少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2505 果実の実(魅)力

5/6-17 FB投稿

メディアリサーチ社   小林社長にお見舞いでいただいた、高級フルーツの詰め合わせに感動(興奮)して。

5/4 出版社の女性社長さんがお見舞いに。
こ、こんな箱入り娘 高そうで、よう食べれませんやん。

5/6

人間なんて所詮この程度。あれほどのバナナマンもサンフルーツの前に、結局一本バナナはただの携帯電話に。
学生時代、電話などない時代。連絡は電報、伝書鳩、糸電話、葉書のみ。「アスチチイク」親父の上京を知らせる電報、嘘みたいだけど実話。あれほど活躍した携帯もすでにアンティーク。スマホ人間に「まだ使えるんですか、それ?」と聞かれるが、もはや絶滅寸前。永遠のバナナもついに携帯扱い、嗚呼青春、栄枯盛衰。
でもね、奈々が出てきたからと真理を捨てる僕ではないし、淳子の時は少し揺れたけど、でも基本はブレない。そら今日子は素敵だけど、事務所がうるせ〜し、まゆゆはオタクが押し寄せてくる。最終的には滋養のあるバナナが一番なんでしょうかね〜?

私のカラダにこんにちは😃
そして地球にさようなら😭
紅の宝石 おぜあかりん!
謹んで私の身体の一部とさせていただきます。
南〜無〜

 

 

オーノー!温室蒲郡みかん、地元の産物!
バナナならともかく、緊張してみかんを食すのは人生で初。
冬、愛知の家庭ならどこにでもあるダンボールの蒲郡みかん。
このダンボールの子たちが、プロ野球12球団で900人の選手のうち、約6割を占める二軍選手540人というなら、この化粧箱の選手はサムライジャパンの上を行くメジャー級。
拝みながら噛み締めたが、大丈夫、日本のファームの中にも逸材はゴロ居る。化粧箱に入れなかった規格外選手諸君、準備できている者にしか、一軍昇格のチャンスは訪れない。俺も素振りとシャドウピッチングだけは日に100回やっている。

5/5

佐藤錦佐藤錦佐藤錦佐藤錦佐藤錦佐藤錦佐藤錦佐藤錦佐藤錦
大正元年 山形県東根市の佐藤栄助さん、ありがとう。
ナポレオンx黄玉の子孫たち、時空を超えて幸運の紅粒。
有り難い。今夜もついてる 感謝してます。

 

そらバナナバナナと騒いでいるけど、そんなのカンケ〜ねえ。
おサムライさんは本心を右のココロに秘めるもの。
果実部門は
優勝 枇杷さま
準優勝 さくらんぼうさま
3位決定戦 苺さん vs 桃さん

真夏の果実さんは、サザン部門で上位入賞

う〜ん、ほとんど秒殺でした。もったいない精神で皮もタネもいただきました! ワイルドだろ〜!

2504 山で死す

5/6-17 FB投稿

一期一会 続編

山を愛する者が愛する山で死す、生涯を卒えることが本望か否か?
死した者に聞くことはできないが、生還が大前提の登山である以上、本望であるはずがなかろう。
強いて言うならば、前向きなsudden death、不慮の事故とは形容し難い。死もまた前提。
それでも人は山に登る。登山家、あるいは登山者と、そうでない人間との間には水平線と同じ、海と空が接触して見えるけど、実際の両者には、決して交わらない永遠の隔たりがある。

平地でコメを喰らえば人は生存できる。海山へ詣でる人、否定はしないけど、私は近づかない。

小心者?否!己の実力を知る智者。私は鮫より速く泳げない、熊より非力。ここで絶命はできない、家族がいる。
しかし、海山へ詣でる人々は、鮫や熊より深い何かがそこにあるのだろう、所詮は他人事、強い興味はない。

海山を否定するわけではありません。こと、プロの登山家でさえ、万全の準備を期して頂くも、還らぬ人がなんと多いことか。遺書も家族との別れもないままに滑落した無念の念、取り返しはつかぬ痛恨。ましてや・・・。

産経新聞論説委員、木村良一さんの警鐘を、ご本人の了解の上、転載させていただきます。

那須の雪崩事故 山に絶対安全などない」

 自然を侮ってはならない。これが栃木県那須町の茶臼岳(1915㍍)で、雪上訓練(雪訓、せっくん)中に高校生ら8人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故の教訓だろう。
 問題の雪崩の事故は3月27日午前8時半ごろ、茶臼岳の中腹のスキー場付近で起きた。栃木県の7つの高校の生徒46人と引率の教諭ら9人が雪訓に参加。このうち先頭の14人がゲレンデから外れた横の急斜面の樹林帯を登り切った尾根で雪崩に遭遇した。
 事故当時、吹雪で会話は通じなかった。周りも見えない。

そこに突然、天狗の鼻と呼ばれる岩付近から時速50㌔以上のスピードで大小の雪の塊が長さ160㍍以上にわたって滑り落ちた。あっという間に高校生たちは雪崩に飲み込まれた。古い雪の上に積もった新雪が滑り落ちる表層雪崩とみられている。
 那須町では未明から雪が降り、翌朝には新雪が30㌢ほど積もっていた。この時期としては異例の大雪だった。前日から雪崩注意報も出ていた。このため雪訓は茶臼岳の登山を中止し、雪をかき分けて進むラッセル訓練に切り替わった。だが、この訓練中に事故が起きた。
 それにしても雪崩による事故を避けることはできなかったのだろうか。なぜ雪上訓練自体を中止して下山しなかったのか。
 つたない雪山経験から私は当初、避けることのできない「天災」と考えた。ラッセル訓練に切り替えた判断も間違っていないと思った。新聞の「無謀な強行判断」という見出しはおかしい。自然の力の前にどうすることもできないことがある。だから訓練とはいえ、それなりの覚悟がいる。
 しかし事実関係が明らかになるにつれて考えが変わってきた。引率者の判断ミスという「人災」ではないかとの思いが強まった。
 その理由の極めつけが、3月29日に行われた50歳になる現場責任者の教諭の記者会見だ。記者会見で彼が使った「絶対安全」という言葉である。教諭は雪崩の危険性について「雪崩が起きやすいところに近寄らなければ大丈夫だろう」「今回と同じ場所でラッセル訓練を行ったことがある」「経験則から雪崩はないと考えた」「絶対安全と判断した」と述べていた。
 しかし山に「絶対安全」などあり得ない。どんな山でも危険と隣り合わせと考えるのが常識だ。
 現地調査した専門家は事故現場を「典型的な雪崩発生地形」と分析。

一帯は国の指定する「雪崩危険箇所」にもなっていた。7年前にも同じ訓練中に高校生らが雪崩に遭っている。しかもこのときの引率教諭たちが今回の訓練も引率していた。

50年ほど前にも同じ斜面で1人が死亡する雪崩事故が起きていた。春になると、大小の雪崩が起き、地元の人は近づかない。スキー場は雪崩の危険性から2月下旬の数日間、閉鎖されていた。こうした情報をしっかり把握していたのか疑問である。
 現場にいた教諭が現地本部の旅館に駆け込んできて遭難を伝え、栃木県警に110番した。雪崩発生から50分も過ぎていた。訓練に参加した教諭たちは無線機や携帯電話を持っていたのになぜ、連絡が遅れたのか。記者会見した教諭は「旅館で精算していて無線機を10分程度車に置いたままで連絡が取れない状態だった」と説明している。
 ところで私は雪崩事故の23日前の3月4日の土曜日、茶臼岳に登っている=写真。茶臼岳という名称は那須岳の主峰を指す。那須岳の別称でもある。日本百名山のひとつで活火山だ。60万年前から火山活動が始まり、1408年~1410年には火砕流による被害で約180人の死者を出した。いまも白い噴煙を上げている。
 私が頂上を踏んだときの噴火警戒レベルは「1」と最低段階だったが、戦後最悪の火山災害となった2年半前の御嶽山もレベル1で噴火しているため、雪崩よりも噴火の方が気になった。
 噴火のほか、気を使ったのが強風だ。冬場は頂上付近で体が吹き飛ばされるほどの風が吹き、登頂を断念することが多い。頂上付近はこの強風で雪が付きにくく、雪はスキー場のある中腹あたりに多く積もる。夏場は雪がなく、風もさほど強くない。車やロープウエーが使え、子供連れの家族でも楽に登れる。
 夏場の登りやすさや冬場にスキーが楽しめることから簡単な山というイメージが強い。そこに過信が生じ、事故を招いたのだろう。
 皮肉にも自然に対する恐れを自覚し、事故を回避するための訓練中の事故だった。しかも亡くなった7人は将来のある高校生だった。この痛ましいさを忘れてはならない。
 これから北アルプスなど高山では雪解けが進み、GWには雪崩による遭難事故も発生する。自然を侮らず、慎重に行動したい。自らに対する戒めでもある。
木村 良一(ジャーナリスト)

最近読んだ佐瀬稔さんの遺稿集、登山家たち最期

2503 ユーミン安藤ベスト

5/5-17  FB投稿 改訂版

おはようございます。
昨夜FBFさんの山手のドルフィンに触発されて、昔よくやったユーミンのマイベスト。みなさんはどうですか。

1・潮風にちぎれて
2・ナビゲーター
3・海を見ていた午後
4・恋人と来ないで
5・スラバヤ通りの妹へ
6・ノーサイド (麗美)
7・シンデレラエクスプレス
8・ダンデライオン
9・コバルトアワー
10・水の影
11・よそ行き顔で
12・ロッジで待つクリスマス
13・晩夏
14・私のフランソワーズ
15・ひこうき雲
16・14番目の月
17・DESTINY
18・ハルジョンヒメジョン
19・コンパートメント
20・霧雨で見えない(麗美)
21・埠頭を渡る風
22・雪だより
23・ジャコビニ彗星の日
24・緑の街に舞い降りて
25・経る時
26・瞳を閉じて
27・最後の春休み
28・卒業写真
29・あの日に帰りたい
30・雨のステイション
31・セシルの週末
32・青いエアメール
33・雨に消えたジョガー
34・あなたが眩しい草野球
35・やさしさに包まれたなら
36・Woman(薬師丸ひろ子)
37・リフレインが聞こえる
38・アニバーサリー
39・海と空の輝きに向けて
40・カンナ8号線
41・時のないホテル
42・朝陽の中で微笑んで
43・天気雨
44・夕涼み(ずっとそばに)
45・ベルベットイースター
46・航海日誌
47・メトロポリスの片隅で
48・青春のリグレット(麗美)
49・時をかける少女(原田知世)
50・リインカネーション

51・ホタルと流れ星(麗美)

52・春よ来い

53・瞳はダイアモンド(松田聖子)

54・りんごの香りと風の街

55・何も聞かないで

56・恋の一時間は孤独の千年

57・さみしさのゆくえ

58・ダイアモンドダストが消えぬ間に

59・ランチタイムが終わる頃

60・風の中の栗毛

61・グッドラック &  グッドバイ(アン・ルイス)

62・香港ナイトサイト

63・Hello my  friend〜Good-bye friend

64・真夏の夜の夢

65・真珠のピアス

66・かんらん車

67・さざ波

68・まちぶせ(石川ひとみ)

69・破れた恋の繕い方教えます

70・雨の街を

71・水平線にグレナディン

72・消灯飛行

73・生まれた街で

74・花紀行

75・手のひらの東京タワー

76・スカイレストラン(ハイ・ファイ・セット

77・5センチの向こう側

12月の雨

中央フリーウェイ

Holiday in  Acapulco

スキー天国 サーフ天国

恋人がサンタクロース

12階の恋人

街角のフェミニスト

 

幸せになるために

まだ行くか?

2502 警察病院記23/GWの入院

5/5-17  FB投稿

おはようございます。
夕べもドングリなし。まあ完璧ではなく、一瞬、ラクになろうかと迷う時間帯もありましたけど、うら若き茄子に、オサーンの尻を差し出すことへの羞恥、つまり「恥ずかしさ」という余裕との葛藤の中、痛みvs羞恥 で羞恥が勝りました。おめでとうございます。ありがとうございます。

さて、こんな記事が出てまいりました。2015/5/5の投稿です。

「2年前、3年前のGWは入院中、昨年は一時退院。病院食は病院によって1200キロカロリーと1400キロカロリー。しかし、歩けないから、体重は3年間で約12キロオーバーで100キロ手前。11月に退院して、履けるズボンがなく、3本新調しましたが、もうこの子たちの世話にはなるまい。2月に松葉杖が外れて3か月で7キロ減。病院食の二倍以上は食べているけど、歩けるだけで、こうも違う」

ゲゲ、つまり、2012、13、14と三年連続でGW入院。今年は三年ぶり4度目のオールスター出場ってことですか?解説の安藤サン?

「いんや〜、これは家族に嫌われるわけですね〜、ひどいの一言でしょう。嫌がらせとしか言いようがありませんね。普通のご家庭は、ハワイ、ヨーロッパ、タイ、カンボジア、沖縄、北海道の家族サービスが必定。これは人間の業ではない、いわゆる人非人。落合のことを外道扱いしてるバヤイではないですね。ショッカー様がお切れになる理由はこんなところにもあったんですね〜」

安藤総理の少数派日記、ついに2600回突破です。過去記事ご興味ある方は、少数派日記で検索下さい。
chamy-bonny.hatenablog.jp/

本日もついてる 感謝してます。

2501 生死の一期一会

5/5-17  FB投稿

おはようございます。
みなさんはどうされているでしょうか?一期一会。

きっかけは2004年6月に長崎県佐世保市で起きた、小6少女同級生殺人事件でした。
殺害された少女のお父さんは、確か毎日新聞の記者。事件、当日の朝、台所に立つお父さんがランドセルを背負い、元気に家を出て行く娘のようすを、事件後「あれが動く娘の姿を見た最後でした」と語り、その言葉のすべて「動く娘の姿」「最後」「ランドセル」が強烈なメッセージとなり、私にこびりつきました。

そう、次の瞬間の出来事は誰にも予測ができないのです。
sudden death(突然死)ゴルフ用語ではありません。
生きてる限り、自分もしくは家族、友人知人、いえ、人類全員に持たされた宿命。今、目に映るあなたの姿、あなたの目に映る私の姿が今生の最期の姿・・・かも。これすなわち一期一会。

私は家庭不和。だから無言で家人が家を出る玄関の音がすると、後を追い、その後ろ姿が見えなくなるまで、目で追い、無事に帰ることができるようにと祈ります。後悔の無きように。
友人知人との別れ際、電車やバスが見えなくなるまで見届けます。また会えますように、と願いつつ。

みなさんはどうしていますか?

新聞の片隅、社会面の小さなベタ記事に、毎日毎日、どこかで起こるsudden deathが。
朝、元気で家を出た人が、ほんの些細な偶然(あるいは必然)によりもの言えぬ身で帰宅。取り返しのつかぬ現実。
夜、再び家族と集うことができるのは、当たり前でも偶然でもなく、それぞれの有り難い努力の連続なのです。
意識して努力しないと。

以下、産経新聞記事転載

「バランス崩し校舎から転落か、教諭が死亡 神戸
産経新聞 5/1(月) 22:53配信」

 1日午後3時20分ごろ、神戸市兵庫区松原通の市立須佐野中学校で、教諭のMTさん(54)が校舎4階の窓から約12メートル下のグラウンドに転落した。Mさんは病院に運ばれたが、全身を強く打つなどしてまもなく死亡。窓の清掃中に転落するのを複数の生徒が目撃しており、兵庫県警兵庫署はMさんが誤って転落した可能性があるとみて詳しい状況を調べている。

 同署によると、Mさんは特別支援学級の担任で美術部の顧問。当時は部活動を終え、約40人の生徒と美術室を掃除していた。床から約1メートルの高さにある窓の手すりから身を乗り出し、窓の外側をふこうとした際、バランスを崩したという目撃証言があるという。

以上

ご家族、ご本人、生徒さん、関係者、友人知人の無念。
他人の私が書くのは、他人であっても他人事ではないから。
日々、知らない誰かが、生命を賭して遺してくれるメッセージを大切に受け止めなければと思うのです。

2500 悲報/みどり姐さん

5/4-17  FB投稿

病室の簡易テーブルに乗せた携帯のバイブが控えめに必死に響く。
5月4日木曜日みどりの日

取り損ねた携帯は床に落ち、部品の一部が破損して飛んだが通話には問題ない、午前8時35分の着信記録。奴から電話してくるのは年に一度か二度。こちらからは三度か四度。互いに特に用はない。

奴とは安城北中2年の時、今でも理由はまったく覚えていない、おそらく互いに気に食わねえ、ただそれだけのこと、クラスも違う、話したこともない、名前すら当時は知らなかったかも。

帰宅途中の田舎道、派手な喧嘩になった。田んぼでドロドロになったのだから田植えシーズンに間違いない。勝った負けたはない、殴り殴られ続けて、ただお互いに疲れてやめただけ。
問題は明日、着ていく制服がない。乾燥機などない時代。
俺は体操着で通学、笑われた。野郎は兄貴のお下がりで来やがった卑怯者。

3年の時、同じクラスになるが、蟠(わだかま)りはない。理由のない喧嘩は痕の曳きようがない。
別々の高校に進んだが、時々、コーシーを飲みに喫茶店に行った。田舎では学生服で喫茶店に出入りするのはいっぱしの不良気取り。

会話もなく、一杯180円のブレンドコーシーをブラックですするのだが、奴は恥ずかし気もなく、砂糖とミルクをタップリ入れる田舎者。
一時間もして飽きてくると、カップを下げられまいと、互いに残した最後のひと口をズズ〜と啜って席を立つ。勘定はほぼ奴が持つ。バイトで貯めたゼニがあり、中古車も持っていた。

奴は高校卒業後、中野の警察学校に来て、おまわりさんになった。親父は愛知県警のデカだった。

「太陽に吠えろのヤマさんだな」と奴は親父のことをそう形容したけど、俺から言わせれば、見た目は「チョウさん」だな、せいぜい。
で、奴はすぐにおまわりさんを辞めた。やってられんそうだ。
安城に戻り、家具屋で配達のバイトに付いた。

俺が東京で学生稼業を始めたころ、奴を呼んだ。仕事手伝え、と。
車でホステスさんを送り迎えする運転手。自家用車持参だと割りがいい。
奴はすぐ来て、両国の俺の部屋でしばしの共同生活、24歳の青年期。
やがて奴は職場で知り合った歳上の姐御と懇(ねんご)ろになり彼女の住居(ヤサ)に転がり込む。俺の方が奴より、姐御とは古い付き合い。
いやはや気っ風のいい、江戸っ子、ストレートな姐さん。
紆余曲折して、すでに35年、光陰矢の如し、ローマは一日にして成らず、少年老い易く学成り難し。いやはや。

2週間前、俺から電話を入れる。
「お前のいた陸軍中野学校にいるぞ」茶化しただけ。特に入院は告げていない。暇だから掛けてみただけ。
「奥さん元気か?」
「それがな、元気ないぞ」
「おう、どうした?」
「なんか、あっちこち痛いって、もう5年も家から出とらん」
「そりゃいかんな」
「免許の更新時期が来たけどな、もうクルマ乗らないからいらんってな、自主返納したぞ」
「ほうか、じゃあ奥さんのジャガーどうするだ?」
「俺が乗っとる。俺のオデッセイは廃車にしたぞ、去年の夏にな」
「ほ〜か、奥さんによろしくな」
「おう、彼女も時々お前のこと言っとるぞ、安藤くんどうしてる?って」
「ほ〜か、ところでお前の犬とか猫は元気か?」
「おう、犬はみんな死んだ。猫はあと6匹おる。一番チビが三ヶ月だから、こいつが死ぬくらいまでは面倒みるけど、こいつが最後だな、俺の寿命からして」
「ほ〜か、お前頑張れよ」
「おう、お前もな」

これが2週間前のやりとり。

今朝、手を滑らせた電話。奴から。
「おう、今日はな、残念なお知らせがあるぞ」
「おう、どうした?」
「彼女がな、死んだぞ」

痛みを苦にしての自殺だった。
5年間、最後の3年は本当に辛かたそうだ。
仕事を頑張って、家を建て、クルマも買った彼女。

24歳の時、俺はかりそめの付き合いだとタカを括り、数ヶ月後には奴がまた、両国の部屋に戻ってくると思っていた。35年といえば、奴の人生の半分以上。
奴の親父、チョウさんの葬儀にも痛い身体で熊本まで行ったんだ。
切ないね。

「葬儀は身内だけで済ませた。だけどお前だけには言っとかんといかんと思ってな。なんか泣けてきて仕方ないぞ」

奴の前では一切の泣き言も言わなかった。しかし、親戚や友達には電話でこう話していたそうだ。
「洗濯も、ごはんも、お掃除も、後片付けも、お買い物も、お父さんのためにしてあげれることが何もできなくなってしまった。だから生きていても仕方ない」
痛みよりも奴のことが優先だったそうだ。

あいつも真面目に働いていた。午前2時に出勤して医薬品を指定病院まで運ぶ日帰り長距離トラック。骨折で休んだ時以外は皆勤賞。給料の半分を生活費に、その半分を野良を含む犬猫のエサ代に、残りでタバコと缶コーヒーと昼の弁当代、それと通勤のガソリン代に充てていた。貯金はない。

俺たちの人生はこうして失われていくとしても、あの田んぼの泥沼や、学ラン姿の田舎のコーシー、ちょっとヤバ系のバイトや、人との出会いは、アルツが来るその日までは色褪せない。

死ぬなよ、生きろよ、と贈る声援は尊いけれど、受ける本人の苦痛や苦悩は背負う人へのさらなる重圧なのか。
痛みのための自死も辛いが、お前のための自死だとしたら、その愛は重すぎるな。

今日はみどりのの日。姐さんの名は「みどり」さん。
偶然の一致とはいえね。

2499 躑躅のフレーム

5/4-17 FB投稿

おはようございます。本日で入院24日目、まさかの。
ショッキングな出来事は色々ありますが、私の場合、書いた原稿をパソコンの操作ミスで消してしまうことです。今朝やってしまいました、40分くらいかけたこの原稿。
また、最初から書きます。

普段の駐車場。停めてある自動車がいないと、景色が違う。
風景の脇役だった躑躅(つつじ)の子たちが、早朝のひとときの主役となる。薄紅の艶。
写真を飾る時、フレームを厳選していますか?
写真に勝ってもいけないし、写真を見すぼらしくしてもいけない。悔しいけど、フレームはあくまでも写真の引き立て役、バイプレーヤー、助演役者。紅は薄く、そう紫っぽく密やかに。

「アタチたちはフレームなの」
「そう、ここではね」
野や公園に咲く仲間たちを代表して、東京に来たのに。
花として生を受け、人間に見られる数は、野や公園の仲間の比ではない。

でも野や公園の仲間たちは、それを見に行くための人々に囲まれ、写真を撮られ、運のいい子は展示会に出展され、また写メの脇役となり、昔ならアルバムの薄いビニルシートに挟まれ、今ならドロップボックスの一員となり、iCloudという雲の上に蓄積される、半永久保存版。

駐車場の車ビトは、隣車とのドアの開閉の接触に意識を全て集中させ、薄紅など視覚にあるも意識の彼方。
「私たちは何のためにここに来たの?」
「都会のオアシスだよ」
「こんな排気まみれのアタチでも」
「みんな余裕がないんだよ、花を見る余裕が」
「でもサクラちゃんは?」
「そうだなぁ、みゆきさんが言ってた。地上の星には誰も気づかない。人は空ばかりの見てるって」
「アタチもサクラちゃんになりたい」
「バカだなあ コブクロの小渕クンが言ってるじゃないか、ここにしか咲かない花があるって」
「でも、アタチ、排気ガスやだ、くさいもん」
「確かにな、蜜蜂も寄り付かねえし。よし安藤総理に陳情すっぺ」

安城時代、私はペンペン草には手を出しませんでしたが、つくしはよくいただきました。躑躅の蜜にも大変お世話になりました。なんせ砂糖不足の折、冬の持久力大会の時、学校から支給される栄養補給の痰切り飴がご馳走の時代。

そんな可憐なつつじだけど漢字にするとモノゴツイ。躑躅
鄭とか濁とか三国志の中国か?
確かに中国広州でも空港から都心に向かう高速には躑躅の列が延々と続く。

東京の排気とは比較にならない天文学的な量。
   
躑躅つつじ

躑 ・・[音読み] テキ。  [訓読み] たちもとお・る。
躅 ・・[音読み] チャク。 [訓読み] たちもとお・る。
語義 …… 行きなやむ。行きつ戻りつする。足もとがふらつく。
たちもとおる ・・躑る 。めぐる、まわる、徘徊する、行きなやむ、足踏みする、後退する。
     
平安時代に、中国から日本に渡ってきた 「本草書」 (ほんぞうしょ=漢方薬としての動植物・鉱物の薬効を記した図鑑) には 「躑躅」 が載っていた。これを日本のツツジに当てた表記は、『大日本国語辞典』 で調べると、『蜻蛉日記』 (974年ごろ成立) における、

   みちのくの 躑躅の岡の くまつづら

熊葛 くまつづらとは つつじが属する植物の学術名。

この 「躑躅の岡」 (つつじのおか) というのは、現在の仙台市 宮城野区 榴ヶ岡 (つつじがおか) のこと。古来は、ツツジの多い丘陵地で、東北でありながら、京の人々にも 「歌枕」 (うたまくら=和歌に詠み込まれる名所) として知られていた。

花ことばは「節度」
なるほど、やはりフレームなのか?
花ことばもフレームも人間が勝手につけた妄想と商魂。

花や木草の声なき声に傾ける耳の余裕は私とて無い。
件の陳情、我が権とて無力、許せ、命運と悟れ、南〜無〜。