少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

5651 すり替えられた病名

2/27/21

fa30y 945 準備期間 2/27/21

朝食スムジ(セロリ、ほうれん草、小松菜、パセリ、バナナ)、オパンの山切り1枚。その他。
本日、宗教病院、形成外科(左足)、整形外科(右足)。形成外科医「本当に治すには仕事もやめて、家に居て、一歩も歩かないようにするしかありません」ですと。どう思いますか、皆さん?
整形外科、2週連続で、予約時間前に行くも、混雑で1時間遅れ。次の予定があるため、二週連続でキャンセル。予約時間はあってないようなもの、が、日本の大病院の常識。個人クリニックではあり得ないが、海外では、予約というシステムすらない。自分は2時間以内なら甘受すると決めている。

問題は2/14、メニエルの件。前回、調査するように依頼して、その返答が来た。

私の診断名は「上気道炎」。なんですか、それ?聞きなれない。
「いわゆる軽度の風邪です」
「はあ😩???????」
「何か?」
「何か?って、あんた、患者が自らメニエルの目眩で動けません、って言ってますが!」
「さあ、うちの医師の診断は風邪です。だって熱がありましたよね」
「39度ありました。オタクの医師は、熱があると、全員、風邪にしてしまうのですか?」
「さあ、あと今の時期は、コロナとインフルも疑います」
「それは当然でしょう。両方とも検査を受けました。陰性でした」
「そうですか。それは良かったですね。以上です」

おい、ちょっと待て💢😡😾ってなりますよね。

「つまり、風邪の治療をしたってことですか?」
「そう言うことです」
「自分はメニエルでぶっ倒れて、自力でタクシーも拾えない旨は伝えています。熱があっても、なぜ、簡単に風邪と決めつけたのですか?」
「それは医者の判断です」
「メニエルの患者を軽い風邪と判断したのは明らかな誤診ですよね」
「いえ、そうは思いません。医者の判断ですから」

思いっきり馬鹿にされましたね。
病院と争うのは本意ではありませんが、あまりにも、酷い対応にお怒りマックス、「この怨みはらさでおくべきか」魔太郎が来ます。

あり得ない。
だけど風邪との診断だから、「とっとと帰れ」扱いに納得です。
俺もね、昭和育ちですから、よほどのことがない限り、ウルトラ警備を放棄してまで病院に行きませんよ。しかも小便垂れ流して、上からゲロゲロ吐いてまでね。オマケに飲むこともできないクスリまで有料でよこして。この件は、クスリを全て返品して、料金(1000円に満たないですが)の支払いには応じませんでした。

普通なら生命に別状が無かったのだから、泣き寝入りも有りですが、どんな手段を使ってでも、院長に直接伝えるつもりです。

最後に信じられない話ですが、私が悶絶してる間に、医師が交代時間となり入れ代わり、初見の医師の診断書を元に、後から来た医師が、患者(私)の様子を診ることなく、帰宅を促した、ということでした。

いくらコロナ禍、忙しいとはいえ、あまりにも無責任。これは医療機関として看過できない問題です。

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5650 メニエル投薬支払い拒否

2/20/21

午前、佼成病院、形成外科と整形外科だが、時間切れ整形外科は来週に延期。
件のメニエル病の件での対応に担当部署に苦情1時間。意識朦朧の患者に説明のない投薬1500円は支払い拒否。

実際、飲める状態ではない。小便漏らすほど、歩行不能の患者に貸すベッドが本当になかったのか調査を依頼。

「この病院はメニエルの患者を診たことがかつてないのかね」と。あれはマジで動けない。

バスと井の頭線で渋谷に移動。

いつもの美登利寿司でランチを目論むも、午後2時の段階で、16組2時間待ち、ゲゲゲのゲ〜で、鯖定食、シラスおかわり自由食堂で1050円ランチ。

その間に、心臓移植希望患者さんの状況報告が入り電話で40分。

15:30から久々のセルリアン。ここのティルームは好きです。
濃厚な商談、3時間。かなり崇高な話。

オチなしです、すみません。

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5649 一杯のお粥と二本の水 終章

2/26/21

『一杯のお粥と二本の水』その9 最終章

 メニエールに襲われるたび、低気圧のない世界(土地)に移住したいと、激しく思う。もうこれでもか、と思うほど、吐き、胃液がまた吐き気となる。ベッドにいても荒波に揺られる船酔いのようだ。最後に日本で船に乗ったのは18歳の時の青函連絡船。あとは隅田川の屋形船に3回ほど。中国では広州と香港の連絡船(約60分)には定期的に乗った。まだbeforeメニエルの時代だ。
 飛行機が怖いという人がいるように、afterメニエルから船が恐ろしくなった。念願だった自衛隊の観艦式にも誘われたけど、停泊中の船でさえ、波で揺れるので断念した。

 水が飲みたくてもボトルのフタを開けられない。二本運んでくれた1号に開けて置いてもらえばよかった。漏らした小便で汚したパンツとズボンは脱いだ。しかし、持ってきてもらった着替えのパンツ履けるほど、身体は動かない。下半身はスッポンポンだ。とにかく誰かが家にいてくれたということは、まだツキがある。腹はまったく減らない、というか、食べたその場から吐くだろう。

やがて時が経つ。
二日ないし三日。どんな時も、私の中に、ユーミンちゃんの歌、声、メロディが降りてくる。それが回復の兆しだと認識した。

写真1。これが朝陽に見えるか夕陽に見えるか?答えは朝陽です

♬ 朝陽の中で微笑んで 金のヴェールのむこうから 夜明けの霧が溶けはじめ
ざわめく街が 夢をさます(中略)
時の流れが とてもこわい 宇宙の片隅で めぐり逢えた喜びは
うたかたでも 身をやつすの
朝陽の中で 抱きしめて 形のない愛を包み込んで ♬

『宇宙の片隅で 巡り逢えた喜び』
私は客観的な立場から見下ろすと、かなり可哀想な家族関係にあり、粗大ナマゴミ人間扱いで、軒下の野良猫以下の扱いです。仮に自室で絶命したならば、異臭が近所から指摘されるまで、間違いなく放置です。
それでも、宇宙の片隅で、巡り逢えたことを喜びに感じるのです。巡り逢えた当時のこと、子らが、まだバブバブだった時期を思い出して、ドーパミンを出して、ひとり快楽にふける、必殺技を持っているのです。

写真2、3。

ユーミンちゃんにはただただ敬服です。現在いる地下室では空の色とは無縁です。空、すなわち宇宙。永遠無限のキャンバスにユーミンの歌詞という名の絵の具で染められていく。はじめて曲を聴いた衝撃に、つまり楽しき高校時代に時を瞬間に戻してくれるパラレルワールド

♬ 夜明けの雨はミルク色 静かな街に ささやきながら 降りて来る 妖精たちよ
誰かやさしくわたしの肩を抱いてくれたら どこまでも遠いところへ 歩いてゆけそう (中略) 夜明けの空はブドウ色 街のあかりを ひとつひとつ消していく 魔法つかいよ いつか眠い目をさまし こんな朝が来てたら どこまでも遠いところへ歩いてゆけそうよ ♬

♬ ベルベット・イースター 小雨の朝 光るしずく 窓にいっぱい
ベルベット・イースター むかえに来て まだ眠いけどドアをたたいて
空がとってもひくい 天使が降りて来そうなほど いちばん好きな季節 いつもとちがう日曜日なの ♬

写真4。

こちらが夕陽です。
夕焼けは、ただそれだけで、寂しくなります。
特に都会人、ビルや地下室で暮らす人間は、夕焼けに触れることなく夜を迎え、縄文人が恐れていた闇の世界への入り口、に気づかず、エジソンの恩恵を当たり前のように享受し、結果として皆が大反対する東電原発の世話になっている。
夕焼けが寂しいのは綺麗だからだ。
あの綺麗が、誰も止められない地球の回転で、あと数分で消滅することを誰もが知っている。愛しい人、ペットの生命と同じだからだ。明日は来ない生命。それがあることを知っているから。

♬ 夕焼けに小さくなる くせのある歩き方 ずっと手をふり 続けていたいひと
風に乗り飛んで来た はかない種のような 愛はやがて来る 冬を越えてゆく
(中略)
ふるさとの両親が よこす手紙のような ぎこちないぬくもりほど 泣きたくなる
きみはダンデライオン 本当の孤独を今まで知らないの
とても幸せな 淋しさを抱いて これから歩けない 私はもうあなたなしで ♬

写真5

 両国時代は荒川河川敷。四谷時代は上智大学グラウンド。日刊現代時代は天王洲グラウンド。千歳船橋時代は砧公園グラウンド、がフランチャイズ。草野球が唯一の楽しみでした。またやりたいなあ〜。中原に頼んで、玉拾いでいいから混ぜてもらおう。
 この歌が出てくれば、そろそろ復帰のきざしです。

♬ (前略) まだ季節浅く 逆もどりの天気もあるわ やっと気づいてくれた その心の行方のように (中略) ちょっと高いフライ 雲に溶けてボールが消えた 今日はじめて見た あなたがまぶしい草野球 ♬

「こうちゃん」(2号の呼び名)
「なあに?」
「パパにお粥作って」
「わかった」

最後に、作ってくれたお粥と、持ってきてくれた二本の水の写真を掲載しました。
気分は最悪でしたけど、神様がちゃんと褒美をくれたのだと。普通の人の感覚からすれば、むしろ当たり前のことかも知れません。
しかし、こういう状態にあるからこそ、日々の宇宙からいただくメッセージや、ユーミンの描くキャンバスの彩に何かを深く感じるのだと思います。

本日2/26日、2月は今日を入れてあと3日。

先ごろ自分プロジェクト『fa30y』をスタート(準備中)させました。
正式名は「for another 30year」です。
自分の生存年月目標は99年+alphaで100歳です。が、現状は杖無しでは歩けません。昨日も一昨日も階段でコケました。手すりが生命線です。右耳も聞こえず、激しい耳鳴りに苦労しています。

で、自分を追い込むことにしました。
ハードな時代に戻り、眠っている細胞を呼び起こす作戦です。
どこまで続くかわかりません。挫折もあるかもです。
しかし、コミットすることで、乗り越えたいと思います。

実は昨日、スポーツジムと契約しました。
笹塚のスターツフィットです。老人専用コース、平日6:00〜20:00まで使い放題、3800円/月です。3/1から半年契約。短時間でも、週5日は通うつもりです。

これまで「一杯のお粥と二本の水」にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。感謝いたします。

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5648 一杯のお粥と二本の水 その8

2/22/21

『一杯のお粥と二本の水』その8

 まるまる3日間、時間にして約72時間後、つまり遭難してから生命維持活動が急激に下がる分岐時間を過ぎたあたりで、ようやく自力で動けるようになった。
 手始めに、まずシャワー。久しぶりのシャワーは気持ちがいい。自身の袋に包まれたウズラの生卵の裏はべたべたで心地が悪かった。その間に洗濯。小便を漏らした箇所は風呂場で水洗いするも、頭を上下にするには辛い。冷蔵庫にある、いつか購入した鶏の卵を2個ほど鍋で茹でる。洗濯は終わるも、まだ階上のテラスで干すまでの余力はない。

 さて、全豪オープンラグビートップリーグが開催されたとのこと。ファンは大喜び、マスコミもはしゃいでいる。相模原で行われたサントリーvs三菱重工相模原は75-7でサントリーが圧勝。NHKのアナは「観客はさぞ大喜びだったでしょう」と、そういう不用意な発言はするもんじゃない。

 世界的に有名プレーヤーをナマで見れたという観点のみに立てば、そうかもしれないが、ラグビーで、しかも社会人のトップとして75-7のゲームをやる価値が、そこにあるのか?と問われる内容である。こういうミスマッチが日本のラグビー人気に水をさすのだ。敗れた三菱重工相模原を責めるには至らず。三菱だって、そもそもプロを目指したチームではない。さらに現段階で、本社の主力となる航空機事業は、日本の軍事規定とコロナの航空業界の不況で大打撃を受け、瀕死の状況と聞く。本来、ラグビーどころではないはずだ。

 相模原のスタジアムは最寄駅から、かなりの距離と聞く。チケットも抽選で、行きたい人が全員行けるわけではない。そこまでして行った方々に75-7の、いわばエキジビジョンマッチと言われても仕方ない格差。こういうゲームは両チームの選手に怪我人が出ないことをひたすら祈ることしかない。

 ラグビーはフルコンタクトのゲームで「感染」をテーマに思考すれば、テニスの全豪オープンとは少し事情が違う。
 選手&サポートメンバーを入れ現役約30名。メディカルスタッフその他、約20名の合計50名がひとつの塊となって移動、行動する。当然、テニスのように2週間の隔離は不可能だ。このチームが全部で16チームある。単純計算でも800人になる。そして8会場での運営スタッフと観客を含めて、そこからクラスターが発生しない可能性はゼロではない。

 話は私が倒れた14日、日曜日午後に遡る。

 宗教病院での常識的にはあり得ない酷い対応。例えば、重度のメニエル病患者、あるいは重度の糖尿病患者の低血糖などによる意識混濁状態では、本人はもう何もできない。医療関係者、しかも医師、看護師であるならば熟知の範疇である。怒鳴れる元気があれば、激昂していたけど、それができないから伏せていた。当方、医療従事者の端くれ故、多少の棘は、コロナ禍を差し引いて飲み込む容量はあるつもり。されど、あの時の状況は度を越していたために、1時間の苦情となった。あれが自分のことだからよかったけど、子供や老母、身内に対してだったら、弁護士を入れる。

 後日(20日)、宗教病院の担当者と面会したところ、新たな事実がわかった。
「言い訳にはなりませんが」を前提に担当者が話す。
「安藤さんがくるちょうど13日前に、同じ杉並区の病院でクラスターが発生しました。そちらの患者さんの受け入れのため、全職員のシフトがすべてやり直しとなり、ベッドの調整やらで、てんやわんや。実際に救急車での受け入れはすべてストップ。もし、安藤さんがタクシーではなく、救急車を要請した場合、うちには運ばれて来られない状況でした」
とのこと。

 なるほど、それが最初にわかっていれば、こちらの対応も違った。
「先に申し上げるべきでした」と担当者。よし、この件は落着として、ラグビー、その先の東京五輪はどうか?

 親しい医療関係者、現場レベルの方3名に尋ねてみた。
「迷惑」「非常に迷惑」「可能なら中止にしていただきたい」とのこと。
まず、現実問題として、五輪開催にあたり、医療関係者を有料無料に関わらず、2週間、約1万人を拘束することは現実的ではない。
 フリーランスの医師の報酬(時給)は相場で1万〜12000円だ。よほど、裕福で慈愛に富み、自らの善行が醜い利権屋政治家どもの利益になることを承知でやれる医療従事者が、果たして何人いるのだろうか?

 自分の担当、受け持ちのベッドに重傷軽症に関わらず、1人でもコロナ患者がいたら、それを放置して五輪に協力する医療従事者がひとりでもいると思うのか?
何もかもが利権で始まり利権を追求する近代五輪。トップリーグプロ野球を含め、そこから万が一にもクラスターを出したら、目に映らない、医療機関という箱の中で何が起こるのか想像して欲しい。

意識朦朧の期間も、回復した今も、信念に変化も妥協もない。
コロナ禍、親しいFBF、友人知人の高齢の親御さんが、複数(確認できているだけで6名)、お亡くなりになった。つい先日も一名の方から訃報が。

死因はコロナでないにせよ、結局、最期のお別れすら出来なかった人もいる。これはコロナが原因である。自分の母親も高齢であり、完全に予備軍である。

生命と五輪、ラグビーと家族を、どうか天秤にかけていただきたい。

つづく

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5647 一杯のお粥と二本の水 その7

2/21/21

『一杯のお粥と2本の水』その7

 
 月灯りもない地下室は漆黒の森。そこはかのない不安は四肢を自力で動かせないという恐怖ではなく、脳を空(くう)にできないという己の精神力の弱さにほかならない。脳内に残る様々な不安という魔物を禅の境地で空にできれば、それは己自身が生み出す幻想であり、実際には存在しないのだよ、と2500年くらい前にサンスクリットの小高い崖の上の平らな石の上で、仏陀さんに教えていただいたはずだ。

 2018年6月23日、タイの森林公園、タムルアン洞窟の遭難事故を覚えているだろうか。突然の豪雨で洞窟内が瞬く間に浸水、サッカーチーム12人の少年とひとりの青年コーチが閉じ込められた。暗闇の洞窟、寒さ飢え、それよりも少年たちの精神がもつかどうかが外界の関心事であった。結果として救助のダイバーひとりが生命を落としたが、10日後に、全員無事に救助された。世界はこれを奇跡と呼んだ。
 しかし、彼らは極めて平然としていた。どうしてか?彼らは全員が仏教徒、コーチは青年僧侶。日頃から禅(瞑想)で脳を空にする訓練をしていたからだ。仏陀の教えに忠実だった。

 脳を心を空にしようと思えば思うほど、そこはかとない不安が泥水のように湧き出でて、あるいは天井から冷たく滴ってくる。うう、気持ちが悪い。吐きそうだ。誰か洗面器を。誰か水を一杯。

 築23年の木造5階建。重なる地下変動で、最下部の部屋から軋む。引き戸にできた隙間は約1センチ。もう完全に閉まることはない。階下の裸電球の灯りの暖光が、縦一本の筋となり、我が床(とこ)を照らす。これが唯一の灯りだ。それでも光明。あの紐のような灯りを握って昇って行けば、抜け出せるかもしれない。
 本物の森なら、枯草の下から百足(ムカデ)のような恐ろしい虫たちや、木の枝から猛禽類が、我が身果て、生命活動を終了して朽ちて食物と化す終焉(とき)を静かに待つのだろう。

 仮に今がその時だとしても、意識ある恐怖なら、落ちて目覚めの来ない安堵を誰もが選ぶだろう。それが生と死。

 眠りに落ちたあと、明日の朝、確実に目覚める保証など何人にもない、という事実を、否定できる者がいたら、私は逢いにゆきたい。

 掲載した写真を見て、人は何を連載するだろうか?

 私は姉が車で旦那を送りに行かねばならぬ、というので、まだバブバブの子を「少しの間なら」と善意で預かることにした。まだ喋れぬ女の子。姉は「助かる」と言った。
 左手にその子を抱き、自宅に戻る。裏口から入ろうとすると、何故か鍵が空いていた。そして勝手口の外に見覚えのない、男物の靴が。
 そっとドアを開けると、足元から黒い影が勢いよく飛び出した。まるで室外へ脱走する犬や猫の勢いだ。私は咄嗟にその犬猫の足首を捉えると、それは人間の子供だった。まだ小学校低学年くらいのボウズ。

「泥棒か?」の問いにボウズは「そうだ」という。

私は左手に赤ん坊を抱き、右手で泥棒小僧を床にねじ伏せた。
勝手口の向こうに野菜畑があり、そこを無邪気な中年男が自転車で横切る。何も畑の中を自転車で。
私はその男に大声で叫ぶ「すみませ〜ん、すみませ〜ん、ケーサツ呼んでくださ〜い」
男は自転車を止め、ジャンパーのポケットから携帯を取り出しピポパする。
間もなくパトカーの赤色灯が家々の隙間を賑わせてくる。いったい、何台来たのだろう。

やがて警察官と野次馬が私を中心に半円状態で遠巻きに囲む。警察官はなかなか来ない。「なにやってんだ早く来いよ」ガキがジタバタ抵抗し始めて手が疲れる。

やがて2人の警察官が腰銃を抜き、銃口を私に向け、慎重な足取りで近づいてくる。「えっ?」こ、この光景、ドラマで見たことある。ウソやろ!

夢には深層心理、願望や欲望、過去の恐怖や成就しなかった未練が如実に現れるという。しかし、この漫談のようなオチはいったい何だったのだろうか?

夢を鮮明に記憶するという特技は子供の頃からだ。なんの足しにもならないけど、夢は夢でとても楽しい。

軋んだ扉から漏れた一筋の光明を掴んでみようかと、一瞬、そう思ったが、夢から覚めた一瞬のまどろみはすでに消え、また胃の不快感という現実が容赦なく訪れた。

つづく

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5646 一杯のお粥と二本の水 その6

2/19/21

『一杯のお粥と二本の水』その6

あれからどれくらい落ちていたのだろう。
時間の感覚はない。
地下室に明かりは差し込まない。朝なのか夜なのか、微かな気圧とか鳥の声だけで判断する日常。空気が湿っている。雨のようだが確信はない。どうでもいい。もっと深く長く落ちていたい。

あれ、おばあちゃん?
迎えに来てくれたんだ・・・と、あとになって気づく。

「どうしたの? どうしてこんなところに居るの? おばあちゃん? おばあちゃんだよね」
老婆は濃い浅葱色の着物を着て立っていた。

京都から観光バスに乗り、立ち寄った賑やかな境内。浅草寺より広い。乗り合わせた見知らぬ乗客らとそぞろ歩く。砂利道、細い土ぼこり、行き交う人。そんな雑踏で、おばあちゃんを見つけた。
一瞬、夢かと思った。
僕はおばあちゃんの手を引いた。
「一緒に帰ろう」
今から思い返してみれば、おばあちゃんは何も言わなかった。
しかし手を繋ぐ感触は十分にあった。
おばあちゃんを見つけた。家族をびっくりさせてやろう。そんなことを考えながら、おばあちゃんの手を引いて、砂利を踏んだ。

ところで、ここはどこだろう。
ふと見上げると、奈良の大仏さまよりも巨大な鐘馗(しょうき)さまの像が見えた。あの皐月人形に出てくる鐘馗様だ。うわ〜でけえ。
おばあちゃんの顔を伺うと、無表情だった。

日本橋で生まれ、大震災で焼かれ、雑司ヶ谷の夫宅に身を寄せ。戦火でまた焼かれ拝島と上野原に疎開するも、80年以上を江戸に暮らす。
安城に来てからは痴呆が始まり、夕暮れになると決まって姉の手を引き「さあ、お家に帰りましょう」と言って我が家の玄関を出る。
おばあちゃんは決まって、夕陽に向かって歩く。僕はふたりの跡を静かにつける。町内の角を曲がるタイミングで姉が振り返り、僕を確認する。そのまま3人で町内をぐるりと周り、何事もなかったように、さっき出た玄関から上がり、おばあちゃんは何ごともなかったように、四畳半の畳の部屋に戻る。
そんな光景が一年か、二年続いた。

おばあちゃんの手はあの頃より、少しふくよかになっていた。手を引く重量感は感じられた。だから僕はまだ夢とはわからなかった。
必死でバスを探した。だいたいの場所は覚えていたけど、いつの間にか、バスの台数が増えて、どれだかわからなくなった。通り過ぎては引き戻しを、何度か繰り返して、ようやくそれらしきバスに辿り着き、おばあちゃんを引いて乗ったけど、知らない人だらけで、どうやら違うバスのようだ。

また降りて探したけど、もうかなりの時間が過ぎたような気がする。おばあちゃんに疲れた様子はない。言葉もない。えも知れぬ、不思議な空間だが、夢とも断定できない。おばあちゃんの手を握る感覚は確かにある。ぬくもりは?

どうだったのだろう、ぬくもりは、記憶にない。冷たくはなかった。
これが夢であることの、目覚めた時の仕打ちを恐れはじめていた。

やがて、浅葱色の着物は静かに静かに、ゆっくりと消えていった。

深かったのか?いや浅かったのだろうか?
小さな眠りから覚めた。
あたりは暗かった。
朝なのか、夜なのか、雨なのかわからない。

1号ちゃんが置いてくれたペットボトルの水を飲もうとして、キャップをしくじり、枕元に少しこぼした。

つづく

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