少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

412  屋上のキャンディーズ3

ドサ回り時代の「キャンディーズ」話はともかく、ハナタレ中学生同士が偶然37〜38年前に、そこに居たから、それがど〜した、という件について説明しよう。
当時の西三河地区の中学、特に我が安城北中学は「北朝鮮」そのものでした。とはいえ、当時は外からの情報が入ってこなかったので比較対象が無く、母校が「北朝鮮」であるという認識はまったくありませんでしたが・・・。
例えば吉田の矢作中学(岡崎市)は「掃除をサボったら先生に往復ビンタされて職員室で30分間正座させられた」(吉田)。甘い。
安北中は昼休みに行われた学校行事の全校フォークダンスをサボったら、鼻血が出るまで平手で殴られ、さらに便所のコンクリの上で一時間の正座。
例えば上郷中学(豊田市)のテニス部だったトヨジの証言。「安北中のテニス部が試合でウチの中学に来た時、ミスした主力選手を安北の監督がラケットのガット部分で殴ってた。あれはびっくりした」。甘い。
それは、対外用の軽い制裁です。校内での制裁はそんなもんじゃない。それは挨拶程度の制裁です、他校の面前ですからね。でも、おかげで安北テニス部も県大会優勝の常連でした。
そんな時代ですから、三河地区の中学生が、無断でしかも子供同士でダイエーやユニ―に行くことそのものが校則違反。ましてや屋上で行われる芸能人のイベントを見に行くという行為は、もし学校側にバレたら「良くて停学、最悪は退学」覚悟の脱北行為そのものなのです。そんな死線をくぐり抜けてやっとたどりついたダイエーの屋上だったのです。
僕とミッさんは、学校側にバレた時の言い訳まで考えていました。それは「町を歩いていたら急にお腹が痛くなってウンコがしたくなってトイレを探していた」という、当時の中学生としては、かなり高レベルの戦略でした。そんなわけで、あの屋上に居た中学生は恐らく僕らとゴリラーマンの3人だけだったと思います。
それにしても吉田はスゴイ、隣の岡崎市から来たのですから。特に中学生が親を同伴しない単独での国境越えはタブー視され、もしバレたら「あいつスゲ〜大人じゃん」と一目置かれるか「あの子は不良だから遊んじゃいけません」と虫けら扱いにされるかどっちかです。まあ、圧倒的に後者が多いのですが・・・。
そんな下人の掟を破ったゴリラーマン吉田は、雨の中、カッパをはおり、丸坊主の頭にヘルメットを乗せ、千里の道も一歩からとばかりにぺタぺタと自転車のペダルをこぎ出しました。万が一、国境警備隊職務質問された際、身元がバレないよう、自転車の防犯登録の上にガムテープを貼る作業も忘れません。なにがなんでもキャンディーズのパンチラを撮りたい一心でゴリラーマンは親父のカメラを無断で借用し、しっかりと腹巻の中に収め、遥か彼方のダイエー安城店を目指したのです。
その勇気と性欲には感動と称賛を与えたいと思います。しかし、残念なことに、後日、吉田の行為は矢作中学側にバレ、職員会議の議題に上がりました。なんでバレたのか、つまりアリバイ工作に失敗したのです。
それはゴリラ並みの浅はかな工作でした。部活の野球で肩を痛めたので医者に行く、という絵を描いたゴリラーマンでしたが、後日、その病院に学校側から調査が入り、その日は吉田が来院していないことが判明。それがきっかけで査問委員会にかけられたゴリラーマンは、あっさりとダイエー行きを自白。そして逮捕に至ったというわけです。
「お前もう野球部辞めろ」矢作中学の監督からそう恫喝された吉田は、その後、精神を入れ替え、野球に専念しました。専念しすぎた吉田はその後、勉学も捨てたのですが、知立高校では野球部のキャプテンになりました。美しい話ですね。
で、「そんでよう、俺、あの時の写真、まだ持っとるんだわ〜。家帰って探してみる。もしかしたら、お前が映っとるかも知れん」とゴリラーマンは大騒ぎ。もし映っていたら、拡大して「ビリケンカフェ」にでも飾りましょうか・・・。(ようやく了)