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少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2217 偶然被害3


つづきです。

ーーーーネット記事転載ーーーー


■「主催者責任」は

 
第3回公判では、渡辺被告の妻が証人として出廷。弁護人から渡辺被告の仕事ぶりを尋ねられると「仕事に対しては、すごく真面目」としその性格について「穏やかで、優しく接してくれる」と答えた。被害者への被害弁償についても「夫とともにしっかりしていきたい」と述べた。
(安総注=加害者家族による主観的な情報は、この際、ほとんど意味を持たない。大三者の公的立場の評価はないのか?)


しかし、被害の甚大さに対し、個人で被害を補償できる範囲に限度があることは、誰の目にも明らかだ。贖罪の至らなさという点では、渡辺被告と相通ずるものがあると、今回の花火大会を実質的に主催した福知山商工会議所の対応に憤る被害者は多い。


事故発生当初、実質的に大会を主催していた福知山商工会議所は会見を開き、谷村紘一会頭は「露天商の屋台から出火した。あくまでも責任は露天商にあると思う」と指摘し、主催者側には「包括的、道義的責任がある」と述べるにとどまった。
さらに谷村会頭は、その言葉を補完するように、昨年12月に行われた知事と京都府商工会議所連合会との懇談会の席上で、「主催者責任という言葉が一人歩きしている」とも話した。

 
「被害者の会」の盛本英靖会長は「そもそも花火大会が実行計画書に基づいて、どういった危機管理や安全対策が取られていたのか、どこに不備があったのかなどの実態解明さえ行われていない」として、今後、主催者側を相手取って民事訴訟を起こす姿勢を示している。

 
遅れていた被害者や遺族に対する補償をめぐり、上限で総額10億円、1人当たり上限5千万円の総合賠償責任保険から一部の支払いが始まるなど、わずかずつとはいえ賠償も進み始めた。しかし、被害者側からみれば、主催者側の対応の立ち遅れから突き付けられる「将来への不安」は深刻だ。

 
新潟青陵大大学院の碓井真史教授(社会心理学)は「今回の事故は過失事故で『とんでもないことをしてしまった』と、まず自分のことを考えるのも無理はない」と渡辺被告の心情を説明した上で、「主催者側の対応なども被害者側を傷つけていると思う。刑罰だけでは被害者は救えない。被告に石をぶつけて罵(ののし)っても意味はなく、みんながこの事件を通して考えることが、長い目で見て被害者の癒やしになるのではないか」と話す。
(安総注=学者はお気楽でいい。当たり前のことしか言わねえし・・・)


遺族や被害者らは心と体に一生消えることのない傷を負い、将来に不安を抱えたまま毎日を過ごしている。ある被害者家族は「判決が出ても終わりではない。被害者の長い苦しみは続く」と語った。
刑事責任を問う裁判が終わっても、被害が続いている以上、「償い」から逃げるわけにはいかない。


ーーーーーーー以上ーーーーーーー


地元のお祭りに行くのも「自己責任」。逆に規制でがんじがらめにしてしまえばイベントは官僚的な味気も色気も情緒もない無味なものになってしまう。
その原因は多岐にあります。
このまま、机上の学者や行政に任せていたら、この状況はさらに悪化します。


簡単に書けば、行政がまずやるパフォーマンスは、テキヤに対する規制の強化でしょう。しかし、テキヤ稼業は決して楽な商売ではありません。みなさんギリギリの中でやってらっしゃいます。そして、日本の庶民文化の伝統の継承者でもあり、「祭り」には欠かせない存在です。
現在でも、かなり厳しい規制が課せられています。これ以上、縛りをきつくされたら、それこそ商売あがったりです。
想像してみてください、屋台の焼きそばも、たこ焼きも、チョコバナナもない神社の村まつり、花火大会、なんとかフェスティバル・・・。


原因は多岐にわたると書きましたが、その最大の因果は、やはりバーチャルなゲームの普及により、個人の、特に若年層による「危機管理」の低下ではないかと思います。バーチャル、画面の中では、平気で人殺し、重傷負っても即復活、死んでも生き返れるし、なんでもアリ。それが現実とごっちゃになっている。政府はゲーム会社を規制すべき。