、名刺、Tシャツ、前掛けを作ったがどれも好評だ。カフェの看板もみんなから愛されるでしょう。