12/02-16
ドラゴンズ応援団時代は、さんざ野次らせていただきました中畑清。
中畑さんへの最初の接触は忘れもしない、江川引退の時の電話インタビュー。
こちらは一面識もない新米記者時代、しかも読売のライバル、中日新聞。
「はいもしもし、エッ、トーチュー(東京中日スポーツ)?。ちょっと待って、今、サンスポからかかってるから」キャッチホンでしばし待つ「はいもしもし、ごめんごめん、待たせちゃって。じゃ、今からサンスポに話したことと全く同じことを話します。メモ用意した?」
いや〜なんとも爽やかな対応。
その後、現役中の中畑清を取材することはなく、引退後、阪神淡路大震災後の神戸ボランティア。
中畑清も主催の一員で、多くのプロスポーツ選手とボランティアが集まり、5000人の被災児童を集め、選手とキャッチボールやフットサルで楽しむ企画を実行しました。
私も、打ち合わせ段階で何度か中畑さんと顔を合わせて、意見等を聞かせていただきましたが、この人、本当に裏表のない好漢であると確信いたしました。本当にいい人なんです。
徹子の部屋では横浜監督時代の4年前に癌で亡くなられた仁美夫人の話になり、人前はばからず号泣されていましたが、本当に人間らしくて、私は好きです。
こういうストレートな人が少なくなりました。
自分を素直に正直に出せる人、仁義忠義に生きる人、裏と表がない人、馬鹿な人。