5769 さよなら仙一さん
3/20/18
国電品川駅から大通りを渡る。
見栄えのぼやけた交差点から小さな坂道をのぼる。
プロ野球関係のコンベンションや表彰式でよく取材に訪れたホテル。結婚式や企業のパーチー、自称一線を超えなかった政治家の逢引ポイントでもある。
そこにはのぼる花とくだる花が行き来した。
降る花は、束ねられ綺麗にデコレーションされ、嬉々と微笑んでるように見えた。抱える人々も笑みで溢れていた。
卒業式、謝恩会、退職祝い、新たな始まりへと続くひとときの惜別をねぎらう祝花。小さな赤ちゃんを片方の腕で抱っこするように大切に包み込まれていた。自宅の花瓶で、桜を一緒に待つつもりだろう。善き人たちのもとで。
のぼる花は哀しいは花だね。
それを美しいと感じてくれる人にもう声はない。
溢れるものは降りる花の喜びではなくて泪と想い出だけ。感謝の念は一輪の白い花が何万本あったとしても到底届かない。
哀しい花を手に、坂道をのぼる人。嬉しい花束を胸に抱きくだる人。見知らぬ通行人たちは言葉を交わさない。花たちはどうか。
プロ野球球団というカテゴリーが、世間一般の感覚から異質と捉えられる理由のひとつに功労者に対する「無礼」がある。
例えば紳士盟主を自称する読売という球団。王さん、長島さん、原さん、堀内さん、清武さん、その他多勢に対する千万の無礼。甲子園での星野さんから原さんへの花束に選抜された花たちは、日本中を感動させた幸運の花たち。
昨日、数多の人々が捧げた、たった一本のか弱き白い花は、あの甲子園での花束が何万本と束になってかかってきたとしても、燃える男・星野仙一の静かなる花道を支える貴重な一本、そして負けることのない大きな一本であったと信じたい。