4818 光の格差
2/21/18
FBFのみなさま、おはようございます。
どんよりとした明け方のTokyo City・・・
嫌いではありません。落ち着きます。
そのココロは、ガラス窓の向こうとこちら側の温度差(格差)が無くなるからです。
ガラスのこちら側は、どんなに蛍光灯で灯りを放っても、6000℃の自然光には敵いません。所詮は作り物の光。廊下を照らしても、心や未来を照らすには及びません。
病院内の蛍光灯に希望という光はなく、窓の向こう側が輝けば輝くほど、その格差落差に、ベッドの上の人は絶望を知り、自身がどうしてこうなってしまったのか、ということを振り返り、悔やんだり嘆いたりするものです。
私にような常習者は、いずれ退院の日がくる、と出口があるトンネルですから、北島先生の教えのように、邪の道は踏まず、体内の破壊された細胞たちに「前へ 前へ」とゲキを飛ばし、再び力強いバインディングで、裂かれた皮膚同士が、完全に結合し、一体となって、己の体重を支えきれるのを待ちます。
とはいえ、ここはどうしても「病いの集合住宅」すなわち病いの院。生命維持装置のあの世とこの世を結ぶ最後の機械音。うめき声。昨夜は、見舞客を見送った一階の受付で霊安室を案内せれている人を見かけました。「すみませ〜ん、どなたか来てくださ〜い、助けて〜」と同じ階の病室から悲痛なSOS。車椅子を飛ばすと両手を布で縛られた上品そうな老婆の姿が。
寝てる時以外は、ずっとそう叫んでいるみたいで、別病棟から回されてきた。意識ある老婆もさぞ辛かろう。維持装置に繋がれているお爺さんはどうか。生死の価値観の基準は、もはや肉体の持ち主ではなく、家族や医師という第三者の手の中にしかない。
病院が何故、どんよりとしているのか? ひとつの仮説を打ち立ててみた。誰が、いつから、ここを「病院=病の院」と命名したのだろうか?
少なくとも英語では「hospital」である。古代ラテン語が語源で、意味は数多の巡礼者、参拝者を「暖かい心でもてなし、傷ついた者や疲れて果てた者を癒し労わり、空腹な者には温かいスープとパンを、不眠不休の者には柔らかい毛布とベッドを」という意味で、これは決して拡大解釈でありません。しかも無料、つまりはボランティア、すなわち宗教、すなわち教会が行なっていた聖的奉仕でありました。
なるほど、日本では「Hotel」を想像してみてください「hostel」(youth hostel=ユースホステル)というのもありますよね。あと銀座の「hostess=ホステス」さん、歌舞伎町の「host=ホスト」あんちゃん、パーチーの主催者も「host=ホスト」、ハンバーグはやや高めだけど「ROYAL host =ロイホ」。
共通点は「オ・モ・テ・ナ・シ」クリステルです。
つまりホスピタルとはオモテナシが原点。
ですから病院とは患者来たら、神様が来てくれたと喜び「さささ、こちらへどうぞどうぞ、食事は何がよろしいですか?すき焼きですか?握りもありますよ! え、崎陽軒のシュウマイ弁当? はは、すぐに手配させていただきます。 ナースは写真で選べますがお好みは? イヤイヤ大丈夫ですよ、ウチは優良病院ですから、修正とかしていませんし。あ、ぽっちゃりタイプ? はいはい。あとコスチュームも選べます、別料金になりますけど。え、せっかく病院に来たからナースのままでいい? けど、お客様、キャビンアテンダントとか、婦人自衛官の戦闘服も大人気ですよ! え、婦警だけはやめてくれ? ああ、駐禁でやられたクチでしたか、実はアタシもですよ。 あのミニパトから顔だけチョロ出しして孫の手の先につけたチョークでタイヤにピュッと線を描くのは酷い。あれは落書きで器物破損罪ですわな、厳密にいうと。で、お部屋は個室?それとも大部屋? 大部屋は雑魚寝になりますけど、よろしいでしょうか? 雲黒斎さまがもれなく紛れておりますが。 では、最後にオモテナシの方法ですが、手術、クスリ漬け、放置とありますがどういたしましょうか? オプションで機械付けもありますが、こちらはご家族の承認が必要となります」なんてのはどうかしら。
「病院」ではなく「ホスピタル」への改名論。いかがか?
では尋ねるが、アメリカにあるホスピタルだが、本当にオモテナシの精神、そして上記にあるパラダイスのようなものなのか?
ああ言えば上祐って最近聞かないけど、うむ、確かに。
まあ、アメリカと中国でほんの少しだけど、医療に携わる者としての見解だけど、「オモテナシ」は垣間見たことは一度もありません。一般的には。
(ただし、私が行なっている中国での移植医療は全く別次元で、病院によっては神待遇です)
地震のない国ゆえ、建物は老朽化ボロボロ。スタッフは自己主張激しく自分ファースト。掃除夫はやっつけ仕事(ハルピンの5星ホテル事件は日常)。医療費は青天井。財無き者は死のみという非宗教主義。
結論ですが「病院」とか「ホスピタル」とか呼称はまったく関係ないということ。そして「病院」が「ホスピタル」に圧勝で日本に生まれたことを、ひたすら感謝すべきということ。
正直、日本の病院のオモテナシは世界水準と比較してもぶっちぎりだと思います。デルタ航空のコニシキアテンダントとJALANAのCAさんとの、永久に縮まらない体重差と同じです。
本日も ついてる 感謝してます。
福島原発事故地を中心に白血病の患者さんが急増しているというネット情報を見ました。もし、事実だとしたら、国家的な大問題です。事実なら政府は必死に隠すでしょう。隠したところで事実は消せません。
当然のことながら、これから団塊さんを軸とした高齢疾病化が竜巻のように確実に加速します。医師、看護師、介護士、の深刻な不足に政府、厚労省は既得権益を死守することだけに執着して国民皆殺し計画を進行中です。
誤解を招く表現になるやも知れませんが、死者を機械で繋ぎ、若い生者へのケアを削る仕組み。そこに蠢くものの根底にあるのは倫理ではなく、明らかなる金欲に他なりません。
医師や病院を責めているわけではありません。現在の医療制度ではそうせざるを得ない状況なのです。病院そのものも医師やスタッフを確保、運営するために必死です。非道ですが違法ではありません。医師やスタッフも悩んでいます。
本日は水曜日です。
FBFのみなさまにおきましては、テレビ東京の「家 ついてっていいですか?」見逃さないように。夜9時からです。
本日も良き一日になりますように。