278 北京にて
広州白雲空港で詐欺られ、コンチクショーという思いで中国国際航空1330便北京行きに乗り込む。2・3・2列席の大型機だが、中国人乗客でほぼ満席。夏休みとあって多くのクソガキどもが搭乗。仕方ないけどうるさすぎ。トヨタが広州に工場をおっ建てた2004年前後には一日8往復便も飛んでいた広州ー成田線は今や、斜陽ニッポン。午前、午後、夕の一日3往復に激減され、思うように直行便航空券が取れず、今回はトホホの北京経由(面倒くせ〜)。
搭乗するも一時間の遅れで、離陸。北京に30分遅れの14:30着。そのまま中国国際航空421便成田行き16:40発に乗り継ぎ予定だが、腹が減った。ゲートの外に行けば「バーガーキング」が待っているのに、乗り換えだから外に出られず、そのまま出国ゲートへ移動。ゲート内にはバカ高い喫茶店しかなく、成田まで我慢と決める。
16:40分、時刻通りに搭乗するも機が動く気配はまるでない。やがて1時間が過ぎ2時間になる。ただ冷房が利いているし、飲み物も出る。広州で日本航空の機内で待たされた時は冷房も飲料もない、蒸し風呂喉乾地獄だったので、あまりにも長く感じられたけど、あの時に比べればまだマシか・・・。
おいおい、それにしてももう3時間、定刻通り飛んでいれば、もう成田に着く時間だぜ。広州の自室で拝んだ東から登る朝日が、遠くに見える北京の山にもう半分沈んでいく。不意に寂しくなる。腹も減る。くっそ〜腐りかけた玉子だったけど、捨てなければよかったあ〜。隣の席のオッサンはさっきからずっと鼻くそばかりほじくっているし、色気もねえ。
「やっと18番目に飛ぶ権利をもらいました〜」と機長から歓喜の報告だが「18番目ってなんだよ〜、まだ40分くらい先じゃねえか」。バブリー中国の夏休み、増便増便でいくら滑走路があっても足りないらしい。
羽を広げた旅客機が「iPad」を買い求めて並ぶ人々のように、列を作る姿は可愛くもあるが腹立たしい。はぁ〜。
421便は漆黒の北京空港を定刻より3時間30分遅れで離陸。成田に到着しゲートを出ると10時過ぎ、空港バスも鉄道ももうない。おにぎりを買う予定のコンビニも全店閉店。かろうじて宅配便屋は開いていて、安城の実家に宅配便を出したけど、本日(8月2日午前)到着予定の荷物は午後3時を過ぎても安城に届かない。80歳の老婆が朝からずっと買い物にも行けず、じっと荷物を待つ。「まだ来ない」「まだ来ない」という再三の催促に荷物を預けた「ANAスカイポーター」に電話を入れるもずっと話中で繋がらず、ANA本社経由でクレームを入れる。提携配送会社は三流の福山通運。この会社、二年前にも僕の荷物を失くしたことがあり、ドライバーの態度も最悪。今回も3時間以上の遅延で荷物は届いたものの、ドライバーは悪びれることなく、また侘びのひと言もなく、荷物を置いていった・・・と老婆から報告あり。福山通運の責任者にクレーム。遅延は仕方ないにしても、その後の処理に大問題あり。佐川急便、ヤマト運輸のドライバーの爪垢を煎じて飲ませなさい・・・と。
話を元に戻そう。さて成田からどうやって帰るのか?航空会社が新宿までオンボロバスを出すというのでそれに乗る。午前1時までに新宿に到着すれば最終の京王線に間に合う。それにしても気の利かない会社だ、こういう時は最低でもサンドイッチとおにぎり、それに水とお茶を用意するもの。腹は減ったし、眠たいし、足の指の消毒もしたい・・・。腹が空き過ぎて気分が悪くなる、せめてあのゆで玉子・・・。
オンボロバスが新宿に到着した瞬間、京王線の通路のゲートがゆっくりと閉められていくのをバスの中から見た。もうすでに閉められた状態ならあきらめもつくのだが、なんとも残酷なこの時間。タクシー代は自腹か、それとも保険適用か?
腹減った・・・。朝6時から、ゆで玉子1個、食パン3切れ、スライスチーズ1枚のみか。2回の機内食はほとんど手をつけず(ちょっと食えない)。
そしてひとり僕は大好きなサイゼリアに行った。「お客様、当店はラストオーダー1時30分、閉店は午前2時ですがよろしいでしょうか?」「あと40分ね、いいですよ」と僕は座った。「生ハムサラダ、マルゲリータピザ、ビーフカツレツ、ノンアルコールビール2本、赤ワインデカンタひとつ」と僕は一気にオーダー。時計を見ながら流し込むが、さすがに全部は無理、残りはお持ち帰りで、甲州街道でタクシーを拾う。
「お客さん、中国からですか〜。実はゆうべも香港からお帰りのお客さんを乗せたんですけど、マカオの風俗ってすごいんですってねえ〜。私もあっちの方が大好きなんですけど、お客さん、どっかいいとこないですかね〜」
「運転手さん、その話、真剣に聞きたいですか?」
「はい真剣に聞きたいです」
「これは僕の体験談ではありません。あくまでもKという、その道の達人から聞いた話ですが・・・」
運転手さんは、いきなり車を路肩に停めると、やおらにメモ用紙を取り出した。
「よろしくお願いいたします」
歳の頃、還暦手前か。今まで真面目に生きて来ました、という彼の人生の履歴がその顔に映し出されている。僕は、その運転手さんの真剣な眼差しと真摯な姿勢に心を打たれた。そのあくなき好奇心への欲望は、静かな物腰からは決して読み取れない。ひとつ間違えば変態扱いされる覚悟で初対面の僕に飛び込んできた勇気に僕は感動し、あることないこと、垣間聞いたことを運転手さんに伝えた。
「うへ〜、うへ〜」
ロマンポルノ解禁とは言え、ここでは披露できない内容ばかりである。運転手さんはエンペツの芯をぺろぺろと舐めながら(本当だよ)、必死にメモを取る。時折、運転手さんの武勇伝も聞かされ、こっちも驚く。静かなる性豪とは彼のことか。
本来なら僕は弟子を取らない主義。しかもK情報は他では絶対に入手できない情報だ。つまりは「一子相伝」。
「ほんとにこんなこと言うの情けないんですけど、自分、他に何も楽しみがなくて、これだけが人生の喜びなんです。年に2回だけですけど、女房に内緒で海外旅行に出かけます」
彼のその言葉に打たれたのだろうか、僕は、血の涙を流しながら自分の持つすべてのあることないことを伝授した。
「こんどは10月に行く予定なんです」
「わかりました、では達人のKを紹介しましょう。彼は2日前から、再び道を究めるためにタイに飛んでいます。これ、私の電話番号ですから・・・」
時計に目をやると、二人は40分も話し込んでいた。運転手さんは僕を拝んでいた。
誰も迎える者も居ない、自宅玄関を開け、灯りをつけると時計の針は午前3時少し前。僕は普通に帰りたかっただけなのに、広州の自室を出てから20時間が経過していた。