少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

223  携帯紛失帰国編

搭乗機が広州から成田に到着すると、入国手続きに向かう長い廊下で、人々が一斉に携帯の電源を入れ、メールを確認したり「ただいまコール」をしたり・・・と、いつもの光景を目の当たりにする。本来なら、この名も知らぬ大勢の客の中に、僕も紛れ込んでいるはずだった。しかし、この日の僕は完全なる少数派だった。携帯がない。
僕の大量の荷物をクンクンと匂いを嗅ぐゴールデンの麻薬犬の頭を撫で、税関を抜けると、見慣れた成田空港の帰国ロビーの光景がいつもと違って見えた。
たくさんの人々が歩きながら、あるいは椅子に腰かけ、軽やかに携帯で話をしたり、必死でメールを打っている。本人たちにしてみれば、何の変てつもない日常のワンシーンなのだろうが、僕の目には、そんな彼らの行為が輝いてみえた。眩しかった。
宅配便で運べる重量マックス30キロのトランクを安城のレトロカフェに送る手続きを終え、僕は京成電車に乗った。8人掛けのシートのうち、実に6人が携帯でメールやゲームに夢中になっている。これもいつもの光景だ。中には、携帯のふたを開けたまま居眠りをしている者もいた。そんな間抜け野郎までもが光輝き、羨ましくさえ思えた。
ちょっと前までは携帯を持たない人間がかっこ良くみえた。大物のようにも思えた。自分もいつかそんな人間になりたい、などと憧れてもみた。しかし、個人企業家にとって携帯を持たないということはビジネスチャンスを逃す自殺行為に等しいこと。そんな理想は不可能な現実だともわかっていた。だからこそ、憧れた。
それが今、いびつな経緯であるにせよ実現した。そして途方もない不安というどん底に堕ちた。これが「携帯中毒」「携帯依存症」のなれの果てということだ。
だが、僕は言う。「まだ軽傷ダゼ・・・」って。なぜなら僕は携帯を電話とメール、たまに電卓と目覚まし時計代わりにしか使わないからだ。
ネットやゲーム、時刻表やナビ、テレビすら見ない、絶対に・・・。使い方がわからないからだ。
高校時代の同級生のMHちゃんにメールを送ると、決まって3〜4日後に返信が来る。基本的に即レス主義の僕にとって、彼女のレスは原始人との交流みたいで、送った内容すら記憶に乏しい。しかし、それはまるでタイムカプセルを開けた時のような新鮮な喜びを感じたりもする。引き出しの奥から出て来た1万円札のような、思いがけない幸福を与えてくれたりもする。
以前、骨董関係の同業者で親しくしていた女性がある占い師に言われたそうだ。「安藤さんは携帯に長いストラップをつけるといい」って。
彼女はそんな僕に、首からぶらさげる用のストラップをプレゼントしてくれた。2年前の機種変更の際に取り変えてしまったのだが、その意味がようやくわかったような気がする。新しい携帯には長いストラップをつけよう。