少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1204 かおりちゃんのこと

本日8/6、もうすぐ「安城まりか会」がはじまります。
その前に、mikuちゃんの日記から、かっこちゃんの話を転載させていただきます。「かおりちゃん」の話ははじめて聞きました。
いつも驚かされます・・・。
ーーーーーー以下全文
「かおりちゃんのこと」
 かおりちゃんという女の子と出会ったのはかおりちゃんが中学2年生のときでした。かおりちゃんは笑ったり泣いたりすることがほとんどなくて、目も合わないお子さんでした。かおりちゃんは話し言葉としての言葉はもっていませんでした。
 私は何もわかっていなくて、口の機能という面では、障害があるわけではないのだから、お話しないのはもったいないと思ってしまって、
かおりちゃんに向かって「あーって言って」「いーと言って」と言いました。
 かおりちゃんは、そんな練習はこれまでにもう千回もしたよというふうにフウとため息をついて、でも、「あ」とか「い」の形に口を開いてくれたけれど、息がもれるだけで声になることはありませんでした。
 そして、その練習を続けることがなんだか私たちの関係を悪くしてしまう気がして練習をやめてしまったのでした。お母さんは連絡帳で「この子に障害があると分かったときから、私は一度でいいから私のことをママと呼んでくれたらとそればかり思っていました。けれど、どの本を読んでも、小学生のときに言葉が出なかったらそれ以降に言葉が出ることはないと書いてありました。
 かおりはもう中学2年生です。もう言葉が出ることはないでしょう。繁華街で迷子になっても誰をさがすわけでもなく、スクランブル交差点の真ん中でひとりぽつんと立っているこの子を見たときに、私はもう、この子がママと私を呼んでくれるような日は決してこないのだということがはっきりわかりました。私は今ではもう、この子にお話をしてほしいなんて思っていないんです。
 お話をする練習をすることはこの子を傷つけるだけだし、先生のこともがっかりさせてしまうから、そんな練習はもう絶対になさらないでください」とお母さんはおっしゃいました。お母さんはいろいろな思いの中でかおりちゃんを育ててこられたのですね。
 私はかおりちゃんと過ごしているうちにかおりちゃんが可愛くてならなくて、かおりちゃんも私のことが好きになってくれたのじゃないかと思うのですが、いつもそばにいて、私をじっと見ていてくれるようになりました。そんなころ、かおりちゃんは私のまねをよくするようになりました。
 私はへんてこなくせがいっぱいあって、髪の毛をくるくると束ねてねじるという癖がありました。気が付くとかおりちゃんも同じことをしていました。給食のロールパンの皮を口にくわえて、そのまますっとむいてたべるという癖がありました。気が付くとかおりちゃんも口からパンの皮をさげていて、おもしろいことをしているなあと思ったら、みんなが「かっこちゃんのまねだよ」って言うのです。
 そんなある日、教卓の上に置いてあった分厚い本が何かの拍子でドサッと下に落ちました。かおりちゃんがびっくりした顔をしたので、私はかおりちゃんの顔を見て「あーあー」と言いました。
 かおりちゃんは私の顔をじーっと見ました。
そしてゆっくりと口を開いて「あーあー」って言ったのです。
「かおりちゃんがしゃべった、かおりちゃんがしゃべった!」
 私はうれしくなってそのあたりをくるくる回って、でも欲張りだから、すぐにかおりちゃん「いーって言って」と言いました。そうしたら、またかおりちゃんは私の顔をじーっと見て「いー」って言ってくれたのです。
それで、私はまた「ね、かおりちゃん、ママって言って。まーまって言って」と言いました。
 かおりちゃんは私の顔をじーっと見て、ゆっくりと「まーま」って言ってくれたのです。
 私はこれはお母さんにお知らせしなくちゃと思いました。
でも、電話や連絡帳ではお母さんが信じてくださらないかもしれないと思いました。
 会ってお伝えしようと思いました。
それでお母さんに「今日お話ししたいことがあるので、出かけてもいいですか?」と電話をかけました。
 お母さんは夕飯まで用意して待っていてくださいました。
楽しくおしゃべりをしていたら
「ところで、今日、かつこ先生は何をしにこられたんですか?」とおっしゃいました。
「お母さん、今日、かおりちゃんが、おしゃべりをしてくれたんですよ」
と話したとたん、お母さんの顔がさっと険しく変わりました。
「お願いしましたよね。
私はかおりがしゃべってほしいなんてもうこれっぽっちも思っていないのです。話す練習をすることはあの子を苦しめるだけですから、もう決してしないでください」
「待ってください、本当なんです。
かおりちゃん、お母さんを呼んで、ママと呼んで」
かおりちゃんはゆっくりお母さんの方を向いて、じーっとお母さんの顔を見つめて、甘えるようにお母さんを呼びました。
「まーま」。
お母さんの目にみるみる涙がたまって、
 涙がぽろぽろこぼれて、「かおり、ありがとう。かおり、ありがとう」
とかおりちゃんを長い間抱きしめておられました。
そして、私に「先生がかおりをかわいいと思ってくださる気持ち、かおりが先生を大好きだという気持ちが中学校2年生というこの時期に奇跡を起こしました」と言ってくださいました。
 私は「奇跡」というあまりに大きな言葉にすごく驚きました。
けれど、(ああそうだったのか)と思ったことがありました。
私は最初にかおりちゃんに会ったばかりのときに、
「あーと言って」
「いーと言って」
と言ってもかおりちゃんはおしゃべりしてくれなかったのに、今それができたのかがわからなかったのです。
人が人に思いを伝えるということはそんな簡単なことではないのですね。
お互いが好き同士になって、そして、相手が私の思いを聞きたがってるとか、自分の思いを聞いてほしいとかそういう関係にならないと人は思いを伝えられないのじゃないかなと思いました。
そのときに思い出したのがしゅうくんの言葉でした、
「大好きはどうしてうれしいの?」
私たちはいつから大好きがうれしくなったのでしょう。小学校の時でしょうか?幼稚園のときでしょうか? いいえ、赤ちゃんのときから私たちは大好きはうれしかったと思います。
「大好きはうれしい」
というのは、私たちがまだたった一個の受精卵だったときから神様が私たちにくださったプレゼントのように思うのです。大好きがうれしいということが、言葉を覚えたり、あるいは、手を広げて待っていてくれるお母さんやお父さんのところに行きたいという思いではいはいができるようになったり、歩けたりできるようになったのじゃないかなあと思います。
 これは他の子どもたちもいつも教えてくれることです。
「大好き」という思いがあれば、私たちはなかなか勇気が出なかったことも乗り越えて行けるし、また、生きる勇気がわいてくるのだと思います。
                        かつこ
ーーーーーーーーーーーー以上です。
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