861 釜石シーウェイブズ
鉄の話が出たので「北の鉄人」の話を・・・。ラグビーのお話です。興味のない方はスルーを・・・。
ラグビーファンで「新日鉄釜石」が嫌いという人を僕は知りません。
メンバーのほとんどを東北の工業高校出身の無名選手で固めて日本選手権7連覇(1978〜84)。ただひたすらボールを追う姿は、その原点にあるウエールズラグビーを彷彿させる泥泥しさで、僕らの世代の日本人に共感を与えてくれました。
東京中日スポーツに入り、ラグビー担当に志願し、当時の冬の紙面はラグビーが一面を飾る日々も多々ありました。新日鉄釜石の連載もさせていただき、一週間も現地に入りびたり、新人のくせに、あまりにも好き放題していたので、当時の高田実彦報道部長に目玉を喰らったこともありました。その時、仲よくなった元日本代表LOの桜庭吉彦選手(秋田工出身)とは、今でも賀状のやりとりがあります。
そのころの秋田工業をちらっと振り返れば3年生に桜庭くんと、安東文明(SH=のちに明治主将→秋田市役所)、1年生に吉田義人(WTB=のちに明大主将→伊勢丹他を経て明大監督)がいたチームですから生で見たかったなあと思います。
当時、日本中のすべての大学、社会人チームが「打倒釜石」を目指してやったわけですが、松尾雄冶釜石が終焉を迎えて、およそ10年間は乱世の時代が続き、平尾誠二神戸製鋼が台頭して7連覇(1988〜94)を達成したわけです。鉄人同士の戦いは、現場の低賃金重労働者(釜石の選手)が神戸のオールスター軍団(大卒エリートの背広組高給取り)に敗れ、もうそのころには、まったく太刀打ちできない状況になりました。もちろん、神戸もそこに至るまでの苦悩はあり、平尾誠二の改革には敬意を表します。神戸製鋼ラグビー部の創部は昭和3年で、日本ラグビーの創世記であり名門です。平尾誠二のラグビーは本当に凄いと思いました。当時のジャパンなら、神戸製鋼をそのまま日本代表として国際試合をさせればいいと思ったくらいです。が、やはり強者を倒したいという本能には逆らえません。そこで僕はこの神戸を倒せるチームを応援することにしました。
本命は関西の「ワールド」で将来的には「サントリー」。あと勝てなくても苦しめてくれることを期待して「伊勢丹」に注目しました。
理由は専門的になり長くなるので省略しますが、たとえば、当時強豪のトヨタ、東芝府中、三洋電機、リコーなどは、チームカラーが完全に出来上がっていて、神戸の柔軟さにはついていけないきらいがあり、チームそのものが大きすぎて小回りが利かず、方向転換に時間がかかると感じたからです。その点、注目した3チームはそれを可能にする人材と柔軟度が高かったと思います。
長くなりましたが、今季から、また原点に戻り、釜石シーウェイブズを応援することにしました。新年になり、さっそく、公式サポーターとして登録させていただきました。個人ならどなたでも年間費2000円でサポーターになれますので、ネットから応募してください。
2001年に新日鉄釜石ラグビー部は解散となり、現在はクラブチームですが、東北や日本の復興の証しとして、またいつの日か社会人リーグ(トップリーグ)に返り咲き、願わくば、日本のラグビー界も昔のように学生対社会人の日本選手権を1/15の国立競技場で行えるような、全体的なレベルアップに尽力していただきたいと切望する限りです。