3013 富山の薬売り
3/17-18
以前、と申しましても、(今)生前のことですが、一時、富山の薬売りをしていた時期があります。
富山の国、八幡村の清正堂という薬屋の薬を背負って、主に東北地方の日本海側沿岸部を担当しておりました。
八幡村は富山湾に面した小さな漁村で、婦負郡四方町というところにありました。
その地名、現在でも残っているかどうかは定かではありません。
当時は飛脚便も黒猫便もないのでお猿の籠やだけが頼りで、嶮しい山道、道無き道を開拓しつつ、置き薬を雪深い新潟、山形、秋田、岩手、青森の山村や港町に届ける仕事をしていました。
松尾芭蕉をやったのは、その後です。こちらは、料金の回収とかもなく、いささか気が楽でした。
荷物もないし、あてもない旅。
薬売りも芭蕉も、どちらもいく先々で歓待され、ついつい上がり込んでしまう癖は今世でも抜け切れません。
自宅より見知らぬ人の家の方が落ち着くという所以です。
さてさて、本日は富山の置き薬、前田薬品さんが年に3度の点検に来てくれました。
絶滅危惧職種ですが、このような販売方法は世界遺産として手厚く国家が保護して日本の文化財として残すべきだと真剣に捉えます。
究極の対面販売。
私どもの頃は、徒歩なので年に一度しか訪問できませんでしたが、一年経つと、いろいろと事情が変わり、仕事の半分は身の上相談のようなものでした。
嫁と姑のいざこざ、子の進路、時には未亡人からの誘い。酢いも甘いもです。
薬を家庭に置かせていただき、使った分だけ補充して料金を頂戴する。
定住型の日本式、かつ性善説のみで成り立つこの商法。夜逃げや支払い拒否などはなく、一宿一飯の恩義に預かり、なついた子らが、「おじちゃん行くな帰るな」の泣き虫エールには後ろ髪をひかれる思いでした。
港町の赤提灯でメザシなどをつまみに、軽くひっかけると、女将は漁で夫を亡くした夫人だったりして、このままこの土地の人になろうかなどと思ったこともありましたが、自分はやはり行商人なので、別れも告げず、また旅に出る人生です。
昨今のスマホなんとやら。
指先ピピピで薬でも、カツ丼でも、サルマタでも何でも届くという時代、馴染めません。
あと少しで小型ヘリコプターが運んでくれるそうで、もう、人間の会話は不要になるそうです。
言葉が退化すれば、脳味噌が不要になり、原始時代に遡り、恐竜を追っかけて食料調達する時代に逆戻り。恐竜とはすなわち戦争ですね。会話がないから武力に頼るという構図。
言葉がまだ不自由な赤ちゃんが泣き叫んでパイパイを要求し、幼稚園児が言葉足らずでオモチャを取り合うのと同じです。
前田薬品の営業さん、もう何代目でしょうかね。
笹塚に越して来た年からのお付き合いですのでもう20年。
最初は木箱でした。今日は新しいビニル袋まで変えてくれました。
写真のドリンク剤にご注目ください。
パッケージの蓋を開けて、手に取りやすく用意してくれました。
メーカーは箱売りなので、例えばうっかり一本飲んだとしたら、10本分の請求4500円が通常なら発生するのですが、前田薬品さんは飲んだ本数(1本450円)だけで良いそうです。
今の世の中にあり得ない優しいサービスですね。
対面販売をめんど臭いという向きもおりますが、人と人のコミュニケーションは人間が生きる上でとても大切なことです。
夫婦間、親子間、仕事上、愛人関係、全てコミュニケーションの不足がトラブルのほとんどの原因ではないでしょうか?
我が家は、夫婦、親子のコミュニケーションがありませんので、キチンも風呂もはるか彼方にあります。見ず知らずの方とは、すんなりコミュニケーションが取れるのですが、親を含めて家族のコミュニケーションは本当に難しい。気を使うし、本当に重圧がかかります。
また、あの時代に戻り、雪や竹やぶを掻き分けて、薬を届けるのも悪くないかな、と考えます。
ご家族様以外の方々とお話しするのは、本当にストレスなく楽しいのです。
旅の途中で大柄の薬売りを見かけたら、それは私である可能性が高いと思います。
声かけてやってください。