少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2870 日野皓正ビンタ肯定論

8/31-17

日野皓正ビンタ問題肯定論。

ジャズセッションもクラシックオーケストラも複数で演奏する場合、必ずコンダクターがいて、その指揮に従えない者は奏する資格なし。

大人もプロも中学生も同じこと。ただそれだけのこと。

ビンタが是か否か? 今回の場合はアリですね。

日野さんはいきなり殴ったわけではない。

タイコの中学生の腕は良いようだが、ここは個人の自慢大会ではない。チームとしてのハーモニー(ジャズの場合はなんと言うのか知らないけど)、観客の前での本番で自分勝手な不協和音は許されない。
日野さんのビンタは演奏仲間を代表してのこと。

されど中学生、まだまだ発展途上、人生はこれから。

世界の日野にビンタをもらうのは心の中で栄誉と思え。口には出すな。
こんな素敵なハプニングを、ギャーギャーマスコミ、知ったか評論家、モンペPTA、それと田中優子世田谷区議、わめくな。

音を楽しむ音楽の演奏で、こうすると不愉快になるという教訓の会も必要だろう、問題提議は教育の延長で、それはそれで大成功ではないか。

 

ここから先はスポーツの比喩。時間のある方のみ。

たとえば野球。
監督がスクイズのサインを出す。サイン見落としではなく、打者がこれを拒否したとしたらどうなるか?
草野球〜プロまで、いろいろあるけど、謀反行為、反逆罪で死刑、まで行かなくとも、普通は次の打席はない、ポジションも。
仮に無視してホームランを打ったとしよう。しかし、前記の状況は変わらない。

楽しむ野球は別として、勝つための野球は監督に従うのが絶対条件である。

余談だが例外がある。
NYヤンキースの伝説のスラッガー レジー・ジャクソンに、本当にスクイズのサインを出した監督がいる。カリスマ ビリー・マーチンだ。レジーが打席を外す。
「俺の目が悪くなったのかな?あんた、今、まさかスクイズのサイン出してねえよな」
「いや、レジー、君の目は正常だ。スクイズだ」
「あんた正気か?このスタジアムの観客は俺のホームランを見に来てるんだ。スクイズを見に来てるわけじゃねえ」
「レジー、クソ野郎、ここはスクイズだ」
「拒否したとしたら?」
「クビだ、二度とゲームには使わん」
「おもしれえ、クビになるのはどっちか? 俺はあんたに1000ドル賭けるぜ、マーチンさん」

そしてレジーは打席に立ち、スクイズを無視した。
結果は凡退に終わり、ヤンキースは敗れた。

そして、翌日、スタイン・ブレイナー オーナーは、ビリー・マーチン監督を解雇した。
観客動員を優先したビジネスマンだからだ。

と、これは例外だが、川上監督は4番長嶋茂雄スクイズのサインは出さない。

 

ではラグビーはどうか?
2015年W杯、南アフリカ戦、奇跡の勝利
まあ、単純に嬉しいことだが、実はその裏で賛否は分かれる。当然だ。

残り時間わずか、3点差で得たペナルティー。五郎丸でなくともほぼ100%射程の距離。

雲の上南アと同点引き分けだけでも奇跡の中の奇跡と称してもいいだろう。
スタンドのエディ監督からキャプテンのマイケル・リーチにはPG狙え、の指示が出ていた。
が、マイケルはこれを無視した。

五郎丸を呼ばない、アタックだ。
ここまではヤンキースのケースとまったく同じ。
そしてSH日和佐の俊敏なパスの連続で、あとは語るまでもない。

しかし、これは、本当に結果オーライの大勝負。紙一重とはまさにこのことだろう。

 

が、野球とラグビーではひとつだけ、大きな違いがある。
指揮官はあくまでも監督だが、監督に絶対服従の野球と違い、最終的なゲームメイクの主導は現場のゲームリーダーに託されている。いわゆる温度を肌で感じる現場が優先されるのだ。成功した場合のみ結果オーライが許されるが、それも時としてという条件が必要だろう。
PG狙いの指示無視について、エディ監督は「最後はフィールドの判断」と言い残し、不満は語らなかったが、これも紙一重、プライドもあろう。
安パイとギャンブル、紙一枚のわずか0・何ミリという薄さの中に、感動した人々の数x熱量x体重x歴史という計り知れない重量と距離が詰まっている。

そんなことを書くと、あの雪の明早戦、国立競技場。

大西一平キャプテンのスクラム選択を語らずにはいられないが、長くなるのでやめときます。
リクエストあらば、また書かせていただきます。

ビンタ中学生、めげずに頑張れよ。
音楽だってスポーツと同じ、試練を乗り越え、メジャーを目指せ!