3043 白い杖の美女
3/23-18
朝起きてまだ痛む、昨日のこと。
代々木のブックオフでこの3冊を買い込み国電で神田に向かう夕刻。
総武線けっこう空いてたので座り、早速読み耽る。乗り過ごさないように車内案内に耳は立てる。
御茶ノ水で中央線に乗り換える。ふと視線を上げるとけっこう混んでいる。
早めに本を閉じリュックに仕舞い立つ。
当方まだ足が不安定ゆえ、出口まで人波を分ける作業が難儀。
これから神田で親睦会。かつてお世話になったヤクルト球団の八重樫幸雄さんと。
ブックオフで立ち読みしたので、オンタイムの到着予定。
私は汽車中で絶対に人を押さない。
北島先生の教えはグランドの中だけのことだと熟知しているからです。
でドアが開き、下車しようとする私の横に、どいてくれない若き女性ひとり。
「ちょっとすみません」と静かに声をかける。
女性は無言で一歩下がる。私は前を通る。
その刹那、人の足を踏まないように、私が下を見ると、視線には女性の白い杖が。
ハッとして思わず「ごめんなさいね」と言葉が出る。
同じホームには東京行きの中央線がすでに到着して我々乗り換え客を待っている。
ドアまでのとても長い1秒間。
降りるべきか、降りずに女性の席を誰かに譲ってもらうべきか?でもそれを彼女が望んでいるかどうか?このまま秋葉原まで行き国電山手線に乗り換えても神田にはすぐに着く。遅れたとしても5分。
しかし親睦会は年齢的に目上の元選手。どうしよう?
1秒間の間に脳味噌は回転したけど、その前に脳味噌は肉体に下車を司令。
およそ2歩、ないし3歩の出来事だが、踵を返す反射神経の減退と、180度回転行為は相手タックルを受ける直前にクルッと身をひねり、味方プレーヤーにパスを渡す基本動作だが、当日はリュック背負いゆえ、それが周りの乗客に当たり、あらたなる軋轢を生む懸念もあった。
一旦は下車して踵を返す。も一度乗り直そうか、先ほどと同様な葛藤。
されど、己の背で待つ中央線のアナウンス「間も無くドアが閉まります。
駆け込み乗車はおやめください」という恫喝。
こういう場合、平尾誠二ならどう判断するか。蹴るか回すか?
これは後付けのフレーズで、実際そこまでの余裕は御茶ノ水プラットホームではなかった。
ただ、明確なのは、その女性がとても美しい人であった。
ここで乗り返し、ええカッコしたなら、「このオサーン下心丸出しやんけ」「ただの偽善者もどき」くらいのことは乗客の何人かは思うだろう。
そんなくだらん他人の目を気にする余裕もあったのに、発車のベルに急かされ、中央線に飛び乗った自分をひどく悔いた。
御茶ノ水から神田まで一駅のわずか数分間。
秋葉原に引き返したとて彼女を乗せた総武線には間に合うまい。
なんで、周りの乗客は彼女に席を譲る、あるいは席を譲ってもらう手助けをしないのだろう?
そしてその言葉を、そっくりそのまま己に返す。久方ぶりの自己嫌悪。情けない。
神田駅から集合場所に、引きずりながらトボトボと急ぎ足で歩く。
集合時間の1分前、オンタイムに到着し、こちらは無礼を免れる。乾杯愉快な3時間で彼女のことは一旦は忘却する。
再び帰宅の神田駅。
当然思い出す3時間ちょっと前の不人情。間も無く平成は終わり、日本の新しい年号は「素魔歩」になるという。
「素人(万人)が魔物(ポケットに入るモンスター)を歩きながら見る(歩きスマホ)」になるという。
素魔歩世代の人類には、昭和生まれの我々は、我々から見た明治時代に生まれた人々と同じ立ち位置になる。
素魔歩時代になっても、小学校や教科書、道徳の授業が残るのだろうか?「
困っている人を見たら席を譲りなさい」と教えられた昭和の教育を受けた己でさえ、その神経が麻痺していることに、神田駅で下車してから愕然とした。
「世知辛い」という言葉がある。暮らしにくいという意味だ。
スマホは便利だけど素魔歩は下ばかり見ていて暮らしにくい。
足元ではなく手元しか見ぬ不条理。実に喉が乾く昨今。
朝起きて気づいたのは乾くのは喉ではなく心だと。
心の砂漠は、クールファイブの東京だけではなく、日本、いや地球全体に拡がっているではないか。
旧知と流したビールはホップの苦味ではなく苦しみの味。
あの女性、無事に家に帰れたのだろうか?