719 北斗・三河の子
きょう8月16日は愛知県安城市立安城北部小学校時代に一番仲の良かった杉山誠君の誕生日だ。
中学は同じだが、一度も同じクラスになることはなかった。
彼は西尾高校から同志社大学に進学した。
僕も同志社を受験したので、その時は太秦に下宿していた彼のアパートに泊めてもらったが、それ以来、一度も会っていない。
小学校6年間は毎日のように遊んでいたのに、今、何をしているのやら。
そんな彼が小学校1年生の時、「あめ」という詩を書いて学年最優秀賞を取った。
その時の詩がこれだ。
あめ 1年 杉山誠
「あめさん、あめさん、はやくやんで。だって、ぼく、おそとであそべないもん」(全文)
どういう基準でこれが最優秀賞に輝いたのか、僕は未だに疑問で、あれから45年経つ今でも、異議をとなえたい。
タイトルの「北斗」は北部小学校で年に4回発行する学校文集で、各学年の優秀な詩や作文が教師によって選抜され、小冊子になって全父兄に配られる。同じように「三河の子」は中学版で安城北中学の生徒による文集だが、やはり優秀な作品が掲載される。これは年2回の発行だ。
親と名のつく人たちは、自分の子供が選ばれ、作品集に掲載されると嬉しいらしい。
発行回数でいうと「北斗」が年4回×6年間=24回。「三河の子」が年2回×3年間=6回。両方合わせると合計30回になり、常連の子はしょっちゅう掲載されるが、たいがいの子でも9年間で少なくとも1回は掲載される。つまり1度も掲載されない子はほとんどいないのだが、僕の知る限り、ひとりだけ掲載されなかった子がいる。人はその子を「大器晩成型」と呼ぶ。
大器晩成君は高校の卒論で「安楽死について」を書き、大学の卒論では「プロ野球球団の経営」を書いて「優」をいただいた。しかし「あめさん、あめさん」が最優秀賞を取る低レベルな冊子にも取り上げてもらえなかった理由を今も考えている。
選考委員があまりにも幼稚だったのか、大器晩成君の文章が大江健三郎ばりに難解すぎたのか、いつか誰か関係者に尋ねてみたい。早くしないと選考委員が全員他界してしまう。
そう、大器晩成君はきょうもこうしてせっせと日記を書いている。