5634 とんぼと稲穂
2/26/18
FBFのみなさま、おはようございます。つづきです。
そら、ひとりカラオケ6時間の私ですから、自然とレパートリーは1000曲くらいになります。
6時間というのは予算の関係もあるので、自分に制限をかけていますが、常にイメージしてることは、「ぶっ倒れるまでやるぞ〜〜」という拓郎さんとかぐや姫のあの伝説のつま恋徹夜コンサートです6万人の観衆を前に歌詞を間違えず音を外さず、集中して歌います。ひとりですけど。
そんな私の青春18切符は長渕アニイの唄とリンクするのです。
過日、もう長い付き合いになる同級のヤマちゃんの嫁サンの生世のFB投稿を見て微笑みました。イケメンの息子くんが家を出るので寂しいと。ハグしました、なんて・・・。イケメンくん、もう20代半ば。
戦後どさくさ育ちの我々には理解できない世代。1日でも早く、親や校則から逃れたい尾崎豊。
僕は「とんぼ」になりました。
🎵死にたいくらいに憧れた 花の都 大東京
薄っぺらのボストンバッグ 北へ北へ向かった 🎵
私は安城の実家を逃げ出すようにチャリにまたがり、深夜の県道を南へ、国鉄安城駅へ向かった。持ち物は、とんぼと同じ、薄っぺらい、ボストンバックひとつ。中学の修学旅行で東京へ行く際に、母親にユニーで買ってもらったドラゴンズカラーの青いやつ。
「宛て」はあった。あの早稲田の奇妙なおじさんだ。
「サクラチル」という不幸な電報と電話が来た。
「何とかしてあげるから東京へおいで」と。
信じて、大垣発東京行きの夜行列車に飛び乗った。汽車賃は件の刑事のせがれS川に工面してもらった。所持金は小銭だけだ。
午前5時過ぎ、明け方の東京に着いた。爽やかな朝でした。
おじさんとの待ち合わせは正午、あの日と同じ大隈講堂の前。それまでの半日を北の丸公園の芝生に寝そべる。ボストンバックを枕にして寝る。4年前、中坊のころ、修学旅行で訪れた場所だ。
正午前、大隈講堂に行くとおじさんは、あの日と同じ場所に腰をおろして、やはりタバコをぷかぷかしていた。
「よく来たね」
そりゃ、来るだろ。来いと言われた。
おじさんは僕を正門近くの「稲穂」に連れて行ってくれた。
「タンメンとギョーザふたつ。あとビールね。ビールも2本ね、2本だよ2本」
本場の大学生はやはり、昼間からビールをひとり1本飲むのだな、やっぱりスゲエやと、感心する。
「ここのタンメンがうめえんだよ」と麺が出る前からおじさんが興奮する。ギョーザをやりながら、おじさんが旨そうにビールを流し込む。酒呑みだ。
そしてタンメンはむちゃ美味かった。
40年前だ。上京して初めて食したものなど、東北から集団就職で上野駅に来たグループと私くらいしか、記憶にないのではないかね。どうでしょうかFBFのみなさま。
そして歩くこと5分。
あの日の庄屋と同じ早稲田通りを高田馬場へ。
と、ある新聞店の前でおじさんは立ち止まり「ちょっとここで待ってな」と路上で待たされる。てっきり新聞でも買いにいったと思っていた。おじさんは田舎では見たことない「朝日ジャーナル」という週刊誌を丸めて持っていた。
これから何処へ行くのだろうか?
おじさんが、あまりにも自信満々だった故に、不安はなかった。
5分もしないうちに、おじさんが古びたガラスの引戸を半分開け、あの時のように、おいでおいでと手招きする。
「チミ、名前、何だっけ?」
「あ、アンドーです」
「そそ、アンドークン、アンドークン」
中へ入るとたいそう体格のいいおじいさんと、小柄だけどちゃきちゃきのおばあさんが。
「あ、ご主人、これがそのアンドークン。彼はね、田舎の子だかから純朴でね、それにラグビー部だから根性もあって真面目で・・・うんぬんかんぬん」
おじさんと会うのはこの日で2度目なんだけど。
「じゃあ、案内してあげる。いらっしゃい」
ちゃきちゃきのおばあちゃんが急勾配の階段をトントントンと小気味よく上がる。僕とおじさんが後に続く。
「ほら、ここよ」
おばあちゃんが案内した部屋は、窓のない三畳間。
「これが三畳一間の小さな下宿」というやつか初めて見た。想像してたより狭いなとかぐや姫の「神田川」のフレーズを思い浮かべていた。
「ふ〜ん、なかなかいいじゃないいか。良かったね」
おじさんのひとことにハッと気づく。よもや⁉️
「じゃあお兄ちゃん、明日からヨロピクね」
おばあちゃんの声が遠くで聞こえた。
「荷物置いときなよ。呑みにいこ。祝杯祝杯」
田舎の子だ。まだ事態がつかめていない。階段を降りて靴を履く。あの時に履いていた青い運動靴の模様も覚えている。メーカー品ではない。
新聞店の一軒隣の「紅梅」に入る。
「ビール」
少し間をおいて
「あと、チャーシューとメンマ、それともやし炒め」
酒飲みか?
「いや〜〜良かった、乾杯乾杯」
しこたま飲まされる。
夜、公衆電話から実家に電話する。
毎日新聞東京新聞、西早稲田専売店の住所を告げ、あらかじめ荷造りしておいた布団を母親に依頼する。母親が何か言いかけたけど、10円玉が足りなくて、途中で切れた。それ以来、糸切れ凧と化す。
さだまさしの「案山子」が心に痛い。
🎵 実に寒い夜だった 貨物列車の通りすぎる音がした
これが最後と腹に決め 26のたくらみから足を洗った
新聞配達の自転車の音がした 酒の飲めない俺は 食パンをかじった 錆びた10円玉をひっくりかえし
「ついてねえや」とやぶにらみした 明け方の東京
生き恥をさらしても 裏街道はまっぴらさ
ゴメンヨと詫びをいれ お前住む街へひっかえす
東中野の駅前に ああ 突っ立ったまんま
電信柱に ひっかけた夢 未練たらたら ひっかけた夢
浜松町から羽田に向かった 公衆電話から奴に電話した
握りしめた受話器の向こう「頑張れや」って奴が泣いた
抜き差しならねえ街だった 危うく俺の背骨をぬかれるとこだった 性に合わねえから家に帰るだけさと
ふてくされた顔で 精一杯の負け惜しみ
俺だってあの日の海を 死ぬまで泳ぎ切るつもりさ
あぶく銭にうもれて一生 男なんか演りたくねえ
あの時の電信柱に ひっかけたくやしさと諦めが
俺の胸をたたきやがる
たらたらと 胸をたたきやがる
俺の胸をたたきやがる
たらたらと 胸をたたきやがる 🎵
長渕剛 作詞作曲 「電信柱にひっかけた夢」
ひとりカラオケのアンコール曲です。
写真左サイドが国電の中野駅。そして右のウイングが西新宿。で中間のセンターが東中野です。
でちなみにですが、アンコール曲の2曲目は東中野から、新宿に流れて、やはり長渕アニイの「西新宿の親父の唄」です。最後は、その日の課題曲と決めています。自分にとっての新曲です。
本日もFBFのみなさまにとりまして、よき1日に成りますように。
文中のおじさとはFBFの山本正則さん。
イチローで早稲田。在学中にジャズピアノの武者修行で1年間メキシコを放浪故、当時24歳。そら、おじさんに見えた所以です。