3799 遺した人に愛情が
4/12/17
徒然、
意識が回復した翌朝、看護師同士の会話が耳をつく。小声だ。
「かわいそうだけど、仕方ないよね。うん、よく頑張った頑張った」
ベテランらしきが若い方の腰をポンポンと。
何気ない会話だけど、この病棟の誰かが逝かれたのだろう。若い人でないこと祈る。
たまたま、リュックの中に入れておいた太宰治の武蔵野心中の中の一節を引用する。
「遺した人に愛情があったということほど、痛ましいことはない 」
心に痛い、見知らぬ旅人よ。
病院とはすべからく生と死の狭間を行き交う社交場である。
わずかな運が死生の隙間を垣間見て、天が左右を判断するのだろうか?わらない。
幸せの基準、価値観は何か。経済、名声、健康、家族、愛情、いろいろある、人は欲張りだ。
今、こうしていても、廊下から老人の呻き声が響く。
看護師が、ごめんなさいね、と謝りに来る。
とんでもない、生の未練のための呼吸、願わくば死して楽になりたいのか、本人と家族以外には想像しかできない。
願わくば、ああはなりたくないという患者さんには至極失礼な言質だが、正直それが本音である。
故に謝られる立場にない。
あのおじいさんが楽になりますようにと祈りつつ、二日目の消灯を迎える午後9時、まだ点滴は終了せず。
1日800キロカロリーの刑に処される