少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

251  道路は財産・・・か?

先月のことですが、気になるひと言があったので選挙がらみの題材として書いておきます。高校時代の同級生の弟が土木関係の仕事につき、久しぶりに会ったのですが、現在は道路工事の現場監督をしているそうで、その日も現場で仕事だったそうです。
40数年前、僕が子供のころ、東京から引っ越してきた時の安城市はのどか過ぎる田舎町でした。見渡すかぎりの田んぼ、小学校へ通う猿渡川の土手にはへびがうろちょろして、子供たちの通学をへびの方が迷惑がっていました。すき焼き用の肉を仕入れるには肉屋に注文して3日ほど待たなくてはならないし、その反面で、マグロのトロは「こんなもん犬のエサだがや」と言われ、魚屋はこれを捨てていたのでオヤジは「信じられん世界だ」といって魚屋からタダ同然でトロを譲ってもらっていました。今でこそ鉄筋の名鉄「新安城駅」も当時は木造平屋で「今村」という駅名でした。晴れた日には土ぼこりが舞い、雨の日にはぬかるむ、そんな情緒と不便が入り混じった田舎駅でした。
トヨタ様のお陰でしょうか、そんな安城も県内屈指のベッドタウンに昇格したそうで、大不況の今でも人口増加率は県内ナンバー1だそうです。というわけで、現在、宅地という宅地はどこをどう探しても見つからないという状況で、どこもかしこも田んぼが潰されマンションや家が立ち並び、当然のように道路が増設、拡張され、かく言う我が実家も道路拡張のため、敷地の一部を市が勝手に査定した地価で強制的に奪われました。
あの土手の通学路もアスファルトに舗装され、ヘビやカエルたち一家も泣く泣く引っ越しです。小さな商店街はひとつまたひとつと二度と開くことのないシャッターを降ろし、トヨタ様で潤う住民はスズキやダイハツの軽やかなケー(軽自動車)のセカンドカーでイト―ヨーカドーでお買いものというわけです。
前置きが長くなりましたが、こんなそんなで安城知立、岡崎、刈谷周辺を古久根くんやトヨジ、矢頭らの車で走るたびに知らない道がひとつ、またひとつと増えているのです。昨年など母校の周辺を自分で運転していてマジで迷子になってしまいました、あり得ないことです。
そんなわけで、僕は友人の弟にこう言いました。
「これ以上、道増やして、どないするつもりやねん?」
「いえ、まだまだぜんぜん足りませんよ」
「うそこけ、こんだけあれば十分やろう」
いや、本当に凄い勢いで高速道路も市街道路も増え続けているんです。
「いや、まだまだです」
「じゃあ、どこが足りないの?」
「たとえば、愛知県には環状道路や、デズニ―ランドのようなテーマパークに直結するような高速道路がないんです」
「きみ、バカも休み休み言いたまえ。まず愛知県に環状線が必要かどうか?」愛知県の主要路線はトヨタ系の工場と工場を結ぶ部品の運搬がメインのはずで直線往復運航が主流のため、環状線は必要ないと考えるのが普通だが、どうなんだろう。それなら、もうとっくの昔からトヨタが県政や自民党に働きかけて十二分に整備されているではないか?
「それにデズニ―ランドはデズニ―ランドにあるから価値があるわけで、愛知県に似たようなものを造ったところで、ハウステンボスやシーガイアの二の舞い三の舞いになることは歴然としてるだろうに。それに近隣の三重にグランスパー長島温泉があるだがね」
「確かにそうですけど、道路というものは将来の財産なんですよ」と弟。
ついに彼のその発言に私はプッツンしてしもうた。「おいおい、今何つった?君は自民党の代議士みたいなことを言うな〜。将来の財産とは聞こえはかっこいいけど、財産とは使う人がいてこそ、はじめて成り立つ言葉。君も知ってる通り、日本は回復不能の少子化で人口の減少に最早歯止めがきかない。加えて、中国での乗用車の普及が急増して、燃料問題のあおりで日本人の自動車離れは周知の通り。売れてるのはプリウス系のみで、トヨタ国内需要大減少で大苦戦、中古車業界に至っては瀕死状態。人口も車も大幅に減少した将来のニッポンで誰が車に乗り、誰が高速道路を走るんだい?」
「確かにそう言われてみればそうですね。ただ、僕なんかもう、どっぷりとサラリーマンに浸かっちゃってるもんで・・・」
彼は素直でいい子。いじめるつもりは全くないのですが、民主党が政権を維持すれば、当然、道路工事は縮小され、彼らの生活に直接影響を及ぼします。だけど、だからこそ、その渦中の真っただ中にいる彼らこそに、しっかりとした自己の見解を持っていてもらいたいのです。
これ以上の道路建設が、本当に「将来の財産」だと信じているなら完全にアウトです。しかしながらこれは借金まみれの「負の財産」(将来の人たちに不要なものを造り、かつその借金を押しつける)だと承知しつつも、現在の自分や家族の生活を守るために「ごめんなさい、ごめんなさい」と心で涙を流し念仏を唱えながら造るなら、まだ見込みがある、と僕は本気でそう思います。
確かに道は必要です。でも必要以上の道は不要であり、かつ負担です。この道は誰のための道?「天下り様」と「利権業者」のみの道路のために、我々も我々の子孫も、そして地球の環境もエンドレスで苦しめられる道路造りは、もう止めにしないと。