少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1806 さらばハーゲンのダッツくん5

日本における販売戦略 はものの見事に成功した。
高級アイスクリームとしての側面は日本も同様であり、日本第1号店として青山の交差点に青山店が開店した際には、長い行列ができたことが話題となった。それが1984年の出来事。安藤総理24歳の時。
学生の分際であり、そのような高級店など、出入り禁止の時代だったが、たまたま店から5分圏内に住む、青山のおじさんが「美味しい店に連れてってあげる」と言われたのが1号店の青山店であった。
その時は、高級感漂う店内で、これが、あのアメリカの駄アイスのハーゲンダッツと同じものとは、夢にも思わなかった。


それ以降、青山のダッツでハーゲンを食べる・・・ということが、安藤総理のステータスとなり、たまたま社会人となった際の、最初の仕事場が神宮球場ということもあり、薄給が出たあとには、月に一度の贅沢としてダッツでハーゲンを食していた。
ガラス越しに青山通りを眺め、ショーやんの「アビーロードの街」を思い浮かべながら、優雅にバニラを食す。こんなオレ・・・って、なんてオシャレでカッコエエんやろ・・・田んぼの真ん中でカエルの合唱聞きながら、まだ明治のアイスを平な木のスプーンでほじくっているトヨジにはわっかんね〜だろうな・・・と思いつつ。


やがて時が経ち、家族が出来、BMW狩撫麻礼=BボクたちM間抜けでWウーマン大好き)なども購入し、表参道原宿の吉野家で家族に牛丼などを振る舞う。原宿竹下通り、田舎者の憧れの聖地を我が庭のように闊歩し、クレープなどもお召し上がりになられ、優雅な気分に浸ったところで、背もたれのない固定丸椅子での吉牛での晩餐。1号2号が椅子からずり落ちそうになるのを片腕で支えながら食す。背を丸め、ツユだくをぶっきらぼうに注文する若者から見ても、どこにでもいる貧しい4人家族。自分は、自分だけはああいう家族を築くまい・・・とツユだく牛丼に、表面が見えないくらいに紅しょうがを盛る若者。
「ママ〜あのおじちゃんの、何でまっかっかなの? アタイもあれ欲ちい〜」
「しっ、声が大きい。見ちゃいけません」
ショッカーが目に映るものを何でも欲しがる2号をなだめる。
ショッカーは貧乏慣れしているので、内心はどうかわからないが、吉牛だからと言って文句を言う人ではない。


そして帰り道にわざわざ遠回りして、青山通りBMWを横づけしてダッツハーゲンにて、ブルジョアデザートをさりげなくコーディネイトする。メインディッシュの吉牛よりデザートの方が高級という、逆転現象は、華麗なる一族の晩餐に吉牛を喰わされた家族の脳味噌をパニくらせ、失望のどん底から、一気に希望の絶頂へと引き上げる、集団催眠の高等テクニックだ。


まだ、ベイビーのライダー2号は、一番最初に目に飛び込んだものだけを欲しがり、他のものには一切目をやらない。2号は、端から端まで、ガラスに穴があくほど眺め、ダブルにするかトリプルにするか悩みに悩む。しかし、ショッカーに「お腹をこわすからトリプルはダメ、ダブルにしときなさい」と一括され、さらに悩み、まだ決まらない。


「お客様・・・カップにいたしますか、それともコーンで・・・」
「チミ・・・それは愚問だよ。ここまで来て、誰がカップごときで喰らおうぞ。コーンに決まっておろうが、無礼者、場をわきまえい・・・」
「はは・・・こ、これはお代官さまでいらっしゃいましたか・・ご無礼おば」
「控えい」
「こちらに、お水もご用意させていただき申したので、どうぞごゆるりと」
「うむ、苦しゅうなか」
とまあ、青山通りのBMの駐禁を気にしながら、優雅な時代を過ごしたこともあったわけですよ。そのダッツでハーゲンな野郎が・・・オイラを残して・・。


青山通りを渋谷に向かい、表参道の交差点を右折。原宿のイルミネーションをくぐり 井の頭通りを10分も走れば、自宅に着く。その間、クルマの中で
くまのプーさんの話でもしてやれば、1号2号は、もうディズニーランドに行ってきたような気分になる。
「あのね、きのうね、プーしゃんとね、アイシュ食べたよ〜」
2号が近所の子にそう話せば、一家は浦安に行ったのだと近所のママ友が、勝手にそう思うらしいが、ワシャ知らん。
そんなことを繰り返して、人生を誤魔化してばかりいるとどうなるか?


はい、こうなります・・・・。気ィつけなはれや〜


(つづく)


ショーやんで「アビーロードの街」