少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

385  恋と季節の因果関係

一夜にして冬が来た。そんな寒い一日だった。
僕はふと、恋と季節の因果関係を見つけた。男はたくさん恋をして破れて、踏みつけられて、また雑草のようにアスファルトの隙間を見つけては立ち直り、そしてまた誰かに恋をする。失恋の多さは、何の自慢にもならないけれど、時に凡人を詩人に変えたりもする。
地球に訪れる四季は、人間の恋愛と絶対に関係がある。そう確信した。
恋の始まりはまるでわからない。予感めいたものはある。これが春なのかなと、なまぬるい風に草木の匂いが漂ったかと思えば花冷えで冬に逆戻り。桜満開で、やっぱ恋かと思えば、雪などが降り、またセーターをひっぱり出す。
じめじめした梅雨は相手の気持ちと自分の気持ちが混沌として、よくわからない。眠りにくい夜が続くのは湿気だけのせいではない。あの娘の気持ちがわからないからだ。
ようやく、この気持ちが届いた夏は本当に楽しい。彼女も同じ気持ちだ。恋は愛に発展した。しかし、愛は同時に苦しむことを意味する。その愛が深ければ深いほど、夏は熱く、熱射病で倒れる。誰も助けてはくれない。嫉妬、やきもち、ジェラシーという愛情表現が灼熱のごとく二人を襲う。絆の深さを太陽が試しにくる。このヤロー。
冬から春、春から夏はゆっくりまったりとやってくるくせに、ある日突然、一夜にして秋風が吹く。この恋に翳りがきた。そんなはずじゃない、嘘だろう・・・。悲しみの、一日前には愛があった。季節の変わり目は人の身体と心を変える。これが自然の鉄則だ。
静かで長い秋の夜は、失恋人を無口にさせる。あの娘との幸せの日々を思い出して、鬱病になる。世界の終わりが近づいたと思うようになる。
そして、昨夜のような木枯らしに、まだくすぶり続けるあの娘への思いを、ようやく現実のものと、受け入れる準備をする。
自分にはもう春なんて来ない。いや来なくてもいい。彼女との思い出だけを抱いて永遠の冬を過ごそうと決意する。そんな夜には平井堅の「瞳をとじて」を唄うに限る、と思うようになる。
どうでしょうか、過去の僕の体験談ですが、思い当たる方はいらっしゃいますか?今夜の僕は徳永英明さんの「愛が哀しいから」をひとり静かに唄いたいです。願わくば、世界のどこかにいるあの娘に届くように。