少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

961 星野仙一2

1002回目でも「星野仙一」。星野さんのことならいくらでも書けるぞ。
昭和44年、星野さん中日に入団。僕はまだ10歳、小学4年生。明大時代のこと、読売に指名されるはずだったことなどは知らない。とにかくドラゴンズに大型ルーキー「星野仙一」が入団する、背番号は22。昨年の新人王、読売の高田繁の後輩。情報はこんなところだろうか。
何せ、高田さんのことをマスコミは「ルーキー高田、ルーキー高田」と連呼していたので、ずっと日系三世だとばかり思っていた時代。
ドラゴンズは打の「江藤慎一」、投の「小川健太郎」が幅を利かせた時代。木俣達彦さんも高木守道さんも一枝修平さんも中利夫さんもヤングマンだった。
プロ野球選手にファンレターを書いたことがある。意外にも南海ホークス時代の「野村克也」さんと、東映フライヤーズ時代の「張本勲」さんだ。まあ、返事はこなかったけど、激励の手紙を送った。
しかし、プロ野球選手とはじめてクチをきいたのは星野さんだった。
産経アトムズとのオープン戦、中日球場一塁側ブルペン付近。試合前の投球練習を終えた星野さんが、とぼとぼと引き上げる。数人の子供たちがスタンドから追いかける。僕はフェンスの金網にしがみつき「星野〜」と叫んでみた。
すると星野さんは面倒臭そうに振り返り「なんだあ〜」と答えてくれた。
いや、実は何でもない。ただ思わず叫んだだけなのだ。そこから先、言葉が出ない。ガキに呼び捨てにされた星野さんはふてくされた面でベンチに引き揚げた。知らない子供たちが羨ましそうな顔をして僕を見た。10歳の春休み。
明大ドラゴンズファンクラブ時代(帰国したら写真をアップしましょうかね)の後楽園球場。毎試合必ず外野スタンドで読売ファンと乱闘騒ぎになる。
「安藤がまたやっとるなあ」とベンチで仙さんが言っとたぞ、と明大出の江川卓キラー・豊田成佑さんが教えてくれた。星野さんに尋ねたことがある。「あれってベンチから見えるんですか?」「おう、よう目立っとたぞ」
昭和57年(1984年)、リーグ優勝、そして引退。明大ドラゴンズファンクラブとしては東京で慰労会を行いたい。でも学生主催のパーティーなんかに来てくれるだろうか?
ドラキチ講談師の一龍斎貞花師匠に相談した。師匠のはからいで一発OK。しかし、学生には資金がない。全員バイトで資金を調達し、四谷主婦会館という格安のオンボロホールを借りて、全員手弁当で会場作り。今どきの学生みたいに洒落たことなんてできやしない。明大出身の豊田成佑選手、高橋三千丈投手にも来ていただいた。もちろん名古屋から、汽車賃は自腹で・・・。
そんな苦しい台所を貞花師匠がこっそりと星野さんに伝えてくれたらしい。
「学生なんだから無理すんな。きょうはありがとうな。これ使え」と10万円を置いていってくださった。(これも帰国後写真をアップします)