少数派日記

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“安藤総理の少数派日記”

505 いじめの代償

12/22のネットニュースで、群馬県の小6女児のいじめ自殺の遺族が、市と県を相手に損害賠償の訴訟を起こす方針であることを伝えた。
訴えを起こす父親51歳は「市や学校の対応は完全に遺族の気持ちを無視している。いじめと自殺の因果関係を公の場で認めてもらうには提訴しかない」と提訴の理由を語った。
こうなってくると、またマスコミが大騒ぎするだろう。中には「金目当てじゃないのか」という声も出てくるだろう。少なくとも過去にはそういう扱い方も多数あった。当事者を知らないので、何とも言えないが、論点はそこではない。遺族感情をそこまで陥らせた、学校側の姿勢の問題だ。学校側は「いじめがあったことは事実だが、いじめと自殺の因果関係があったとは認められない」とあくまで、いじめ=自殺の構図を否定していることが原因だ。
学校側が因果関係を認めない理由は大きく分けて2つある。ひとつは言うまでもなく学校側の保身だ。そしてもうひとつは、いじめた側の児童に対する配慮。その2つだ。後者に関しては多少理解できるとしても、前者は、こういう「事なかれ主義・責任回避優先教育現場」だからこそ、いじめが根絶できないと断言できる。少女の命は、そんな軽いものだったのか、と言わざるを得ない。
自殺した少女が明日の太陽の光を浴びることはない。一方、少女の自殺に身に覚えがある児童は死ぬまで、太陽の光の中で生き地獄を歩いていかなくてはならない。報道によれば、仲間はずれにされ、ひとりで給食を食べていたとあるが、これは放置した教師の責任も見逃せないだろう。子供のいじめは何処にでもあり、ある意味、必要悪であると僕は書いてきた。いじめそのものより、教師の力量の低下が深刻な問題である。
仮に偶発的なアクシデントだったとしても、あとから思えば、事前に防ぐことが出来ることがほとんどだ。これだけ自殺の事例が多い中、それを他人事のように受け流す教師(大人)の想像力の無さに落胆する。子供にそれを求めるには幼すぎる。やはり、教師や学校の責任は重大だ。そんな事実は、この群馬の小学校の事件後の対応にも反映されている。残念ながら、この悲しい現状はまだ続く。きょうも、明日も・・・。