少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

722 布教1

きょう8/19、国鉄五日市線の終着駅、武蔵五日市駅で行われた霊波之光教会の集団布教に参加しました。
まずはじめに、僕は集団行動ができない人間です。集団で行動できるマックスは15名まで。これはラグビーのチームの人数ですが、好きでやっていたスポーツでさえ、相手チームを入れると30人になり、これが狭いフィールドで球を奪い合うと、何で人間がこんなにごちゃごちゃおるんや、うっとうしいわいとなる我がまま人間です。したがって、文化祭、修学旅行、運動会・・・という学校での集団行事はすべてアウト。つまり孤独を愛するニヒリスト(社会的価値、制度、宗教など一切を否定する虚無主義者=ニーチェの哲学)。
次に、僕は宗教の布教に対して消極的な平和主義者です。人間にとって宗教が必要であることは認めますが、布教活動の延長戦の行きつく先は、歴史上、繰り返されてきた宗教戦争です。大袈裟と言われるかも知れませんが、歴史が事実を物語っています。
さらに僕にはお金がありません。東京の外れまで行く往復の汽車賃を考えた時、自問しました。行くべきか行かざるべきか。
この3つの事案を総合すると、僕が自らの意志で集団での布教活動に参加したということは、歴史的な一日だったということになります。
宗教にどっぷりとつかっている方々は、自分の信仰する宗教に全くの迷いがないため、それを別の言葉に置き換えると「洗脳」と言います。洗脳というと悪いイメージがありますが、言葉そのものは悪くありません。問題はどんな宗教に洗脳されるかという部分です。
いったん洗脳されると、他の宗教は「異教」「異教徒」となり、これが戦争への火種となり、そこまでいかなくとも、人と人の間に見えない壁ができ、人間関係をややこしくする危険性が発生します。
ただ、僕の場合、好奇心が強いので、布教に来られる方の話は丁寧に聞かせていただきます。
僕のところによく布教活動に来られるのは、エホバの証人顕正会創価学会の方々です。僕はそれらの宗教をむしろ肯定しています。例えば、エホバの証人は聖書を知る上で大変参考になります。自分が誤解していたキリスト教の教えや歴史上の誤認識を改訂してくれます。これはパレスチナ問題などにも関連します。
また、顕正会は仏教が基本なので、内容はすべて理解できるし、僕の宗教感に最も近い存在です。特に中国との国防問題に関しては具体的な示唆を与えています。
創価学会は笹塚に来た頃、幹部の久本雅美ねえさんに直接熱心に誘われました。「鳴かず飛ばす売れずの私が売れ出したのは、ぜんぶ学会のおかげなのよ。安藤さんも一緒にやりましょうよ・・・」と手まで引っ張られ、おっぱいの谷間がよく見えて、心がぐらつきました。創価学会の教えそのものは悪いと思わないのですが、政治がらみイコール金権という部分で純粋な宗教とは思えないのです。
どの宗教も組織が巨大化すれば、悲しいかなそこには人間同士の間に階級ができてしまう。「人間は神の下では何人も平等」というすべての宗教に共通する基本が薄れてくる。その最たるものがバチカンであり学会であり・・・というふうに。
僕は組織には馴染めない人間なのです。(つづく)