少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

700 3つの中の2つの死

養老猛司さんの言葉を借りて言えば「人の死には3つある」と。まずひとつは自分の死。そして2つ目が肉親・知人の死、3つ目が知らない他人の死であると。
自分が死んだ時はどんな気持ちになるかわからないので、これはパス。問題は同じ人間の死でも、肉親・知人の死と知らない人の死とでは、その痛みや悲しみの度合いがまるで違う、という話だが、それは当り前と一言で片づけられる話でもあり、奥が深い話でもある。
実は当たり前という話ほど、理論的に解説しようと思うほどに、奥が深くて、なかなか上手く表現できないものなのである。
8/1月曜日、またしてもドラゴン斎藤さんから御座敷がかかった。今宵は懐かしき学生時代6年間を過ごした墨田区両国でモツ鍋と焼鳥を御馳走してくれるという。「かちかち鳥」という秋田料理の店で御相伴にあずかった。三度の飯より野球が好きなドラゴンさんだから、会うと9割は野球の話になる。この日は自殺した伊良部秀輝投手の話だった。
そこで人の死について、人の死に方には2通りあって、選択できない事故死と病死、それと選択できる自殺がある・・・と。これが今日のタイトルの3つの(死の)中の2つの死です。
ドラゴンさんが言うには、事故死した友人と、自殺した友人が居て、どちらも親しい友人だったが、事故死した友人の時は本当に悲しかったけど、自殺した友人の時はそうでもなかった・・・そうだ。「安藤くんはどう?」と聞かれて即答できなかった。
自殺した伊良部くん、元ヤクルトの高野光くんを知人とカウントするなら、僕は7人の友人知人を自殺で失くしている。確かにドラゴンさんの言う通り、悲しみではなく、まず驚きという衝撃が先に来る。それがあまりにも大きすぎて、悲しい感情を超えることができないのかも知れない。
「バカなことしおって」あるいは「可哀想に」・・・。人々はそれぞれがいろんな違う思いを込めて、死者に言う。
人は自殺を選ぶ時、すでに精神的に正常ではない・・・と言うが、それはケースバイケースだろう。
特に伊良部くんと高野くんは、奇しくも僕がスポーツ記者時代に担当させていただいた選手だけに他人ではない。今思うと、二人の自殺には共通点がいくつかある。(これは短く書けないので、いずれまたの機会に書こうと思います)
今回の震災で、自殺者が急増しているとのことです。誰かに悩みを話すことで、かなり緩和されます。これがすなわちカウンセリングです。
日本をはじめ世界中には、生きたくても生きれない赤ちゃんや、小さな子供たちが、数多く存在します。そういう現実を、本やブログ、ボランティア活動などを通して知ることが、あるいは自分自身が自殺の危機に陥った時、引き留まるきっかけになるのだと思います。