少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

367  人工透析26年

親しい友人のお袋さんが亡くなった。享年80歳。本人には了承を得ていないけど実名で書こう。
吉永とは長い付き合いになる。東京生まれ東京育ちだが、熱烈な、というよりは過激なドラゴンズファンだ。知り合ったのは僕が応援団長時代の後楽園球場。一試合に必ず何度かは読売ファンと乱闘騒ぎになるレフトスタンドの乱闘の中心人物だ。もともとは歯科技工士だったが、現在は奥さんの実家の建設会社で実業家として大成功を収めている。男義に熱く、情にもろい。僕より年下だが、尊敬できる数少ない人物のひとりだ。
吉永のお父さんは大正15年生まれ、僕の父親と同じ年の生まれ、現在85歳だ。きょうも「ひざが痛くて」とおっしゃられていたがお元気だ。数年前、東京ドームでのCSの中日戦、ウッズの決勝ホームランで日本シリーズ進出を決めた試合をいっしょにスタンドから観戦した。パックに詰め大量に持ち込んだ日本酒を、周りの人たちに惜しみなく振る舞ってくれた。吉永の親父さんらしい。
その時も酔っぱらって大金(20万円くらい)入りの財布をスタンドで落としたが、親切な人が届けてくれた。その数カ月後、今度は錦糸町で酔っ払い、40〜50万円入りの財布を落としたが、中身ごと、しっかりと交番に届けられていた。まさに「強運」の持ち主だ。
その親父さんの連れ添いの奥さんが亡くなられた。きょうの葬儀で始めて知ったのだが、吉永君のお母さんは26年も人工透析を受けていたのだと・・・。
親しいと言っておきながら、僕はそんなことも知らされていなかった。
人工透析26年というのは「記録」と言っても過言ではない。実際には人工透析になってからの平均寿命は10年とされ、一説には、それより2〜3年は短いともされている。僕が直接知っている患者さんの中で20年以上の透析患者は2人目だ。
人工透析がどれほど辛いものか、何人もの患者さんに接した僕でさえ、その辛さは1000分の1も理解していないだろう。まず食事、一日の制限は、たんぱく質50g。これは玉子一個分だ。何をやるにせよ、これでは力が出るはずがない。塩分はほとんど無し。すべての食べ物に味がなくローソクを噛んでいるようだと患者さんは言う。生野菜、果物すべてダメ。中でも一番過酷なのは水分制限一日に500ml。これはペットボトル1本分だが、これを全部飲めるわけではない。例えば、ご飯や温野菜やスープに含まれる水分量をこの中から引かなければならない。真夏も同じである。そして週に3回、一日置きの人工透析。一回4〜5時間。通院の時間を入れるとほぼ半日以上が潰れる。人生の何割かはベッドの上だ。これを26年間ずっと・・・。凄すぎる。
話を聞いててふと自分の親父が浮かんだ。大正15年生まれの父が、生きていれば吉永君の親父さんと同じ歳の85歳。父が他界したのが、今から25年前。ちょうど彼のお袋さんと同じような時期に人工透析を始めたんだ、と。うちの親父はどういうわけか、透析を3回やっただけで死んでしまった。
でも彼のお袋さんは、それからつい数日前まで26年も、何度も書くが本当に凄いことだ。自分に厳しく食事制限をしなければ人工透析という医療技術だけでは、絶対にあり得ない奇跡だと断言しておこう。
僕や吉永が後楽園で無邪気に読売ファンと殴り合いをしてたころ、親たちは深刻な病と闘っていたんだなあ。今さら反省しても遅いけど、僕の現在の立場(海外臓器移植コーディネーター)はそんな親父の願いでもあったかも知れない。そう思うと少しだけ安らぐのだけど。
「残念だけど、元気出せよ」
僕は告別式の会場で吉永に声をかけた。
「ええ、今年に入って入退院を繰り返していたんで、かなり覚悟はできていましたから、大丈夫です」
お袋さんは昭和5年9月12日生まれ。うちの母親よりひとつ若く、誕生日も3日違いだ。彼とは親の年齢を含め、何か「縁」があるのかな。
そう言えば、数年前の東京ドームでのCS戦。僕が球場係員とモメ、暴行事件として告訴された時、彼が告訴先の警備会社に単身乗り込み、告訴を取り下げてくれたことがあった。(この事件はまた詳しく書きます)
野球観て、飲んで、暴れて、ゲロ吐いて、そして這って帰る。そんな健全な時代を共に過ごした仲間のひとり、それが吉永。
「これから、こういうことがきっと増えるんだろうな、俺たちの年代」
いっしょに葬儀に参列した、元・宇野勝後援会会長の松井さんが、帰りのバスの中でそう言った。この人もいっしょにスタンドで暴れた健全な仲間だ。
人間の宿命だから、それは仕方ない。されど、男は年老いた母親にどう接していいのかよくわからない。それは僕だけだろうか?
とりあえず、今夜は吉永君のお母様のご冥福をお祈りしたい。本当に26年間御苦労さまでした。心からご尊敬いたします。