少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

438  いじめの記憶

今でも忘れられない体験があるので、この機会に記しておこうと思います。僕が安城北部小学校5年生の運動会の時です。
学年でも有名ないじめられっ子がいました。同学年のKという女の子です。いじめられた理由は彼女の身体的なことです。特に一部の男子からいじめを受けていましたが、僕個人はその男子らに注意ることなく、見て見ぬふりをする一人に過ぎませんでした。
しかし、運動会の時、彼女のせいでリレーに負けたとかなんとか因縁をつけていたシーンにたまたま出くわしてしまいました。場所は足洗い場です。(当時の運動会は裸足だったので、足洗い場があったのです)
足を洗っていた彼女を3人の男子が囲むようにして罵声を浴びせていたのです。彼女は手で顔を覆い声をあげて泣いていました。
もう僕は我慢が出来ず「何やってんだ、お前ら」とその中に飛び込みました。僕のあまりの形相に彼らはぶつぶつ言いながら、すぐにその場を立ち去りました。周囲の子供たちが遠巻きにしながら、そんな僕を見ていることを感じ、とても照れくさくて、僕もその場から早く立ち去りたかったのですが、彼女の泣き声がしくしくからわんわんとエスカレートするのです。僕は「もう大丈夫だから」と彼女の肩を揺さぶりましたが、彼女は泣き止みません。
そこへ担任のSという女教師が、何人かの女の子に手を引かれやって来ました。開口一番「何やってんの、あんたは」と怒鳴り声とともに、Kを慰めてる僕の腕をつかむと、Kから僕を引き離したのです。
あきらかにS教師は僕がいじめの犯人だと思い込んでいたのでしょう。日ごろの僕の行動からすれば、疑われても仕方ない面も確かにありますが、それにしてもあんまりです。こちらが言葉を発する間もなく、「そんな人は運動会に参加する資格はありません、とっとと帰りなさい」と言われ、僕は反論する気もなく、近くにあった椅子をつかみ、その椅子を女教師めがけて、思いっきり放り投げ、そのまま帰宅しました。
Kの泣き声はさらにボルテージが上がり、かなりの野次馬が集まりましたが、僕はそのまま家に帰ったのでその後、どうなったのかはわかりません。
Kがあの時「違うの先生」と言ってくれれば、僕の冤罪はその場で晴れたのですが、Kはすでにパニック状態になっていたので、とても無理な話です。女教師を呼びに行った生徒たちも、恐らく僕がいじめの3人を蹴散らした場面を見ていないので、いじめの一味だと思ったのかも知れません。でもいいんです。Kだけは事実を全部知っているのだから。
その日から、先生という生き物が大嫌いになりましたね。まあ、当然でしょう。いくら寛大な僕とて、許しがたい。今なら訴えてやるところです。
その後も中三までは先生というものを信用も期待もしなくなりました。
高校生になってからは、こちらもある程度、意見を言える立場になったので、先生の苦悩なども人間として理解できるようになり、高校時代の先生とは今でも交流があります。
たまたま僕は小5にしてすでに人間が出来ていたので(どうだ)、グレることなく、中学生になりました。
おそらく、どこかですでに(恐らく何度か)臨死体験をして脳幹が鍛えられていたのでしょう。おしまい。