少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2396 幻のバレンタイン2016

2016/2/15 FB投稿記事

お暇な人限定です。

 

皆さん、昨日は聖バレンタインデーでしたね、成果のほどはいかがでしたか?
私は学生時代の2年間をシカゴで過ごしましたが、当時、盆と暮れに日本領事館が主催して、高校の体育館で映画「寅さん」を無料上映してくれるのです。糸電話しかなかった時代ですから、スクリーンを通じて日本語に触れる数少ない機会で、とても楽しみにしておりました。

ところが、その学校、実は大量殺人事件が起きた現場だと、後で聞き、ゾッとしました。シカゴでは有名で、アル・カポーン(アル・カポネ)による聖バレンタインの大虐殺と言うのです。
ケビン・コスナーの映画「アンタッチャブル」を観た方なら分かると思うのですが、組織の裏切り者が一斉に機関銃で殺されるのです。大量と言っても、その場で射殺されたのは7〜8人だそうです。
で、ご存知のように、アル・カポネ殺人罪では証拠がなく起訴されず、立件されたのは脱税法違反の罪でした。余談の中のさらに余談ですが、その後、カポネはサンフランシスコ湾にある孤島アルカトラズ刑務所に幽閉され、そこで獄中死するのですが、そのストーリーが、たまたま入試の長文読解に出て、事前にその話を知っていた私は、ほぼ満点取れたようで、幸運にも入試に合格させていただきました。ですから、聖バレンタインの日はいろんな思いが交錯するのです。

さて、本題はこれからです。

私のチョコ好きは異常です。
どれくらい異常か。地球最後の日、あるいは人生最期の日、よく、何を食べたいということが話題になりますが、私の場合は間髪を入れずチョコレートです。2位も3位もありません。
自身の葬式では菊の代わりにガーナを、ユリの代わりにアポロを、バラの代わりにバッカスを、鼻の穴には綿ではなくマーブルを。とにかくチョコレートに埋もれて窒息死したいのです。実際に知人の葬式に参列したとき、代々幡斎場の職員に尋ねました。「花の代わりにチョコ入れて焼いていただきたいんですけど〜」

「はい、チョコレートを柩の中に入れる場合は、おひとり様1枚でお願いしております。かなりアマ〜い匂いが出ますので、次、焼く方にも匂いがついてしまいますから、ご了承ください」だと。
チェ、夢のない職員。でも、調べたら本当らしい。匂いが出るもんはダメだってさ、ちなみにタバコも一人一箱まで。あの世に行ってまで吸いたいもんですかね。私は何処へ行ってもチョコ食べたいですけど。

私はコアなコレクターですけど、そのきっかけになったのは幼い頃からチョコの包み紙を集めたあたりからです。当時、まだ、ギブミーチョコレートの時代ですからね、そらもう貴重な品でブルジョアの証し。どんなに大切に食べてもチョコはアッと言う間に消える。
そこで、包み紙も愛おしく、捨てらずに、ずっと保管しておいたのです。すると、何枚か集まると、チョコの残り香がモワ〜と来ることを知りました。いつしか、箱に集めると、開けた瞬間に、モワ〜。一晩寝かせてはモワ〜。もう癖になり、学校から帰ると、まず、モワ〜を嗅ぐのが帰宅ルーティーンになりました。
余談ですが、私は犬の肉球の中の匂いを嗅ぐのが好きです。まだピンクの赤ちゃんの肉球はたまりません。

姉とは比較的仲良かったのですが、兄弟喧嘩の原因は、私が姉の分のチョコにまで手をつけてしまうからです。ほかのオヤツには手をつけません。しかし、チョコだけは理性が働きません。どこへ隠しても執念で見つけ出します。ですから、実は、偉そうに清原のことを批判できる立場にないのです。

さて、もう一度、本題に戻ります。学生時代、私は比較的、女子にモテた方ですので、バレンタインデーに2人の女子から2個のチョコをいただいた経験があります。で、過去最高は3個です。ただし、これは仲良かった頃の女房と、まだ一緒にお風呂に入るのが楽しみだった2人の娘さんからでした。ゆえに、身内の組織票のようなもの。おそらく最初で最後のハットトリック、一試合3ホーマーと言ったところでしょうか。

その自己最多記録を更新するチャンスが昨日、訪れたのです。まず13日夜、仕事仲間の女性からビジネスチョコ一個。その女性が紹介してくれた初対面の女性から、想定外の挨拶チョコ一個。そして昨日、友人の彼女からフレンドチョコ。この3個はまったくの出会いガシラの一発、まったくの想定外、無欲の勝利。ノムさん流に言えば「勝ちに不思議の勝ちアリ。負けに不思議の負けナシ」うんうん分かる分かる。

で、安藤、何を思ったか? ズバリ自己最多記録の更新。新記録の4個。
実は以前から「14日にチョコあげる。何がいい?」という奇特な女性がいて、「好きなチョコ買ってあげる。リクエストして」と言われたので悩みました。
で、カノジョでもないし「じゃあガーナでお願いします」と返答したら「や〜だ〜もっとちゃんとしたチョコにしなよ〜」というので、でも「じゃあ、ゴデイバ」と口まで出かかって、いや待てよ「タダより安いものはない」というから、後が怖い。美人局の可能性もある。「じゃあ、リンツの薄いヤツ」と返答。これなら1200円だし、最悪、弁償すれば済む。
そしたらカノジョ「うんわかった。じゃあ14日にあげるね」というので、今シーズン唯一の確定的チョコレート。

で、昨夜、新宿で一緒に食事しました。その後、「スタバでお茶しよ」と誘われ、ああ、そこで渡すつもりだなと当方勝手に思い込む。リンツは子供のころ、まだ日本に舶来のチョコはハーシーしかなかった時代、海外出張の親父が土産に買ってきてくれた逸品。あの薄さ、上質な味に、子供心にドギモを抜かれた衝撃チョコ。舌に乗せて溶ける喜びを味わうもヨシ、三枚重ねて触覚を堪能するもヨシ、子供時代の夢は、大人になったら、リンツのチョコだけでドールハウスをつくりたい。

というわけで、内心、かなり期待していたわけです。
ところが、ぜんぜんくれる気配がない。下品で飢えたチョコ乞食に思われるかとも思いましたが、背に腹は代えられぬ、こちとら、それが目的で来た。そして思い切った。
「あの〜リンツは?」
「ああ、一応買いに行ったらさあ、すっごい人で。だから今日は諦めた。また今度でいいでしょ!」
「あっ、はあい・・・」
子供だったら泣いてたかも。かなりヒザのチカラが抜けました。汽車なら130円で帰宅できる距離。滅多にないのですが、とても疲れたのでタクシーで帰宅。結局、自己最多タイの3個どまり。マスコミの期待を裏切る結果となりましたが、こんな私にチョコを下さった3名の女性に大感謝です。大切に食させていただきます。

2395 青山のおじちゃん

FB未投稿記事

 

今日は悲しい話。

うちの親父はひとりっ子だから、親戚は少ない。父方の叔父、叔母はいないから、当然、従兄弟もいない。父方の親の兄弟の安藤更生という、早稲田の教授一家とうちだけが安藤性。しかし、更生さんも子供は女子3人。我が家も女子2人。安藤家の存続危機。

それはさておき、親戚としてはやや遠縁に当たるが、非常に近しい関係にあるのが青山のおじちゃんとおばちゃんと2人の娘。

年も近く、子供の頃からよく遊んだ。

おじちゃんはタカラの人生ゲームとか、オモチャを作るデザイン会社の社長サン。今から思えば零細企業だったけど、子供心に楽しそうな仕事で、代官山のおじちゃんの仕事場に遊びに行くのが楽しみだった。

青山は on the 246 の公団住宅の6階が住まい。狭い部屋だけど、夏休みは、そこに泊まるのが恒例で、新宿の高層ビルが見渡せた。神宮球場秩父宮ラグビー場へ徒歩5分。開発前の表参道、同潤会アパートあたりが、夏休みの遊び場、思い出は多すぎる。

 

昨日、末娘のSから電話。

「パパ死んじゃったよ

まあ、ずっと具合悪くて入院していたから、いつかはそういう時が来ることは、ある程度覚悟できたけど、酒もタバコも暴飲暴食もせず、ただ睡眠不足だったかなぁというくらい、小柄だけど健康体。

でも、昭和5年生まれ86歳だから平均寿命超えてるから、まあ仕方ないか。

でも、通夜も葬儀もなく、病院から火葬場直行。全てが終了してからの事後報告。

 

実は2年前におばちゃんが長い闘病の末他界。

その前年に姉妹の姉で僕と同じ歳のMちゃんが病死。

おばちゃんもおじちゃんもMちゃんも、酒もタバコもやらないのに。

で、妹のSは、酒もタバコも常人以上にやる不良娘。

今日はその不良娘を呼び出して食事をした。

不良というか不出来な子だなぁ。

で、S、昨年暮れ、自分の不注意で顔に大怪我して酷い状態になっていた。

なんとかしてあげたい。

数少ない親戚で、子供の頃はよく一緒に遊んだ仲。

でも、本人、少し跳んでるから、よくわかんね〜。

ものすごく消化不良。

2年前には歳下の従姉妹を、昨年はその弟の従兄弟も死にました。病死です。

2人とも子供の頃に遊んだ仲。大人になってからは付き合いは希薄だったけど。

諸行無常とは言え、ぶ厚い昭和のアルバムが砂の城となり、モノクロの風景が、またひとつ消滅した。

そして自分自身も、いずれは砂の城になる。

それもそうだけど、今はSをなんとかしないと。

それをずっと考えている。

2394 A型人間の真相

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A型あるある
・断るのが苦手      →        てか頼まれたらやる

・興味がないと動けない      →      当然

・だからやる気になるまで時間がかかります       →     まあね

・でも一度取り組んだら、やる、やる、やる       →      そうね

・ささいなことに優柔不断       →      あるある

・完璧主義者。完璧でなくなった瞬間どうでもいい      →      その通り

・寂しいのやだ。     →       かもね

・でも一人の時間も欲しいの      →      絶対に

・内心傷ついてるけど平常心を装います       →       見栄あるからね

・結構テキトー       →      かなりテキトー

・そして結構めんどくさがり      →      相当めんどくせ〜

・必ずしも部屋がおしゃれできれいなわけではない    →      ウッ!ズボかも

・几帳面?変なところだけね      →     そうそう

・たくさん我慢します。結構無理します      →       当たり

・そのストレスはお持ち帰り〜     →      そ〜さ

・それを親しい人にだけぶちまけます     →     たぶん

・好きな物には超一途。他の物には興味なし     →      おっしゃる通り

・買い物の成功率は五分五分       →       ドキッ

・基本、親しい人の前ではダラダラ      →      バレたか

・家で気に入らないとブーッとふくれる      →      我慢する努力はする

・嘘は苦手。つか嘘が嫌い    →      そりゃそ〜でしょ

・隠し事も大嫌い    →     心が痛くなるからね

・昨日まで「嫌い」。次の日話すと「あれ、この子いいこ」   →     よくあること

・近づかれすぎると逃げたくなる     →     まあね

・自分のこと好きな人が好き      →      え?みんなそうでしょ!

・というより自分を分かってくれる人が好き     →     当たり前だろ!

・テンション低いときは話しかけんなオーラ満載     →     普通そうだろ

・で、話しかけたらクソ冷たい    →     かもね

・何かしてないと落ち着かない   →     そうですよ

・でもホントは怠けたい。めっちゃ怠けたい     →      寝てる時以外はそう思ってる

 

げっ、全部ハマッてる。でも、みんなそうだろ〜、血液型に関係なく。

他の血液型の人はど〜よ?

2393 2016聖バレンタインもんじゃ

2016/2/14  FB投稿記事

文中に生前の平尾誠二さんも。

 

余談2。お暇な方限定です。

昨日は人生初高尾山でビジネスセミナー。5時半の最終ロープウェイで下山後、八王子で人と待ち合わせるもドタキャン。その後、笹塚で別の人と待ち合わせ深夜1時まで。急患が出たため、救急病院へ搬送、入院手続きやらで、帰宅は明け方4時半。

今朝は重症患者さんのお祈りのため、新横浜の霊波之光教会へ参拝。この日のランチは塚越の絶品コンビーフどんぶりと家を出る段階で決めてました。選択肢はコンビーフ丼単品で行くか、焼肉をつけた定食にするかの二者択一のみ。

で、いざ、腰塚に行くエレベーターに乗ろうとした刹那、「あの〜」と後ろからアニキに声をかけられた。

「実はあの〜、4階の店の者なんですけど〜、ウチでランチ、食べてもらえませんかなぁ〜」
オーラ、覇気、ともに無し。ただ切実で逼迫した瞳の奥にアニキの懇願する姿が見えた。

「と、言われてもワシ、今日は朝から塚越のコンビーフと決めてたのよね〜」
「そうでしたか〜・・・。でも、腰塚さんは、明日も明後日も、来週も再来週もやってますけど・・・、だけど、ウチは・・・」
「え〜潰れちゃうの?」
「・・・というわけではないんですが、お客さん次第で、ランチの営業はもう・・・」
「どういうことよ?」
「実は今日、まだお客さんがひとりも・・・」
「マジか? 日曜日の昼下がり。路上にはJRAに馬券買いに行くオサーンが溢れてるぞ」
「ああ、あの方たちは、そこの立ち食い(そば)か、コンビニのにぎりめしなんですウ」
「う〜ん、確かになあ〜」
「ですから、ぜひ、ウチに来て欲しいんです」
「で、オレに何をしろ、と」
「いや、ですから、ウチでランチを食べてください」
「ん、このオレにか?」
「そう、そうなんです」
「となると、俺の中の腰塚というか、コンビーフどんのモチベーションは、どう処理したらいい? 」
「いや、ウチも、こんなにたくさん、メニュー用意してますから」
先ほどから、彼がチラチラと差し出すメニューをのらりくらりとかわして来ましたが、ついに彼の差し出すメニューをつかまされてしまった。
ヤバ!ここで、勝負あったか?

彼は、あれもいい、これも美味いと説明するが、私の脳味噌の9割はまだコンビーフどんに占領されている。

ああ、平尾誠二なら、華麗なインサイドステップから、軽やかにアウトサイドに切り替えると見せかけ、さらにその逆をついて、ホホイのホイで、抜けていくんだろうな〜? これをFW一、二列が真似すると、あわよくば成功したところで、先輩から「お前、何さまのつもりだ」とか言われ、試合後、シメられた挙句、次の試合は干されるのがオチ。観客から失笑を買う。

もともと泣き落としには弱いタイプ。こんなネクラにーちゃんの藁をも掴む姿。もし、ここで私が勇気を振り絞り、初心を貫き、腰塚へ向かったなら、このにーちゃんは、北朝鮮まではいかなくとも、店長から拷問を受けた上に失職。まだ若く、養う家族はいないまでも、ニートになった場合、年金暮しの年老いた母親に暴力を振るい、挙句は殺害もある昨今。
いろんな感情が脳裏でコンビーフどんとバトルを繰り広げる。脳内コンビーフは80%に低下。

窮鼠猫を噛む。私の中に降りてきた天使が囁く。「こいつにも、どこかでどこかでエンジェルが見ていることを教えてやれ」
よしわかった。おいらも神様にお願いしてきたばかり、こいつにも神様の存在を教えてやろう!

で、4階に行った。本当に誰も居ない。アニキは正直者だ。少なくとも拷問は回避された。当たり前だが、ウエイトレスは女子だった。
「この、もんじゃ、お好み、たこ焼き、焼きそば、スパゲッチー、食べ放題、ドリンク飲み放題1680円を所望したいけど、オサーンがひとりでもんじゃは、やっぱマズいかね?変態に見えるかね?」
「いえ、大丈夫です。昨日もオバサンがひとりもんじゃしてましたから」
「マジか!」オバサンのひとりもんじゃと、オサーンのひとりもんじゃでは、どちらがより美しくないのだろうか? よりによって、本日はなんと聖バレンタインデー。あの女子の瞳に、バレンタインオサーンひとりもんじゃはどう映るのだろうか?脳内コンビーフは再び85%に乱高下する。

もともとプライドが高い人間。56歳を迎え、新横浜で昼間から、ひとりもんじゃというイメージは、まったく我が人生の想定外。そういえば私、40歳を過ぎるまで、ひとりで喫茶店に入ることすらできなかった引っ込み思案。ドトールのような紙コップカフェができてから、ようやくひとり喫茶店を覚えたが、未だに居心地悪く20分が限界。町中コンビニでのトイレ解禁になるまでは、雲子目的以外で、ひとり喫茶店はあり得なかった。

というわけで、延々90分。お店貸し切りのひとりもんじゃ。店員5人、客ワシひとり。他に誰も来ん!
一日一善。1680円の出費で、プライドと引き替えにひとりのアニキを救う。いいじゃないですか!

脳内コンビーフ、腹部膨満感につき、0%に低下。今、目の前に出されてもムリ。めでたしめでたし!

2392 歯の治療

午前中、歯医者さん。一本抜くと、そこにブリッジを渡す。ラグビーでいうと、FW第一列の2番HOを、1番と3番のPRが両脇から肩組みしてぶら下げるイメージ。つまり、吊り橋みたいなものを作るそうです。
で、いわゆる銀歯を入れるなら、保険適用で治療費約5万円。ところが自由診療のセラミック入れるなら1本12万で3本だから税込で約39万円。
今年の我が家は受験生2人だから、私が老後のために貯めていた2年分の生活費を1円残らず奉納させていただいたので、所持金ゼロ。拾い神様貯金を取り崩せば、なんとかなるけど、連続拾い記録が途絶えてしまう。
ランチはクサヤの干物で節約したけど、焼け石かも。腹くくって保険の世話になるしかないか!

 

と、ここまでは16/2/13の投稿記事

 

で、奇跡が起こりました。その後、ひょんなことで歯科医のW先生と再会。

アメリカで日本人向けのクリニックで勤務していたときに、サンディエゴの開院立ち上げに立ち会い、その際に知り合ったのだから、20年ぶりかな。

で、飲み席でW先生に相談すると「そんなの俺が治してやるよ、実費でね」という運びになり、飲んだ席だから本当かな、と半信半疑でしたけど、めでたく、本当に実費4万円で見事に治していただきました、という嬉しい報告。

W先生とは趣味が合うので、その後も定期的に飲み会。実はW先生、スーパー歯科医で凄腕だけではなく、なんと6ヶ国の医師免許を持つ異色。超スピードであっと言う間に治してくれます、しかも痛くない。持つべきものは、歯科医です。間違いない。

2391 トヨジとホームレス

 

たとえば、あんまき高校の同級生のトヨジ。
隣家との境界線がどこだかわからない。「そんなもん、考えたこともなかったワ〜」と言う。代々の家だから、当然、家賃というものは発生しない。聞いたことすらないと言う。
生業は大工だから傷んだ箇所は、ホームセンターで材料買ってトントンカンカンで一丁あがり。
日の出とともに起床して、陽が沈んだら寝る生活。ゆえに、電気は不要。田舎ですから農業用水も飲料水にできるし、野糞する場所は無限にある。ゆえに、上下水道不要。洗濯なら川でできる。
鍋物が好物だから、冬は卓上コンロを使うけど、基本、ガスはいらない、ってか、都市ガスはもともと来てない。
唯一の趣味は焼酎と釣り。「魚は魚屋で買った方が安いだろ」というと「そういう問題じゃねえ」と熱く語る。そして釣った魚の自慢話。余った魚を近所に配ると、農家から米やら野菜やらが倍になって戻ってくる。いざとなりゃ、ちょこっと畑から失敬すりゃ、家族分のビタミンは十分に補給できる。
2人の子供はすでに独立して、孫までつくった。医者の言うことを聞いてタバコもやめた。おかげでメシがうまい。こってりラーメンもがっつりイケる。ゆえに太った。髪はもうない。
若気のいたり、夫婦喧嘩で女房の嫁入り道具、巨大衣装箪笥を、柔道の一本背負いのごとく投げつけたこともある。「あかん、もう、あんなことできへん」つまり体力筋肉が衰えた。
晩酌は生まれてこの方、一晩とてサボったことはない。継続は力なり、努力家でもある。この時期はお湯割り。もう年寄りなので3〜4杯が適量。つまみは女房任せ。仕事が終わると、必ずかあちゃんにカエルコール。道草は一切しない。年に数回、外飲みする時は、かあちゃんに送迎してもらう。遅くなった時は、町で2つしかない安城タクシーか大興タクシーを呼ぶ。帰宅してかあちゃんに夜食を作らせないため、必ず栄楽飯店でラーメンをすすることにしている。
そんなトヨジさん、ある日、自分がホームレスになるなんて、想像したこともないだろうな〜。

一方の私。あれは確か82年だったか?横浜スタジアムでの横浜vs中日最終戦。前日のゲームで中日が勝てば優勝決定でしたが最終戦にもつれ込んでの近藤中日野武士軍団。関東地区応援団長だった私は129試合目の応援で燃え尽き、おまけに懐の全財産も燃え尽きました。周りの学生を十数人集めたところ、全員が全員すってんてん。本当にバカな連中です。帰りの汽車賃すらない。仕方なく、全員から小銭をかき集め、なんとか1人分、東京までの片道切符代をつくり、明日のゲーム前までに、親の金をくすねて来いと指示。最終ゲームは入場無料なので、人数分の汽車賃さえあればなんとかなる。というわけで、当日前夜はスタジアム外で、普段着で野宿。あまりにもひもじいので、ゴミ箱を漁りに行ったところ先客が2名。はじめて見たホンモノのホームレス。
「いよいよ人生の瀬戸際だな、ど〜する」「わからん」と言う名言を吐き、2人のオッサンはもくもくとゴミ箱を漁っていました。彼らが去ったあと、私はゴミ箱を漁りましたが食料はすでになく、防寒用の新聞紙だけを拾って仲間に配りました。忘れられない光景で、まさかこれが将来の自分の姿なのかと、恐怖におののきました。

 

16/2/13  FB投稿

2390 トイメン論神鋼編(平尾誠二さん追悼)

本稿は、17/02/11   神戸製鋼平尾誠二さんの追悼として、平尾さんの神鋼時代の後輩で同じセンターのポジションを争奪した加藤尋久さん(現・青山学院ラグビー部監督)のFB投稿の転載です。ご本人の承諾を得ております。加藤さんは熊谷工ではSH堀越正巳さんと同期。それぞれ、明治と早稲田に進学し、ともに一年生からレギュラーという、ラグビーエリート。卒業後はそれぞれ、再び神鋼に進むという経歴。センターというポジションはバックスのフォワードと呼ばれ、走力というよりは突破力を要求される位置づけで、それなりの体格的重量が欲しい部署ですが、加藤さんは細身でラグビー選手としては華奢。しかし、短い時間でレギュラーを獲り、平尾神鋼を支えたプレーヤーです。

引退後は日大監督を経て、現在は青学大の監督です。

以下、FBからの全文転載。

 

【いも太郎】
今日、やっと感謝の言葉とお別れの言葉、そして自分自身の今後の決意表明をする事ができ、自分の中で一つの区切りをつけた。

平尾さんの元で多くの事を学び、勝負したいとの思いで神戸製鋼所への入社を決め、同じポジションとして常に背中を追い続け、多くの事を追い求めてきた。
練習では常にトイメンとして勝負するもことごとく簡単にあしらわれ、数多くの敗北感と失望感を感じさせられ自分の未熟さや身の程、下手さ加減を嫌というほど学ばせて頂いた。
地団駄を踏んでいる私に降りかかる独特の甲高い笑い声が現役を引退して20年以上経った今でも心地よく耳に残っている。

当時そんな私に付けて頂いたアダ名が
【いも太郎】
嬉しくもあり、悔しくもあり…笑
でもタックルしか出来なかった私には丁度いいアダ名だった。
得意だと思っていたパスもゼロからやり直し、求められるスキルの高さ、判断のスピード、ライン構成の違い、視点、視野の広さ、ゲームマネジメントに勝ち方…
そもそもスキル云々以前にラグビーというスポーツの物の考え方、戦い方、取り組み方全てが新鮮だった。
いや、新鮮なんてもんじゃないカルチャーショックだった。

当時の練習は週3回のみ。
たった3回しかないからこそ、「常に脳みそが汗かいてる」と思うくらいに脳と五感と第六感をフル回転させて練習に参加し、平尾さんの一挙手一投足全てを観察し、少ない機会、時間の中でできるだけ多くの物を学び、吸収しようと心掛けトイメンにチャレンジしていた。
そうでもしないと追い抜くどころか追いつく事もできないと思っていた。

私にとってとてもありがたかった事は 、平尾さんが全盛期だったという事。
そんな平尾さんを間近で見て聞いて感じて学び、トイメンとして「勝負」というチャレンジをし『抜いてやろう』、『止めてやろう』と挑み、同じポジションとして追い抜いてレギュラーポジションを獲得しようと真剣に考え挑むことのできた5年間だった。

挑んだ勝負は当然全敗…笑

ただ、指導者となった時に、指導者でいられる今だからこそ思えるのは、その経験全てが自分の財産となっているという事と、改めてコーチングされていたんだなという事。
違うポジションでチームメイトとしているのと、同じポジションで1stジャージを争うのとでは自分自身の経験値としては雲泥の差だ。
ミスターラグビーと称された平尾さんと共にプレーした5年間は、中身のとてつもない濃い至福の時間だった。きっと誰よりも数多くトイメンとして相手をし、誰よりも近くで観察、研究していたと自負している。
大きな刺激を受け、多くのものを受け継ぎ、継承し、更に良くする事が私の使命であるのかなと、2枚の集合写真を見ていて何となく思った。

50歳を目前に、また新たな課題を平尾さんから頂いた気がする。
大事な所で怪我をしたり、◯◯二世なんて期待されていた時期もあったのに先に引退したりと、ことごとく期待を裏切ってきたからこそ、今度こそ期待を裏切る事なく、世界を視野に入れた指導者として【いも太郎】からの脱却を図ろうと思う。
私の中で平尾誠二は生き続けるだろうが、きっとこの写真の様に、後ろから見守っていてくれるだろう。
だからこそ平尾さんに認めてもらえる恥ずかしくない指導者となり、現役時代は負け続けていたから指導者としての勝負では平尾さんを負かしたいと思う。

競技者としても人間としても大きく成長させていただき本当にありがとうございました。
合掌