少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

415  夢判断(続)

場面が変わりますが、特にオチはありませんので、お忙しい方はスル―をお勧めいたします。
設定は僕の自宅ですが、知らない家の居間らしきところにいます。目の前に二階へと続く階段があるのですが、古民家のような家で、階段は杉板で出来ています。一階にはご近所の主婦たちが普段着で集まっています。その数20〜30人くらい。中には割烹着を着ている人も居て、葬式の手伝いに来てくれたみたいです。
やがて二階で坊さんが読経を始めたらしく、僕の前にいた母親が階段を上っていったので、僕も続いて上がりました。階段を上ると小さな廊下があり、突き当たりには仏様がいる居間がありその手前の右手に小さな納屋みたいな小部屋があります。古い木枠の引き戸をそっと引くと、中には喪服を着た親戚らしい人たちがちゃぶ台を囲んでいました。その数十数名。「あれ、うちにこんなに親戚っていたっけ」。これがその時思った僕の感想です。何故か僕もすでに喪服になっており、黒のボストンバッグを部屋の奥へ軽く放り投げました。そのまま部屋を出て仏様の部屋に行こうとした僕に聞こえたのは、女性の声で「お姉さんビールだめだからジュースを一本追加しといて」という声でした。それだけです。どうやらちゃぶ台の人々はお清めの弁当(何故か鮨ではなく弁当)の数やら飲み物の数の相談をしているみたいでした。
そして僕が奥の座敷に行くと、亡くなっていたのはやはり親父でした。まだ棺桶に入っておらず、普通の布団に入ったままの姿でした。枕は北を向いていましたが、坊さんの姿は見えません。お線香はどうだったか微妙なところですが、かなり明るい照明でした。座敷は意外に狭く、死んだ親父の回りに人が座るといっぱいになる広さだから、6畳もなかったような気がします。そして大きな悲しみというよりは「どうして?」という感覚の方が強かったような気がしました。仏様の顔の右の辺りにすでに姉が座っていました。若いころの姉ですが、白地に大きな赤い花柄の派手なワンピースを着ていました。この姿にも僕は「どうして?」と感じました。
「あれ、昨日の夜、親父生きてたのに、どうして」と多分誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやき、姉に席を交代してもらい、親父の頬を指で触ってみると、幼いころ、身に覚えのある親父の顔の脂がまだ残っていました。死者の乾いた皮膚とはまるで違う生体の皮膚。僕は姉に「ねえ、まだ生きてるんじゃないの」と語りかけました。その間、誰も声を発しません。
しかも、親父は昨夜、帰宅した時と同じジャケット姿のままで寝かされていました。思わず僕は母親に「ねえ、本当に死んだの確認したのかよ?」とやや強めに詰問すると母親は声なくこっくりと頷きました。それでも僕は信じられず「おい、起きろよ」と親父の身体を強く揺さぶりました。すると、恐ろしいことに、親父の身体は右肩が左側の腰につくくらいに、まるで折り紙でも折るかのようにぐにゃっと曲がってしまったのです。ひえ、これが死後反応というやつなのか、見ていた人々がざわつきはじめました。でも、親父の身体に触れた僕は体温を感じたので、さらに「起きろよ、起きろよ」と声を出して揺さぶりました。すると、親父は目を閉じたまま「葬式、できるうちにやっとこうと思って」と確かにしゃべったのです。「なんだ、やっぱ生きてるじゃん」と僕は声を出し、あわてて、親父に心臓マッサージを始めました。夢の中とはいえ、その時点では夢とは思っていないので、かなり真剣にやりましたが、周囲からは冷ややかな雰囲気で見守られていたような気がします。自分の体制を入れ替えようとしたころ、また白のコンジェルジェに揺さぶられました。
「安藤さん、点滴終わりましたよ。お食事の用意も出来ました」
本日の朝食メニューは「炒り豆腐」「ウインナーソテー4本」「いんげんのお浸し、かつお節かけ」「青桔菜とお麩の味噌汁」「魚沼産コシヒカリのご飯」「メイト―牛乳」しめて487キロカロリー。すべて美味。揚げ膳据え膳の朝昼晩、動けないこと以外は苦しゅうない。
さて、この不思議な「葬式」の夢判断、どなたか解読できる方がいらっしゃったらコメントください。(了)